友人である医学士のF君が、オースチンを購入したので、案内車を先に立てながら富士の五湖をまはつて来ようと、或る晩わたしの部屋を訪れた。神経科の専攻であるF君は、かねがねわたしの病状については深い留意を払ひ、年来にわたつて投薬をつゞけてゐて呉れる人であつた。ともかく文字のことは忘れるんだね、花をつくることをすゝめるよ――F君は切りとさう云つて、然し酒は寧ろ結構だと寛大であつた。だからわたしは、F君とだけはいつも平気で飲み、F君に救けられて帰る晩が多かつた。F君は、職業柄決して酩酊が適はぬと滾し、わたしの忽ちなる陶酔状態を羨ましがつたが、わたしにして見ると、容易に酔はぬといふ大酒家の方が豪傑めいてゐて頼もしく、羨望のかぎりであり、どうかして自分も紳士的なる酒の片鱗でも望みたいと思はぬことはなかつたが、いつもわたしは時と場所の差別もなく駄目であつた。
わたしは、いつにも爽やかな游山とか、ドライヴとかの

るいさんは眼のぱつちりした痩形の娘で、わたしの顔を見ると、写真を
その人と間もなく結婚式を挙げるのだらうといふやうなことを、わたしが煙草馬車の上で訪ねると、るいは顔をあからめもせず、厭なことだとほき出した。わたしにはその時、その意味が忖度し難かつたが、あんなさゝやきなどはるいにとつては悲劇でも何でもなく、単なる遊戯であるらしかつたのだ。それにしてもわたしは、汀の舟に凭りかゝつて雲を見上げてゐるるいの画を想つて、どうしてもそんな逞しい原始的な遊戯に耽るものとは考へられもせぬ、思ひ出であるからといふわけではなしにるいは、わたしが半日歩いては三日泊り、一日すゝむと西湖の北までへも踏み込んで山峡ひの村に滞在するといふ風に、五六十哩もの道程を幾十日がゝりで歩きまはつた村々で、凡そ比ぶべくもない、可憐とも云ふべき爽かな娘であつた。
「おら、このあひだ、狼の糞を見たぞ。」
るいは、わたしが上井出村へ赴いた後に健脚をとり戻したら、もう一度本栖山に引き返して大ムラサキを追ひかけるのだといふと、そんなことを云つて悸かし、鞭の先で湖の向方にそびえてゐる落葉樹の山をさした。最も臆病なわたしは、そんなことを聞くと思はずぞつとして、然し未練深く、大ムラサキの産する森を見返してゐた。あんな蝶々ツパ、とつて何うするでえ、売れるかな? とるいが馬鹿にするので、わたしはあれだつて買へば、一羽五、六十銭はするよと云ふと狼の糞ときいて、わたしが眼を丸くしたよりも長くまばたきもしないで、うへツ/\! とおどろいた。――当今、大ムラサキの市価は八十銭であるが、買ふんでは興味もなく、F君に誘はれるとわたしはあの櫟林を思ひ出し、車をとめてせめて二、三羽は採集しようと、折畳みの捕虫網も用意したのであつた。
上井出村の叔父の寄宿先は、滝の音の聞える村長の家の

小田原を起点として、長尾峠、御殿場、山中、吉田、精進、西湖、本栖、白糸、大宮、沼津――と、所謂五湖めぐりのコースがひらけて、百数十哩を一日でドライヴする遊山が流行つてゐたが、あれらの道々のわたしの思ひ出は仲々に深々たるもので、たうとうF君達の二台の車が迎ひに来た朝ぼらけの五時まで眠れようともしなかつた。前の晩、稍亢奮して、ひといきに眠らうと飲み過した酒の酔が、二十年も前の思ひ出の風景を、たゞわけもなく眼のあたりに浮び出すかのやうにほろ/\と棚引いてゐるばかりで、いつかもう車は長尾峠に達し、ゴルフリンクの見晴しや誰々の別荘は何のあたりだなどゝ、わたしも名前だけは知つてゐる流行の人々のことなどが話されてゐたが、わたしはまるで
それでも午さがりになつて、本栖に着いた時にはいくらか眠り足りた後なので、湖畔の休み茶屋に這入ると、わたしは鍬形の家やるいのことなどを訊いて見たが一向あたりもつかなかつた。エハガキや土産物などを売る新しい家がならんでゐて、わたしにしても見当がつかなかつた。思ひ違ひで、あれは山中湖だつたのか知ら? ともわたしは長年一日酔えるが如き自分の頭を疑つたが、狼の糞のあつた山や煙草車を駆つた道は、たしかにそこに蕩漾たる春のまぼろしの長酔極みなき紗窗の彼方に浮んでゐるのだ。わたしは自分の思ひ出に関しては、その感慨癖を軽蔑する家妻などがゐたばかりでなしに、たしかにそれは厭味なことに相違ないと思ふので、始めから何も口にしなかつたのであるが、あまりわたしがいつまでも妙な眼つきをしてゐるので連れの人達はわたしが酒でも欲しがりはじめたのかと惧れ、沼津まで、沼津まで――とせきたてるのであつた。
わたしのために一行は日程を変へて、上井出村に二、三日を費やすことになり、叔母の家に来て見ると、案の条わたしの描いた画は離室の欄間にかゝつてゐた。何年か振りで聞く滝の音を感ずると、わたしがあまり不思議な声を放つて詩をうたひ過ぎるといふので、F君は脈をとつたりしたが、どうも普段とは違つて聞き違へるほどの声でおもしろく、どうやら吾が地を離れて吻つとしたゝめか、君と同じやうに酔へて来たと、わたしに次々とうたばかりを所望するのであつた。ふたりは、何処かで静かに花が散つてゐるやうな朧月の田圃道を滝の音が聞えぬあたりまで、肩を組んで歩き出し、女房連にかくれて、春はあけぼのやうやう白くなりゆく頃ほひまでも飲めるであらう当もない遊里を目指して、見渡す限りの煙草の苗畑のふちを見えぬ蝶を追ひかけるかのやうであつた。落花踏ミ尽シテ何処ニカ遊ブなどゝわたしはうたつた。