独逸でのクリスマスを思い出します。
雪が絶間もなく、チラチラチラチラと降って居るのが、ベルリンで見て居た冬景色です。街路樹の菩提樹の葉が、黄色の吹雪を絶えずサラサラサラ撒きちらして居た。それが終ると立樹の真黒な枝を突張った林立となる。雪がもう直ぐに来るのです――そしてクリスマス。
バルチック海から吹き渡って来る酷風が、街の
菓子屋の店を覗く。豚のびっくりするような大きいチョコレート菓子可愛ゆい麦粉菓子のヒヨコ、馬鈴薯が本物かと思ったらやっぱり何かを練ってつくったお菓子なのです。それらの間をつづってオリーブのつくり葉が、金銀のモール線を綾なして居るのは、どこでも同じしつらえではあるが、独逸はやっぱり独逸らしい。靴屋の安売――運動靴に、
と言うと、靴屋の主人気むずかしい顔で愛嬌よく笑って、
――ほんとうですとも、いくらだってクリスマス前に売っちまわなけりゃあ、これが今の独逸の「クリスマス値段」ですから。
そうしてみると、日本の大晦前のような財政情況なのかな、と私は覚りました。花屋の店の氾濫、カード屋のカード字も独逸風のややっこしい装飾文字が太く賑やかに刷られて居るのも、他の国のとは自然違う感じです。
道端、街角、寸隙の空地、あらゆる所に樅の小林が樹ちます。ベルリン郊外の森林から伐り出して来るのです。世界で一番ベルリンがクリスマスツリーを、氾濫させるのだそうです。多く質朴な農夫の夫妻らしいのが、番をして売って居ます。絶えず降り積もる雪が地面にたまって根の無い樅を

さて、いよいよ私がベルリンで経験したクリスマスの当日になりました。朝、一番早く私の扉をたたいたのは、家主の娘さんでした。娘さんは、国から国へ渡って歩くレヴュー・ガールでした。娘さんは、その時スイッツルの雪娘に扮する時の着物を着て来ました。純白に襞の多い着物と、頭の白い花の冠が非常によく似合い、私に持って来たクリスマス・プレゼントのチョコレートの箱の飾リボンの縁が、清楚にうつり合った色彩は、私に思わずつかつかと傍へ寄らしてしまったような、好もしい感じを与えました。だが娘さんは、私に箱を与えると、いつもの懐しげな様子に似ずどんどん早足に帰ろうとします。私はお返しが上げ度くも気がせいて、手近に有合せの日本から持って行ったものを、一つかみにしてあとを追いました――猫の毛でつくった日本の細筆三本、五色のつまみ細工の小箱一つ、桜の縫いのしてあるハンカチ一枚――あとで考えても、おかしな贈物でした。直ぐあとから、こつこつ可愛らしい靴の足音がして、パン屋の七つになる女の児が、パンとお砂糖でつくった猫を持って来て呉れた。猫の首まきへ私がいつか教えてやった[#「やった」は底本では「やつた」]日の丸を真似てこしらえた小さな日章旗と独逸の旗を二本


午後からは、男女まぜこぜのベルリン大学のお友達が沢山来た。日本のごもくめしの好きな連中でした。夕方から、そのなかのSというプロレタリア党が「俺達の教会」へ私を連れて行こうと言うのです。するとN嬢が、その前に百貨店の飾窓のクリスマス・デコレーションを、私に是非見せ度いと言い張りました。プロレタリア党は、じゃFちゃんNちゃんTちゃんプチブル党だけが行って来な。俺達は茲で疲れやすめだ(クリスマス前夜の賑かな労働者街のダンスホールで踊り明したのでしょう。)と言って椅子の背へもたれてしまいました。
諸嬢と市中へ行く。世界的百貨店[#「百貨店」は底本では「百貸店」]、ウェルトハイムの大飾窓に
「俺達の教会」では思わず吹き出し、そして感心しちまった――何とおめえ達そうじゃあねえか、信ぜよ、そして働けよ、だ。――これがプロレタリア牧師さんの言葉。聴手は勿論プロレタリア諸君。夜は医科大学生F兄弟の宅へ招ばれ、素晴らしく大きなクリスマス・ツリーの下で御馳走になり乍ら、医科大学の教室でつくるツリーへかける飾付けは、人間の心臓や肺、そのあらゆる人体諸臓器の形をボール紙で造らえて