……なんだかごたごたした苦しい夢を見たあとで、やっと目がさめた。目をさましながら、私は自分の寝ている見知らない部屋の中を見まわした。見たこともないような大きな鏡ばかりの
衣裳戸棚、
剥げちょろの鏡台、じゅくじゅく音を立てているスティム、小さなナイト・テエブルの上に
皺くちゃになって載っている私のふだん吸ったことのないカメリヤの袋(私はそれを
何処の停車場で買ったのだか思い出せない)、それから
枕もとに投げ出されている私の所有物でないハイネの薄っぺらな詩集、――そう云うすべてのものが、ゆうべから私の身のまわりで、私にはすこしも構わずに、彼等の習慣どおりに生き続けているように見えた。今しがた見たことは確かに見たのだが、どうしても思い出せない変にごたごたした夢も、それまで自分はぐっすり眠っていたのだという感じを私に与えはしているものの、同時に、まるで他人の眠りを借りていたかのような気にも私をさせないことはなかった。……
私はベッドから起き上ると、窓を
開けに行った。しかしその窓のそとはすぐ高い石囲いで、石囲いの向うには曇った空と、隣りの庭のすっかり葉の落ちきった裸の枝先きが見えるきりだった。が、その窓を通して、しっきりなしに汽船のサイレンがはいってきた。その聞きなれない異様な叫びは、自分がいま東京から離れている、目に見えない長距離を、一瞬間、私の目に浮び上らせそうにした。そういう
喧騒の中からひょっくり生れてきかかった一種の旅愁に似たもの、――私は再び窓を閉じた。……
そうすると今度は、私の背中合わせの部屋から、タイプライタアの何かにじゃれているような音が聞えてきた。が、それはだんだんいらいらしたような音に変りながら、すぐ
止んでしまった。私はゆうべこのホテルに着くなりすぐ目に入れたところの、廊下の
隅にほうり出されていた、
錆びかかったようなタイプライタアを思い出した。――それにしても、一体いまは何時ぐらいなのか少しも分らない。まだ朝飯は食わしてくれるのかしらと思いながら、私はボオイを呼ぶために、窓とは反対の側の、ドアを
開けてみた。食堂は私の部屋と隣り合わせになっているらしい。そこからは途切れ途切れな話し声に
雑ってときどき皿にぶつかるスプーンやナイフの音が聞えてくる。……しかしそれは誰かがまだ朝飯を食べているのか、それとももう昼飯を食べ出しているのか、わからない。……どうも具合がへんだから、私はドアを開け放しにしておいて、もう食堂からボオイが出て来そうなものだと待ち伏せていた。
やっと食堂からボオイが姿を現わした。
支那人らしかった。私は彼が日本語を解するのかどうかを知らなかったので、英語と日本語をまぜこぜにしながら、
「Breakfast ――まだ出来る?」と聞いた。
「どうぞ――」と言ってボオイは
空皿をもった手で食堂の入口を示したが、そのまま無愛想にコック場の方へ行ってしまった。
私はなんだか一人きりでそんな食堂の中へはいって行くのが気づまりだったので、ボオイが再び皿を運んで来ながら私の部屋の前を通るのを待っていた。丁度その廊下の映っている鏡に向ってネクタイを何度も結び直しながら、あたかもそれがために
何時までも愚図愚図しているかのように装って。
やっとのことで再び姿を現わしたボオイの跡にくっついて食堂の中へはいってみると、食堂と云うのもほんの名ばかりであって、二つの部屋をぶち抜いて、そこに安っぽい花模様のあるクロオスを掛けた
卓子が五つか六つ置いてあるきりだった。中央の大きな卓子にはホテルの主人夫婦が
珈琲を飲んでいた。そうして向うの壁ぎわの隅の小さな卓子には、青色のブラウスを着て、ブロンドの髪をした十八九の娘がひとりと、それから中庭に面して一段低くなったヴェランダのようなところに卓子が二つ置いてあったけれど、その一つには、黒っぽい着物を着たふたりの女――
栗色の髪をして
綺麗に化粧した二十七八の若い女と老眼鏡をかけたその母親らしいのが差し向いで食事をしていた。そこのもう一方の
空いた卓子が私にあてがわれたのである。食堂の時計を見ると十一時近くであった。もうこんな時刻だのに、この食堂がこんな女達ばかりなのには私はちょっと異様な気がした。私が
這入ってゆくのを認めると、珈琲を飲みかけていた主人が私の方へ顔を向けて
微笑みかけながら「ゆうべはよく眠れたか?」と英語で
訊いた。それだけならいいが、それと同時に、他の女達が一ぺんに私の方をけげんそうにふり向いたので、私は少しどぎまぎしながら、反射的に微笑を浮べたまま、主人にうなずいて見せた。やがてこんな stranger によってちょっと中絶された会話をみんなは再び続け出したらしかった。ときどきヤポンスキイという言葉が混じる。ひょっとすると
俺のことでも話しているのかしらんと思いながら、そんな空想によってかすかな気づまりを感じながら、私は食堂の窓から、半ば寝ぼけた顔つきで中庭を眺めていた。が、それは中庭といっても、狭苦しくって、樹木なんぞは一本も
植っていず、ただ空箱の上に
一鉢の菊が置かれてあるっきりだった。しかもそれすら
汚らしく枯れたまんまだった。……
小さなトランクひとつ持たない風変りな旅行者の一種独特な旅愁。――私はさっぱり様子のわからない神戸駅に下りると、東京では見かけたことのない真っ白なタクシイを呼び止め、気軽に運賃をかけ合い、そこからそうしつけている者のように、元町通りの方へそれを走らせた。もっとも通行人を
罵る運転手の聞きなれないアクセントは私をちょっとばかり気づまりにさせたが。……
元町通り。店店が私には見知らない花のように開いていた。長い旅のあとなので、すっかり疲れきり、すこし熱気さえ帯びていたけれど、それでも私は見せかけだけは元気よくコツコツとステッキを突きながら、人々の跡から一体どんな方角へ行くのかわかりもせずに歩き続けていた。今夜何処へ泊ったものやらまだ目あてのない旅行者で自分があることに誰からも気づかれまいと思って……。私はとある珈琲店の中へ気軽そうにはいって行った。ただその店の名前が東京で私の行きつけている珈琲店の名前に似ていたばっかりに。私はそこから
須磨のT君のところへ電話をかけた。T君はすぐ私のいる店へ来ると言った。そうして私がまだ一杯のオレンジエードを飲んでしまわないうちに、そのT君が元気よくはいって来た。彼はベレ帽をかぶり、なんだか象の皮のような
外套を着込んでいた。
それから私たちは薄ぐらい山手通りを、狭い坂を上ったり下りたりしながら、小さなホテルから小さなホテルへと歩き廻っていた。しかし私の気に入ったホテルはひとつも無かった。私たちは再び中山手通りへ出た。しかしそのだだ広いだけ、かえって薄ぐらい感じのする電車通りには、ほとんど人影がなかった。T君が突然立ち止まった。そうして電車通りの向う側にある一つの赤ちゃけた小ぢんまりした建物を指さした。その家の上の、
煤けたなりに白白とした看板には、
HOTEL ESSOYAN
という横文字が、建物と同じような赤ちゃけた色で描かれてあるのが、ぼんやりと読めた。遠くからそれを一目見たきりで、その小さなホテルは私の気に入った。――と見ると、その電車通りに面した二階の窓の一つが開かれていて、それが細長い光りを暗い
鋪道の上にくっきりと落していた。そしてその窓からは、逆光線を浴びているので、年よりなのか若い女なのか見当のつかない、そして髪の毛だけがきらきらと金色に光っている、一つの女の顔が、そのホテルの方へと電車の線路を横切りつつある私たちの方を
窺うようにしていたが――それはちょっと無気味な感じだった――私たちがその窓の下までくると、向うでも私たちを恐れるかのように、その窓は閉されてしまった。
私たちは小さな石段を昇り、そこのベルを押した。しかし、いつまでも、誰も出て来そうな気配がしない。そこでT君が再びベルを押したり、ノッブを廻してみたりしている間、私は石段を下りて、もう一度それがホテルであるかどうかを確かめるため、さっきの看板をふり仰いで見た。そうしてその赤ちゃけた横文字をホテル・エソワイアンと読みにくそうに口の中で発音しながら、今度はその大きな横文字の下方に、ずっと小さな字で
TEL.と描かれてあるのまで認めた。しかしその電話番号のあるべき場所は空虚のまんまだった。そしてそこだけが気のせいか他処より一そう白白と見えるのは、そこに最近まで書かれてあった電話番号がいまは白いペンキで塗りつぶされてあるのかも知れなかった。
やっとのことで表扉が大きく
軋みながら開かれた。そしてその内側には、そのホテルの主人らしい、すこし頭の
禿げかかった、私たちよりも背の低いくらいな
毛唐が、ノッブを握ったまま突っ立っていた。T君が英語でもって部屋はあるかと声をかけた。するとその主人はそれよりもっと
下手糞な英語でそれに応じた。(私はへんに重々しげなアクセントによって彼が
露西亜人らしいのを認めた。)――いま自分のところには階下に小さな部屋が一つ空いているきりだ。それも丁度いまその部屋の借り手が東京へクリスマスをしに行っているので、その間だけなら貸すことが出来る、というような意味のことをT君に言っているらしかった。そんな部屋の交渉は一切T君に任せたきり、そこの玄関口に無雑作にほうり出されてある
埃まみれの
本棚だの、
錆びかかったタイプライタアだのへ目を注いでいた私は、やっと顔を持ち上げながら、どうせ私も二三日ぐらいしか泊らないつもりだからそれを見せて
貰おうじゃないかとT君を促した。T君がそれを主人に通訳してくれた。さっきからT君の方をばかり見ていたその主人は、今度はそのおずおずしたような視線を私の方へ注いで、ではひとつその部屋を見てくれと言いながら、先きに立って、便所やらコック部屋やら浴室やらの前を通りぬけながら、ずっと奥まった部屋へ――そんな奇妙なところに二つばかり小さな部屋があるのだが、その一つのなかへ私たちを導き入れた。
そんな奥まった小さな部屋へはいると、いきなりT君が
仏蘭西の何処とかの
田舎で泊ったことのある古い
旅籠の部屋にそれがそっくりだと言い出したので、私もそうかなあと思いながら、そこにある古ぼけた寝台だの、いやに大きな鏡ばりの衣裳戸棚だの、剥げちょろな鏡台だの、小さなナイト・テエブルだのを
眺め廻しているうち、それがいかにもそんな外国の片田舎にありそうな旅籠屋のような気がしだした。そしてこの悲しげな部屋がいまの私の心に不思議なくらい似つかわしいように思えた。
その小さな部屋が朝飯つきで一泊三円だという。そこで私はともかくも十円札を一枚だけ渡しておいた。そうすると、その時までともすると、小さなトランクひとつ持っていない私たちを妙に不安そうな眼つきで見がちだった、すこし頭の禿げたその主人は急にそわそわし出したように見えるくらい愛想よくなって、私の方を向きながら、それではお前もこちらにクリスマスを送りに来たのかなどと問い出した。私はまた私で、やがてその主人のかかえてきた大きな宿帳に、露西亜人や
波蘭人らしい名前ばかりの並んでいる下へ自分の名前をぶきっちょな
羅馬字で書きつけているうちに、クリスマスなんかを一向楽しいとも思ったことのない私であったが、なんだか不意に、明日からのクリスマスを楽しく送りに、わざわざこんな神戸くんだりまでやって来たかのような気にさえなり出したほどであった。……
T君が明日また正午頃来るからと約束して帰ってしまうと、私は
今朝から汽車に乗りどおしだったので、さすがに疲れていたし、どうやら熱もすこしあるらしいので、すぐ服をぬいで、シャツだけになって、寝台に横になった。それでもその部屋は小さいだけ、スティムで蒸し暑いくらいだった。が、さて横になってみると、私はこんな慣れない部屋の中ではなかなか寝つかれそうもなかった。あいにく読む本は一冊も持っていない。その時私は、つい今しがたこの部屋を片づけに来たホテルの主婦らしい女が、鏡台の
抽出しから腕いっぱいに書類を取り出して、それを他の部屋へ移そうとするのを見て、それはそのままにして置いてもいいと言ったら、それを又元のところへ入れ直して行ったのをひょっくり思い出した。私はベッドから起きて行った。そうしてその抽出しに手をかけようとした時、ちょっと気がとがめたが、どうせこんなところへ入れっ放しにして置くほどのものなら大事なものではあるまいと思い直して、それを構わずに開けてみた。抽出しの中はなんだか私の読めない露西亜語の本ばかり詰まっていたが、なかに一冊
独乙語の薄っぺらな本の雑っているのを見つけた。それから小さな独露辞書らしいものもあった。その薄っぺらな本を手にとって見ると、モスコオで発行されたハイネの小さな詩集であった。これゃあいいものがあったと、私はそれを手にしたまま、再びベッドにもぐり込んだ。ぱらぱらと
頁をめくってみると、或る頁に名刺ぐらいの大きさの写真が一枚

んであった。
雀斑のありそうな、若い男の写真である。この露西亜人らしい男が、この部屋の借り手で、そしてこのハイネの詩集を読んでいるのかと思ったら、ちょっと
懐しい気がした。私はそれを注意深くもとの頁に

んで、それからこんどはその巻頭にある「五月に」(
Im Mai)という詩を、一字一字丁寧に見つめながら読んでいった。
Die Freunde, die ich gek

sst und geliebt,
Die haben das Schlimmste an mir ver

bt.
Mein Herz bricht ……
――しかし独乙語はなにしろ高等学校でちょっと習ったきりなので、その詩のなかの
太陽だとか
薔薇だとか
心臓だとか
五月の空だとか、そんな簡単な名詞ぐらいは覚えていたけれど、
肝腎な形容詞や動詞をすっかり胴忘れてしまっているので、私は自分の空想力でやっとそれを補いながら読んでみたのであるが、どうもそんな私に分かる
語彙だけから見ると、その詩はおよそ私の現在の気持からはあまりに
懸け離れていそうに思えたので私はその詩の意味をちっとも
嚥み込めないうちに、その小さな本を私の
枕もとに伏せてしまった。それに私はいい具合にすこしうとうとしだしたものだから……
正午ごろ、T君が私を誘いに来てくれた。それから二人でホテルを出ると、一時間ばかり古本屋だの古道具店だのをひやかしたのち、海岸通りのヴェルネ・クラブに行った。しゃれた仏蘭西料理店だ。そこの客は大概外国人ばかりだった。私たちが一隅の卓で殻つきの
牡蠣を食っていると、
兎の耳のようにケープの
襟を立てた、美しい、小柄な、仏蘭西女らしいのが店先きにつと現われて、ボオイをつかまえ、大事そうに両手でかかえている風呂敷包を示しながら、何やら片言まじりの日本語で
喋舌っている。私には「ネープルをもってきました」と言ったようにそれが聞えた。ボオイはなんだか
解らないような顔をして奥へ引っ込んでいったが、それと入れちがいにその料理店の主人らしいのが出て来て、仏蘭西語で愛想よく一人一人に
挨拶をしながら客たちの間を通り抜けて、その婦人の方へ近よって行った。その時その婦人が風呂敷包を開けながら、ヴェルネ氏に渡したものをちらっと見ると、それは一匹の可愛らしい三毛猫であった。ネコといったのを私はネープルと聞きまちがえたのであった。ヴェルネ氏はそれをにこにこして受取りながら、しきりに
Tr
s bien ! Tr
s bien ! と繰り返している。おしまいには婦人までが
鸚鵡がえし
に
Tr
s bien ? と二度ばかり口ごもる。低くはあるが、いかにも満足したような声である。
私たちはそれからマカロニイやら何やらを食べて、その店を出た。そうして私たちはすぐ近くの
波止場の方へ足を向けた。あいにく曇っていていかにも寒い。海の色はなんだかどす
黝くさえあった。おまけに私がそいつの出帆に立会いたいと思っていた欧洲航路の郵船は、もうこんな年の暮になっては
一艘も出帆しないことがわかった。私の失望は
甚だしかった。そうしてただ小さな蒸汽船だけが石油くさい波を立てながら右往左往しているきりだった。ときどき私たちとすれちがって行く仏蘭西の水兵たちの帽子の上に、ポンポン・ルウジュが、まるで
嬉しがっている心臓のように、ぴょんぴょん
跳ねていたが、それが私の沈んだ心臓と良い
対照をした。海岸通りの何とかいう薬屋のショオウィンドを
覗いたら、パイプやなんかと一緒に五六冊、
英吉利語の本が陳列されてあった。そのなかにふと
海豚叢書の「プルウスト」を見つけたので、ゆうべの読みづらかったハイネの詩集を思い出しながら、その薬屋のなかへ這入ってその小さな本を買った。T君の話では、この店にはときどき随筆物で面白い本が来るのだそうだ。それからまた、私たちはその窓から電話やタイプライタアの
強請ったり
吃ったりする音の聞えてくる商館の間を何となくぶらぶらしてみたり、今では魚屋や
八百屋ばかりになった狭苦しい
南京町を肩をすり合せるようにして通り抜けたりしたのち、今度はひっそりした
殆ど人気のない東亜通りを、東亜ホテルの方へ
爪先きあがりに上った。その静かな通りには
骨董店だの婦人洋服店だのが軒なみに並んでいる。ヒル・ファルマシイだとか、エレガントだとか云う店は毎年軽井沢に出張しているので私には懐しく、ちょっとその前を素通りしかねた。とあるネクタイ屋のショオウィンドに
洒落れたネクタイが飾ってあるので近づいて行って、覗こうとしたら、何処からか犬が私たちに
吠えついた。あたりを見廻しても、犬なんかいないのだ。やっと気がついて頭を持ち上げて見ると、そのネクタイ屋の二階には看板の代りに、このへんの大概の洋館のようにバルコンがついていて、そこの緑色の亜字欄に
精悍そうなシェパアドが一匹縛りつけられていたが、そいつが私たちに吠えているのであった。ネクタイ屋の看板にしては、これはすこし
物騒すぎる。聖公教会の門のところに、まるで
葡萄の
房みたいに
一塊りに、
乞食どもがかたまっている。私たちがそれを不思議そうに見過ごしながら、それからすこし急な坂を上ってゆくと、今度は一軒の立派な花屋の前に、何台も何台も、
綺麗な自動車ばかりがかたまっている。その時やっと教会と乞食と花とが私の頭のなかで
唐草模様のように
絡み合って、私に、今夜がクリスマス・イヴであるのを思い出させた。……私はそこでT君の方へふりかえりながら言った。
「これから外人墓地へでも行ってみようか?」
「うん――君さえ元気があれば行ってもいいよ……」
「そうだなあ……」
……自分で言い出しておいて、私はちょっと首をかしげる。そんな会話を
交しながら、いつの間にか私たちの歩いている山手のこのへんの異人屋敷はどれもこれも古色を帯びていて、なかなか情緒がある。大概の家の壁が草色に塗られ、それがほとんど一様に
褪めかかっている。そうしてどれもこれもお
揃いの
鎧扉が、或いはなかば開かれ、或いは閉されている。多くの庭園には、大粒な黄いろい果実を
簇がらせた
柑橘類や紅い花をつけた
山茶花などが植わっていたが、それらが曇った空と、草いろの鎧扉と、不思議によく調和していて、言いようもなく美しいのだ。……T君もひさしぶりにこの辺まで上って来たものらしく、さっきからしきりに
此処いらまでよく遊びに来たことのある昔のことを思い出してはひとりで
懐しがっている。私は私で、こんなユトリロ好みの風景のうちに新鮮な喜びを
見出している。こんな家に自分もこのまま半年ばかり落着いて暮らしてみたいもんだなあと空想したり、こういうところでその幼時を過したT君のことを
羨ましがったりしながら、だんだん狭くなってくる坂を上ったり下りたりしているうちに、今度はT君の方が首をかしげだした。どうやら彼自身のこんがらがった幼時の思い出をほごすのにあんまり夢中になり過ぎていたT君は、いつの間にやら、私たちの
目指している外人墓地への方角を間違えてしまっているらしかった。その
挙句に
漸っと彼は、私たちが飛んでもない見当ちがいな、或る丘の頂きに上って来てしまったことを、気まり悪そうに私に白状した。そうして私たちの上って来たやや険しい道は、一軒の古い大きな風変りな異人屋敷――その一端に六角形の望楼のようなものが
唐突な感じでくっついている、そして
棕梠だのオリイブだのの珍奇な植物がシンメトリックな構図で植わっている美しい庭園をもった、一つの洋館の前で、行きづまりになっていた。そうして少しがっかりして、息をはずませながら、その風変りな家に見とれている私たちの姿を目ざとく認めると、黄色に塗られた
鉄柵ごしに、その庭園の中から一匹のシェパアドが又しても私たちに
吠え出した。私はあんまり犬が好きじゃないのだ。どうもこの辺もいいけれど、もの静かに散歩をするには、すこしシェパアドが多過ぎるようだ。
夕方、私たちは下町のユウハイムという古びた
独乙菓子屋の、奥まった大きなストーブに体を温めながら、ほっと一息ついていた。
其処には私たちの他に、もう一組、
片隅の長椅子に独乙人らしい一対の男女が並んで
凭りかかりながら、そうしてときどきお互の顔をしげしげと見合いながら、無言のまんま菓子を突っついているきりだった。その店の奥がこんなにもひっそりとしているのに引きかえ、店先きは、入れ代り立ち代りせわしそうに
這入ってきては、どっさり菓子を買って、それから再びせわしそうに出てゆく、大部分は外人の客たちで、目まぐるしいくらいであった。それも大抵五円とか十円とかいう金額らしいので、私は少しばかり
呆気にとられてその光景を見ていた。それほど、私はともすると今夜がクリスマス・イヴであるのを忘れがちだったのだ。
私はなんだかこのまんま、いつまでも、じっとストーブに温まっていたかった。しかし私は旅行者である。何もしないで、こうしてじっとしていることも、後悔なしには、出来ないのである。
やがて若い独乙人夫婦は、めいめい大きな包をかかえながら、この店を出て行った。
JUCHHEIMと
金箔で横文字の描いてある
硝子戸を押しあけて、五六段ある石段を下りて行きながら、男がさあと
蝙蝠傘をひらくのが見えた。私は一瞬間、そとには雪でも降りだしているのではないかしらと思った。ここにこうしてぼんやりストーブに温まっていると、いかにもそんな感じがして来てならなかったが、静かに降りだしているのは霧のような雨らしかった。
その夜十二時近くに、私はすっかり雨に
濡れ、力なげな
咳さえしながら、午前中に出たきりのホテル・エソワイアンに帰って来てみると、その中はひっそりかんとして、誰もまだ帰ってきていないのか、それとももうみんな寝てしまったのか、分らないくらいだった。薄ぐらい廊下にただ一匹、からす猫がうろうろしていた。私はふとヴェルネ・クラブでちらっと見た美しい婦人の抱いていた
仔猫のことを思い出し(どうしてだか、それがずっと数日前のような気もしたが)、そのきたならしい猫をそっと抱き上げて、
咽喉のところを
撫でてやったら、すぐにそいつが咽喉をごろごろ鳴らし出したので、私はなんだか
反ってさびしい気がした。床におろしてやると、私の足へ身をすりよせるようにして、ついてくるのだ。すこし邪魔っけになって、私はその猫を足で向うへ押しやりながら、自分の部屋にはいろうとしてそのノッブに手をかけた拍子に、ひょいと薄ぐらい廊下の突きあたりを見すかすと、其処に、二階への階段へちょっと片足をかけたまま、ぼんやりした人影がこちらへ顔を向けながら突っ立っているのに気がついた。それは女にはちがいないが、その顔は電燈の片光りを浴びて、へんに無気味な
凸凹をつくっているので、それが少女の顔なのか年よりの顔なのか私にはどうしても識別できなかった。私はふと最初の晩、ホテルの窓から顔を出していた女のことを思い出した。その時と同じように、その髪の毛だけきらきらと金色に光っていたが、その髪の
恰好は今朝私が食堂で見かけた青衣の少女のそれとそっくりだった。……私はなんだかぞっとしたような気持になって、急いで部屋にはいるなり、ドアをぴたんと閉めてしまった。それをうるさい猫のせいにして。……それから私が着物をぬいでいる間中、その猫はそのドアを外から
爪でがりがり
掻いていたが、私がベッドに横になった時分は、もうあきらめたのか、その爪の音はしなくなった。とても疲れていて、さっきまでは眠くっていまにも倒れそうであったのに、さて電燈を消してしまうと、よくあるやつだが、急に目が
冴え
冴えとしてきた。そこでしょうことなし、再び電燈をつけ、今日買ってきたばかりの「プルウスト」を
出鱈目に
披きながら読み出した。そうしてひょっくり読みあてたのが、こんな一節であった。
――ノルマンディ海岸のバルベックに少年がはじめてお
祖母さんと一しょに到着した晩のことである。彼
等はグランド・ホテルに泊る。彼は自分の部屋にはいる。長い旅のあとなので、すこし熱気を帯び、ぐったりと疲れて。しかし眠ることは、こんな見慣れぬ家具類のなかでは、とても出来そうもない。習慣が、時計の音を黙らせたり、
菫色のカアテンの敵意を弱めたり、家具を動かしたりする余裕がないのだ。こんな気味の悪い部屋のなかに、と云うよりも、まるで野獣の
洞窟のような中に、たった一人きりで、四方八方から
異形のものに取り囲まれているよりか、むしろ死んでしまいたいと少年は思う。お祖母さんがはいって来て、彼をなぐさめ、彼が靴のボタンをはずすのを手つだい、着物をぬがせ、彼をベッドに入れてくれ、そしてそこを立ち去る前に、もし夜中に何か彼女にして
貰いたいことがあったら、彼の部屋と彼女の部屋との間の仕切りをノックするようにと言い残して行く。彼がノックをすると、お祖母さんはすぐ来てくれる。しかしその夜をはじめ、それから幾夜となく、彼は苦しむ。――彼は愛人のジルベルトなしに
何時までも生きなければならないのではないかという考えや、彼の両親を永久に失うのではないかという考えや、彼自身の死の考えに恐怖しだす。しかしそういうような愛人や両親や自分自身から離れている不安は、その不安に慣れるにしたがって、彼自身もだんだん平気になって行くのではないかと考えはじめた
刹那、それは一層大きな恐怖に変わる。
何故なら、習慣の
錬金術がこうして苦しんでいるものを完全な
無関心者(その者にはそんな苦しみの原因が全く
莫迦げたものに思われるのだ)に変えてしまい、そうしてその時こそは彼の愛情の対象が消えるのみならず、その愛情そのものさえ消えてしまうかも知れないからだ……
――ふとそんな一節を読みあてた
頁から私は目をそらして、私にはまだ慣れきっていない自分の部屋を
眺めまわしたのち、それから目をつぶって、
今朝のちょっと無気味だった
眼覚めを心のうちにまざまざと
蘇らせた。……
翌朝、私が目をさましたのは昨日よりもまたずっと遅いらしかった。例の
支那人のボオイを呼んで、朝飯はまだ食わせてくれるかと聞いたら、すこし怒ったような顔つきをして、朝食を食べるならもう少し早く起きてほしい、もう十二時だ、と
下手糞な日本語で、それだけ一層そう見えるのかも知れないが、私にかなり
突慳貪な返事をした。が、私が食堂の中へはいって見るとそこにはまだ昨日と同じように三人の女が遅い朝飯に向っていた。私の隣りのテエブルの
母娘づれらしい方は、ふたりとも昨日と同じの黒い衣服をつけて、若い女の方は相変らず綺麗に化粧をしていたが、もう一方の、私がきのうは十八九の少女だとばかり思い込んでいた金髪の娘の方は、今朝は光線の具合でか、まるで顔が
皺だらけで、三十をこしていそうに思えるくらいに
老けて見えた。私はおとついの窓の女も、ゆうべ廊下で出会った少女なのか年よりなのかわからない女も、ひょっとしたらこの女だったのかも知れないぞと思った。おまけに今朝は寝間着らしいものの上にけばけばしい緑色のガウンをだらしなく引っかけたまま、トオストを
齧りながら、
栗色の髪の若い女が何やらもの静かに話しかける
度毎に、荒あらしくそちらへ体をねじ曲げては無雑作に答えるかと思うと、そのついでに私の方をも無遠慮に見つめたりした。私はなんだかいやな気がして、その女から眼をそらしながら、ふとその眼を私がときどきふんづける小さな
軟かなものの方へ持って行くと、それが
三鞭酒の
栓らしいことを認めた。ははあ、ゆうべは此処でも三鞭酒を抜いたんだな?……こいつらが騒いだのかしら? それにしてもこいつらは一体何者だろう、私にはとんと得体が知れない。……と、そんなことを考えながら、私が靴でその小さな栓を踏みにじっていると、食堂のドアを
開けてのっそりと、まだこのホテルで私の見かけたことのない、何処やらちょっとクライブ・ブルックめいた中年の紳士が、寝ぼけたような顔をして、
這入って来た。そうしてなんだか寒そうに手を
揉みながら、女たちに何か私にはわからない冗談を言っているらしかったが、そこへ丁度、ボオイが、私のためにポリッジを運んできたので、そいつをつかまえて、「朝飯出来ますか?」とぎごちない英語で聞いていた。支那人のボオイはますます
仏頂面をしだして、その男のために中央の円卓子の上を
不機嫌そうに片づけ始めた。それを見ると私はなんだか急に微笑がしたくなった。そうして私のテエブルに砂糖がないことに気がついて、それをボオイに言おうと思っていた私は、ついその男の方に気をとられて、それを言いそびれていた。……そのうちにどうしてだか突然、私には、この食堂の
隅々にまで漂っていそうな、陰惨というほどのものではないけれど、何かしら重苦しい、
澱んだ空気が
呼吸苦しく覚えられだした。そしてそれをあたかも具体化したように、私の咽喉はへんにえがらっぽくなり出した。どうもすこし
扁桃腺をやられたらしい。そうして砂糖なしのポリッジは大へん
不味かった。
私はこのホテル・エソワイアンには、四日ばかり泊った。三日目ごろからますますこのホテルの中の
噎ぶような重い空気が私には我慢しきれなくなった。何ということなしに世間の空気が息苦しくなったあまりに、その息ぬきにわざとこんな世間から離れたようなホテルを選んで泊ったのであるけれど、このホテルの中のそういう空気は私を一そう窒息させそうにした。私はもっと新鮮な、そして気持のいい空気がほしくなった。私はとうとう
須磨の方へ宿を替えることにした。
そうして私がこのホテルを立ち去ろうとする前に、最後に私の経験したいかにもこのホテルらしい
異様なことは、一泊三円という約束だった宿泊料が四晩泊って十一円であったこと、それは何も特別に一円負けてくれたのではなしに、あの頭のすこし
禿げかかったお人好しらしい主人が熱心に首をかしげて暗算した合計であったので、私は例の気まぐれから大いに愉快になり、すましてその通りに勘定を支払い、そしてそれだけ余分に私にはかなり無愛想だった支那人のボオイにチップを置いて来てやったことだった。どうも気まぐれというものは多少メフィスティックなものであるらしい。
その一週間ばかりの小さな旅行の後、私はすっかり扁桃腺をこじらせて、八度近い熱を出しながら、東京へ帰って来た。――そうしてそれなり寝ついてしまった私は、或る日、ふと
手許にあったレクラム版のハイネの詩集をめくっているうち、ホテル・エソワイアンに泊った最初の晩、なかば眠りに浸っていた眼をいたずらにその文字面にさまよわせていたところの「五月に」という詩をひょっくり読みあてたので、今度は一字一字、小さな独和辞書を引っぱりながら読んでみたら、そのときは半分以上も字の意味が分らないままに自分勝手にそれをハイネ好みの甘美な詩に仕上げてしまっていた
奴が実はハイネの晩年の、彼の愛していた友人たちからひどい仕打ちをされ、心臓の破れるような思いをしていた頃の、ひどく絶望的な詩であることを知って、私は
愕然とした。その詩の最後の
一聯のごときは、
しかしここでは太陽と薔薇とが
なんと残酷に私を突き刺すことよ!
そうして五月の青い空は私を嘲っている。
おお美しい世界よ、お前は本当に厭わしい!
というような意味でさえあるのだ。つまり、私の忘れていた独乙語のほとんどすべてが
呪詛の文字だったのである。そして私がそれらの不可解な文字の上にながいこと眼をさまよわせているうちに、それが解らないなりにそのとき私の気持からはあまりに
懸け
離れているもののように私に思いなされたところのその詩は、実はそのときの私自身の気持さながらであったのだ。