生い立ち
わたしは
捨て
子だった。
でも八つの年まではほかの子どもと同じように、母親があると思っていた。それは、わたしが
泣けばきっと一人の女が来て、
優しくだきしめてくれたからだ。
その女がねかしつけに来てくれるまで、わたしはけっしてねどこにははいらなかった。冬のあらしがだんごのような雪をふきつけて
窓ガラスを白くするじぶんになると、この女の人は両手の間にわたしの足をおさえて、歌を歌いながら
暖めてくれた。その歌の
節も
文句も、いまに
忘れずにいる。
わたしが外へ出て
雌牛の世話をしているうち、急に夕立がやって来ると、この女はわたしを
探しに来て、
麻の前かけで頭からすっぽりくるんでくれた。
ときどきわたしは
遊び
仲間とけんかをする。そういうとき、この女の人はじゅうぶんわたしの言い分を聞いてくれて、たいていの場合、
優しいことばでなぐさめてくれるか、わたしの
肩をもってくれた。
それやこれやで、わたしに物を言う調子、わたしを見る目つき、あまやかしてくれて、しかるにしても
優しくしかる様子から見て、この女の人はほんとうの母親にちがいないと思っていた。
ところでそれがひょんな
事情から、この女の人が、じつは
養い
親でしかなかったということがわかったのだ。
わたしの村、もっと正しく言えばわたしの育てられた村は――というのが、わたしには父親や母親という者がないと同様に、自分の生まれた村というものがなかったのだから――で、とにかくわたしが子どもの時代を
過ごした村は、シャヴァノンという村で、それはフランスの中部地方でもいちばんびんぼうな村の一つであった。
なにしろ土地がいたってやせていて、どうにもしようのない場所であった。どこを歩いてみても、すきくわのはいった田畑というものは少なくて、見わたすかぎりヒースや
えにしだのほか、ろくにしげるもののない草原で、そのあれ地を行きつくすと、がさがさした
砂地の高原で、風にふきたわめられたやせ木立ちが、所どころひょろひょろと、いじけてよじくれたえだをのばしているありさまだった。
そんなわけで、木らしい木を見ようとすると、
丘を
見捨てて谷間へと下りて行かねばならぬ。その谷川にのぞんだ川べりにはちょっとした
牧草もあり、空をつくようなかしの木や、ごつごつしたくりの木がしげっていた。
その谷川の早い
瀬の
末がロアール川の
支流の一つへ流れこんで行く、その岸の小さな家で、わたしは子どもの時代を送った。
八つの年まで、わたしはこの家で男の
姿というものを見なかった。そのくせ、『おっかあ』と
呼んでいた人はやもめではなかった。
夫というのは
石工であったが、このへんのたいていの
労働者と同様パリへ仕事に行っていて、わたしが
物心ついてこのかた、つい一度も帰って来たことはなかった。ただおりふしこの村へ帰って来る
仲間の者に、
便りをことづけては来た。
「バルブレンのおっかあ、こっちのもたっしゃだよ。
相変わらずかせいでいる、よろしく言ってくれと言って、このお金を
預けてよこした。数えてみてください」
これだけのことであった。おっかあも、それだけの
便りで
満足していた。ご
亭主がたっしゃでいる、仕事もある、お金がもうかる――と、それだけ聞いて、
満足していた。
このご
亭主のバルブレンがいつまでもパリへ行っているというので、おかみさんと
仲が悪いのだと思ってはならない。こうやって
留守にしているのは、なにも気まずいことがあるためではない。パリに
滞在しているのは仕事に引き
留められているためで、やがて年を取ればまた村へ帰って来て、たんまりかせいで来たお金で、おかみさんと気楽にくらすつもりであった。
十一月のある日のこと、もう日のくれに、見知らない一人の男がかきねの前に立ち止まった。そのときわたしは、
門口でそだを
折っていた。中にはいろうともしないで、かきねの上からぬっと頭を出してのぞきながら、その男はわたしに、「バルブレンのおっかあのうちはここかね」とたずねた。
わたしは、「おはいんなさい」と言った。
男は
門の戸をきいきい言わせながらはいって来て、のっそり、うちの前につっ立った。
こんなよごれくさった男を見たことがなかった。なにしろ、頭のてっぺんから足のつま先まで板を
張ったようにどろをかぶっていた。それも半分まだかわききらずにいた。よほど長いあいだ、悪い道をやって来たにちがいない。
話し声を聞いて、バルブレンのおっかあはかけだして来た。そして、この男がしきいに足をかけようとするところへ、ひょっこり顔を出した。
「パリからことづかって来たが」と男は言った。
それはごくなんでもないことばだったし、もうこれまでも何べんとなく、それこそ耳に
たこのできるほど聞き
慣れたものだったが、どうもそれが『ご
亭主はたっしゃでいるよ。
相変わらずかせいでいるよ』という、いつものことばとは、なんだかちがっていた。
「おやおや。ジェロームがどうかしましたね」
と、おっかあは両手をもみながら声を立てた。
「ああ、ああ、どうもとんだことでね。ご
亭主はけがをしてね。だが気を落としなさんなよ。けがはけがだが命には
別状がない。だが、かたわぐらいにはなるかもしれない。いまのところ病院にはいっている。わたしはちょうど病室でとなり合わせて、今度国へ帰るについて、ついでにこれだけの事をことづけてくれとたのまれたのさ。ところで、ゆっくりしてはいられない。まだこれから三里(約十二キロ)も歩かなくてはならないし、もうおそくもなっているからね」
でもおっかあは、もっとくわしい話が開きたいので、ぜひ
夕飯を食べて行くようにと言ってたのんだ。道は悪いし、森の中にはおおかみが出るといううわさもある。あしたの朝立つことにしたほうがいい。
男は
承知してくれた。そこで
炉のすみにすわりこんで、
腹いっぱい食べながら、
事件のくわしい話をした。バルブレンはくずれた足場の下にしかれて大けがをした。そのくせ、そこはだれも行く用事のない場所であったという
証言があったので、
建物の
請負人は一文の
賠償金もしはらわないというのである。
「ご
亭主も
気のどくな。運が悪かったのよ」
と、男は言った。
「まったく、運が悪かったのよ。世間にはわざとこんなことを
種に、しこたませしめるずるい
連中もあるのだが、おまえさんのご
亭主ときては、一文にもならないのだからな」
「まったく運が悪い」と男はこのことばをくり返しながら、どろでつっぱり返っているズボンをかわかしていた。その口ぶりでは、手足の一本ぐらいたたきつぶされても、お金になればいいというらしかった。
「なんでもこれは、
請負人を
相手どって
裁判所へ持ち出さなければうそだと、おれは
勧めておいたよ」
男は話のしまいに、こう言った。
「まあ。でも
裁判なんということは、ずいぶんお金の
要ることでしょう」
「そうだよ。だが勝てばいいさ」
バルブレンのおっかあは、パリまで出かけて行こうかと思った。でも、それはずいぶんたいへんなことだった。道は遠いし、お金がかかる。
そのあくる朝、わたしは村へ行ってぼうさんに
相談した。ぼうさんは、まあ向こうへ行って役に立つかどうか、それがよくわかったうえにしないと、つまらないと言った。それでぼうさんが
代筆をして、バルブレンのはいっている
慈恵病院の
司祭にあてて、手紙を出すことにした。その返事は二、三日して着いたが、バルブレンのおっかあは来るにはおよばない、だが、ご
亭主が
災難を受けた
相手にかけ合うについて、
入費のお金を送ってもらいたいというのであった。
それからいく日もいく週間もたった。ときおり手紙が届いて、そのたんびにもっと金を送れ金を送れと言って来る。いちばんおしまいには、これまでの手紙よりまたひどくなって、もう金がないなら、
雌牛のルセットを売っても、ぜひ金をこしらえろと言って来た。
いなかで
百姓の
仲間にはいってくらした者でなければ、『雌牛を売れ』というこのことばに、どんなにつらい、悲しい思いがこもっているかわからない。百姓にとって、雌牛のありがたさは、一とおりのものではなかった。いかほどびんぼうでも、
家内が多くても、ともかくも
雌牛が
飼ってあるあいだは、
飢えて死ぬことはないはずだ。
それにうちの雌牛は、なにより
仲よしのお友だちであった。わたしたちが話をしたり、その
背中をさすってキッスをしてやったりすると、それはよく聞き分けて、
優しい目でじっと見た。つまりわたしたちはおたがいに
愛し合っていたと言えば、それでじゅうぶんだ。
けれどもいまはその
雌牛とも、わたしたちは
別れなければならなかった。『雌牛を売る』それでなければ、もうご
亭主を
満足させることはできなかった。
そこでばくろう(馬売買の商人)がやって来て、細かく雌牛のルセットをいじくり回した。いじくり回しながらしじゅう首をふって、これはまるで役に立たない。
乳も出ないしバターも取れないと、さんざんなんくせをつけておいて、つまり引き取るには引き取るが、それもおっかあが正直な、いい人で気のどくだから、引き取ってやるのだというのであった。
かわいそうに、ルセットも、自分がどうされるかさとったもののように、牛小屋から出るのをいやがって鳴き始めた。
「後ろへ回って、たたき出せ」とばくろうはわたしに言って、首の回りにかけていたむちをわたした。
「いいえ、そんなことをしてはいけない」とおっかあはさけんだ。
それでルセットのはづな(馬の口につけて引くつな)をつかまえながら、
優しく言った。
「さあ、おまえ出ておくれ。ねえ、いいかい」
ルセットはそれをこばむことができなかった。それで
往来へ出ると、ばくろうはルセットを車の後ろにしばりつけた。馬がとことこかけだすと、ルセットはいやでもあとからついて行かなければならなかった。
わたしたちはうちの中にはいったが、しばらくのあいだまだルセットの鳴き声が聞こえていた。
もう
乳もなければバターもない。朝は一きれのパン、
晩は
塩をつけたじゃがいものごちそうであった。
雌牛を売ってから四、五日すると、
謝肉祭が来た。一年まえのこの日には、バルブレンのおっかあが、わたしにどら
焼きと
揚げりんごのごちそうをこしらえてくれた。それでたくさんわたしが食べると、おっかあはごきげんで、にこにこしてくれた。
けれどそのときは
揚げ
物の
衣がパン
粉をとかす
乳や、揚げ物の油のバターをくれるルセットがいた。
もうルセットもいない、
乳もない、バターもない、これでは、
謝肉祭もなにもないと、わたしはつまらなそうに
独り
言を言った。
ところがおっかあはわたしをびっくりさせた。おっかあはいつも人から物を
借りることをしない人ではあったが、おとなりへ行って
乳を一ぱいもらい、もう一けんからバターを一かたまりもらって来て、わたしがお昼ごろうちへ帰って来ると、おっかあは大きな
土なべにパン
粉をあけていた。
「おや、パン粉」とわたしはそばへ
寄って言った。
「ああ、そうだよ」と、おっかあはにっこりしながら答えた。「上等なパン粉だよ、ご
覧、ルミ、いいかおりだろう」
わたしはこのパン
粉をなんにするのか知りたいと思ったが、それをおしてたずねる
勇気がなかった。それにきょうが
謝肉祭だということを思い出させて、おっかあをふゆかいにさせたくなかった。
「パン
粉でなにをこさえるのだったけね」とおっかあはわたしの顔を見ながら聞いた。
「パンさ」
「それからほかには」
「パンがゆ」
「それからまだあるだろう」
「だって……ぼく知らないや」
「なあに、おまえは知っていても、かしこい子だからそれを言おうとしないのだよ。きょうが
謝肉祭で、どら
焼きをこしらえる日だということを知っていても、バターとお
乳がないと思って、言いださずにいるのだよ。ねえ、そうだろう」
「だって、おっかあ」
「まあとにかく、きょうのせっかくの
謝肉祭を、そんなにつまらなくないようにしたつもりだよ。このはこの中をご
覧」
わたしはさっそくふたをあけると、
乳とバターと
卵と、おまけにりんごが三つ、中にはいっていた。
わたしがりんごをそぐ(小さく切る)と、おっかあは
卵を
粉に
混ぜて
衣をしらえ、
乳を少しずつ混ぜていた。
衣がすっかり
練れると、
土なべのまま、
熱灰の上にのせた。それでどら
焼きが焼け、
揚げりんごが揚がるまでには、
晩食のときまで待たなければならなかった。正直に言うと、わたしはそれからの一日が、それはそれは待ち遠しくって、何度も、何度も、おさらにかけた
布を取ってみた。
「おまえ、
衣にかぜをひかしてしまうよ。そうするとうまくふくれないからね」とかの女はさけんだ。けれど、言うそばからそれはずんずんふくれて、小さなあわが上に立ち始めた。
卵と
乳がぷんとうまそうなにおいを立てた。
「そだを少し持っておいで」とおっかあが言った。「いい火をこしらえよう」
とうとう明かりがついた。
「まきを
炉の中へお入れ」
かの女がこのことばを二度とくり返すまでもなく、わたしはさっきからこのことばの出るのをいまかいまかと待ちかまえていたのであった。さっそく赤いほのおがどんどん
炉の中に
燃え上がり、この光が台所じゅうを明るくした。
そのときおっかあは、
揚げなべをくぎから
外して火の上にのせた。
「バターをお出し」
ナイフの先でかの女はバターをくるみくらいの大きさに一きれ切ってなべの中へ入れると、じりじりとけ出してあわを立てた。
もうしばらくこのにおいもかがなかった。まあ、そのバターのいいにおいといったら。
わたしがそのじりじりこげるあまい音楽にむちゅうで聞きほれていたとき、
裏庭でこつこつ人の歩く足音がした。
せっかくのときにだれがじゃまに来たのだろう。きっとおとなりからまきをもらいに来たのだ。
わたしはそんなことに気を取られるどころではなかった。ちょうどそのときバルブレンのおっかあが、大きな木のさじをはちに入れて、
衣を一さじ、おなべの中にあけていたのだもの。
するとだれかつえでことことドアをたたいた。ばたんと戸が開け放された。
「どなただね」とおっかあはふり向きもしないでたずねた。
一人の男がぬっとはいって来た。明るい火の光で、わたしはその男が大きなつえを
片わきについているのを見つけた。
「やれやれ、祭りのごちそうか。まあ、やるがいい」とその男はがさつな声で言った。
「おやおやまあ」とバルブレンのおっかあが、あわててさげなべを下に
置いてさけんだ。
「まあジェローム、おまえさんだったの」
そのときおっかあはわたしのうでを
引っ
張って、戸口に立ちはだかったままでいた男の前へ
連れて行った。
「おまえのとっつぁんだよ」
養父
おっかあはご
亭主にだきついた。わたしもそのあとから同じことをしようとすると、かれはつえをつき出してわたしを止めた。
「なんだ、こいつは……おめえいまなんとか言ったっけな」
「ええ、そう、でも……ほんとうはそうではないけれど……そのわけは……」
「ふん、ほんとうなものか。ほんとうなものか」
かれはつえをふり上げたままわたしのほうへ向かって来た。思わずわたしは後じさりをした。
なにをわたしがしたろう。なんの
罪があるというのだ。わたしはただだきつこうとしたのだ。
わたしはおずおずかれの顔を見上げたが、かれはおっかあのほうをふり向いて話をしていた。
「じゃあ感心に
謝肉祭のお
祝いをするのだな、まあけっこうよ。おれは
腹が
減っているのだ。
晩飯はなんのごちそうだ」とかれは言った。
「どら
焼きとりんごの
揚げ
物をこしらえているところですよ」
「そうらしいて。だが何里も
遠道をかけて来た者に、まさかどら
焼きでごめんをこうむるつもりではあるまい」
「ほかになんにもないんですよ。なにしろおまえさんが帰るとは思わなかったからね」
「なんだ、なんにもない。
夕飯にはなにもないのか」とかれは台所を見回した。
「バターがあるぞ」
かれは
天井をあお向いて見た。いつも
塩ぶたがかかっていたかぎが目にはいったが、そこにはもう長らくなんにもかかってはいなかった。ただねぎとにんにくが二、三本なわでしばってつるしてあるだけであった。
「ねぎがある」とかれは言って、大きなつえでなわをたたき落とした。「ねぎが四、五本にバターが少しあれば、けっこうなスープができるだろう。どら
焼きなぞは下ろして、ねぎをなべでいためろ」
どら焼きをなべから出してしまえというのだ。
でも一言も言わずにバルブレンのおっかあはご
亭主の言うとおりに、急いで仕事に取りかかった。ご亭主は
炉のすみのいすにこしをかけていた。
わたしはかれがつえの先で追い立てた場所から、そのまま動き
得なかった。
食卓に
背中を向けたまま、わたしはかれの顔を見た。
かれは五十ばかりの意地悪らしい顔つきをした、ごつごつした様子の男であった。その頭はけがをしたため、少し右の
肩のほうへ曲がっていた。かたわになったので、よけいこの男の
人相を悪くした。
バルブレンのおっかあはまたおなべを火の上にのせた。
「おめえ、それっぱかりのバターでスープをこしらえるつもりか」とかれは言いながら、バターのはいったさらをつかんで、それをみんななべの中へあけてしまった。もうバターはなくなった……それで、もうどら
焼きもなくなったのだ。
これがほかの場合だったら、こんな
災難に会えば、どんなにくやしかったかしれない。だが、わたしはもうどら
焼きもりんごの
揚げ
物も思わなかった。わたしの心の中にいっぱいになっている考えは、こんなに意地の悪い男が、いったいどうしてわたしの父親だろうかということであった。
「ぼくのとっつぁん」――うっとりとわたしはこのことばを心の中でくり返した。
いったい父親というものはどんなものだろう、それをはっきりと考えたことはなかった。ただぼんやり、それはつまり、母親の声の大きいのくらいに考えていた。ところが、いま天から
降って来たこの男を見ると、わたしはひじょうにいやだったし、こわらしかった(おそろしかった)。
わたしがかれにだきつこうとすると、かれはつえでわたしをつきのけた。なぜだ。これがおっかあなら、だきつこうとする者をつきのけるようなことはしなかった。どうして、おっかあはいつだってわたしをしっかりとだきしめてくれた。
「これ、でくのぼうのようにそんな所につっ立っていないで、来て、さらでもならべろ」とかれは言った。
わたしはあわててそのとおりにしようとして、
危なくたおれそこなった。スープはでき上がった。バルブレンのおっかあはそれをさらに入れた。
するとかれは
炉ばたから立ち上がって、
食卓の前にこしをかけて食べ始めた。合い間合い間には、じろじろわたしの顔を見るのであった。わたしはそれが気味が悪くって、食事がのどに通らなかった。わたしも横目でかれを見たが、向こうの目と出会うと、あわてて目をそらしてしまった。
「こいつはいつもこのくらいしか食わないのか」とかれはふいにこうたずねた。
「きっとおなかがいいんですよ」
「しょうがねえやつだなあ。こればかりしかはいらないようじゃあ」
バルブレンのおっかあは話をしたがらない様子であった。あちらこちらと
働き回って、ご
亭主のお
給仕ばかりしていた。
「てめえ、
腹は
減らねえのか」
「ええ」
「うん、じゃあすぐとこへはいってねろ。ねたらすぐねつけよ。早くしないとひどいぞ」
おっかあはわたしに、なにも言わずに言うとおりにしろと目で知らせた。しかしこの
警告を待つまでもなかった。わたしはひと言も口答えをしようとは思わなかった。
たいていのびんぼう人の家がそうであるように、わたしたちの家の台所も、やはり
寝部屋をかねていた。
炉のそばには食事の道具が
残らずあった。
食卓もパンのはこもなべも
食器だなもあった。そうして、
部屋の向こうの
角が寝部屋であった。一方の角にバルブレンのおっかあの大きな
寝台があった。その向こうの角のくぼんだおし入れのような所にわたしの寝台があって、赤い
模様のカーテンがかかっていた。
わたしは急いでねまきに着かえて、ねどこにもぐりこんだ。けれど、とても目がくっつくものではなかった。わたしはひどくおどかされて、ひじょうにふゆかいであった。
どうしてこの男がわたしのとっつぁんだろう。ほんとうにそうだったら、なぜ人をこんなにひどくあつかうのだろう。
わたしは鼻をかべにつけたまま、こんなことを考えるのはきれいにやめて、言いつかったとおり、すぐねむろうと
骨を
折ったがだめだった。まるで目がさえてねつかれない。こんなに目のさえたことはなかった。
どのくらいたったかわからないが、しばらくしてだれかがわたしの
寝台のそばに
寄って来た。そろそろと引きずるような重苦しい足音で、それがおっかあでないということはすぐにわかった。
わたしはほおの上に温かい息を感じた。
「てめえ、もうねむったのか」とするどい声が言った。
わたしは返事をしないようにした。「ひどいぞ」と言ったおそろしいことばが、まだ耳の中でがんがん聞こえていた。
「ねむっているんですよ」とおっかあが言った。「あの子はとこにはいるとすぐに目がくっつくのだから、だいじょうぶなにを言っても聞こえやしませんよ」
わたしはむろん、「いいえ、ねむっていません」と言わねばならないはずであったが、言えなかった。わたしはねむれと言いつけられた。それをまだねむらずにいた。わたしが悪かった。
「それでおまえさん、
裁判のほうはどうなったの」とおっかあが言った。
「だめよ。裁判所ではおれが足場の下にいたのが悪いと言うのだ」そう言ってかれはこぶしで
食卓をごつんと打って、なんだかわけのわからないことを言って、しきりにののしっていた。
「
裁判には負けるし、金はなくなるし、かたわにはなるし、びんぼうがじろじろ
面をねめつけて(にらみつけて)いる。それだけでもまだ足りねえつもりか、うちへ帰って来ればがきがいる。なぜおれが言ったとおりにしなかったのだ」
「でもできなかったもの」
「
孤児院へ
連れて行くことができなかったのか」
「だってあんな小さな子を
捨てることはできないよ。自分の
乳で育ててかわいくなっているのだもの」
「あいつはてめえの子じゃあねえのだ」
「そうさ。わたしもおまえさんの言うとおりにしようと思ったのだけれど、ちょうどそのとき、あの子が
加減が悪くなったので」
「加減が悪く」
「ああ、だからどうにもあすこへ
連れては行けなかったのだよ。死んだかもしれないからねえ」
「だがよくなってから、どうした」
「ええ、すぐにはよくならなかったしね、やっといいと思うと、また病気になったりしたものだから。かわいそうにそれはひどくせきをして、聞いていられないようだった。うちのニコラぼうもそんなふうにして死んだのだからねえ。わたしがこの子を
孤児院に送ればやっぱり死んだかもしれないよ」
「だが……あとでは」
「ああ、だんだんそのうちに時がたって、
延び延びになってしまったのだよ」
「いったいいくつになったのだ」
「八つさ」
「うん、そうか。じやあ、これからでもいいや。どうせもっと早く行くはずだったのだ。だが、いまじゃあ行くのもいやがるだろう」
「まあ、ジェローム、おまえさん、いけない……そんなことはしないでおくれ」
「いけない、なにがいけないのだ。いつまでもああしてうちに
置けると思うか」
しばらく二人ともだまり返った。わたしは息もできなかった。のどの中にかたまりができたようであった。
しばらくして.バルブレンのおっかあが言った。
「まあ、パリへ出て、おまえさんもずいぶん人が
変わったねえ。おまえさん、行くまえにはそんなことは言わない人だったがねえ」
「そうだったかもしれない。だが、パリへ行っておれの人が変わったかしれないが、そこはおれを
半殺しにもした。おれはもう
働くことはできない。もう金はない。牛は売ってしまった。おれたちの口をぬらすことさえおぼつかないのに、おたがいの子でもないがきを
養うことができるか」
「あの子はわたしの子だよ」
「あいつはおれの子でもないが、きさまの子でもないぞ。それにぜんたい
百姓の子どもじゃあない。びんぼう人の子どもじゃあない。
きゃしゃすぎて物もろくに食えないし、手足もあれじゃあ
働けない」
「あの子は村でいちばん
器量よしの子どもだよ」
「器量がよくないとは言いやしない。だがじょうぶな子ではないと言うのだ。あんなひょろひょろした
肩をしたこぞうが
労働者になれると思うか。ありゃあ町の子どもだ。町の子どもを
置く
席はないのだ」
「いいえ、あの子はいい子ですよ。りこうで、物がわかって、それで
優しいのだから、あの子はわたしたちのために
働いてくれますよ」
「だが、さし当たりは、おれたちがあいつのために働いてやらなければならない。それはまっぴらだ」
「もしかあの子のふた親が引き取りに来たらどうします」
「あいつのふた親だと。いったいあいつにはふた親があったのか。あればいままでに
訪ねて来そうなものだ。あいつのふた親が訪ねて来て、これまでの
養育料をはらって行くなどと考えたのが、ずいぶんばかげきっていた。気ちがいじみていた。あの子がレースのへりつきのやわらかい
産着を着ていたからといって、ふた親があいつを訪ねに来ると思うことができるか。それに、もう死んでいるのだ。きっと」
「いいや、そんなことはない。いつか
訪ねて来るかもしれない……」
「女というやつはなかなか
強情なものだなあ」
「でも訪ねて来たら」
「ふん、そうなりゃ
孤児院へ
差し向けてやる。だがもう話はたくさんだ。おれはあしたは村長さんの所へあいつを
連れて行って
相談する。今夜はこれからフランスアの所へ行って来る。一時間ばかりしたら帰って来るからな」
そのあいだにわたしはさっそく
寝台の上で起き上がって、おっかあを
呼んだ。
「ねえ、おっかあ」
かの女はわたしの寝台のほうへかけてやって来た。
「ぼくを
孤児院へやるの」
「いいえ、ルミぼう、そんなことはないよ」
かの女はわたしにキッスをして、しっかりとうでにだきしめた。そうするとわたしもうれしくなって、ほおの上のなみだがかわいた。
「じゃあおまえ、ねむってはいなかったのだね」とかの女は
優しくたずねた。
「ぼく、わざとしたんじゃないから」
「わたしは、おまえをしかっているのではない。じゃあ、あの人の言ったことを聞いたろうねえ」
「ええ、あなたはぼくのおっかあではないんだって……そしてあの人もぼくのとっつぁんではないんだって」
このあとのことばを、わたしは同じ調子では言わなかった。なぜというと、この
婦人がわたしの母親でないことを知ったのは
情けなかったが、同時にあの男が父親でないことがわかったのは、なんだか
得意でうれしかった。このわたしの心の中の
矛盾はおのずと声に
現れたが、おっかあはそれに気がつかないらしかった。
「まあわたしはおまえにほんとうのことを言わなければならないはずであったけれど、おまえがあまりわたしの子どもになりすぎたものだから、ついほんとうの母親でないとは言いだしにくかったのだよ。おまえ、ジェロームの言ったことをお聞きだったろう。あの人がおまえをある日パリのブルチュイー町の
並木通りで拾って来たのだよ。二月の朝早くのことで、あの人が仕事に出かけようとするとちゅうで、赤んぼうの
泣き
声を聞いて、おまえをある庭の
門口で拾って来たのだ。あの人はだれか人を
呼ぼうと思って見回しながら、声をかけると、一人の男が木のかげから出て来て、あわててにげ出したそうだよ。おまえ
[#「おまえ」は底本では「おえ」]を
捨てた男が、だれか拾うか
見届けていたとみえる。おまえがそのとき、だれか拾ってくれる人が来たと感じたものか、あんまりひどく
泣くものだから、ジェロームもそのまま捨てても帰れなかった。それでどうしようかとあの人も
困っていると、ほかの
職人たちも
寄って来て、みんなはおまえを
警察へ
届けることに
相談を決めた。おまえはいつまでも泣きやまなかった。かわいそうに寒かったにちがいない。けれど、それから警察へ
連れて行って、
暖かくしてあげてもまだ
泣いていた。それで今度はおなかが
減っているのだろうというので、近所のおかみさんをたのんで
乳を飲ました。まあ、まったくおなかが減っていたのだよ。
やっとおなかがいっぱいになると、みんなは
炉の前へ連れて行って、着物をぬがしてみると、なにしろきれいなうすもも色をした子どもで、りっぱな
産着にくるまっていた。
警部さんは、こりゃありっぱなうちの子をぬすんで
捨てたものだと言って、その着物の細かいこと、子どもの様子などをいちいち書き
留めて、いつどういうふうにして拾い上げたかということまで書き入れた。それでだれか世話をする者がなければ、さしずめ
孤児院へやらなければなるまいが、こんなりっぱなしっかりした子どもだ、これを育てるのはむずかしくはない。両親もそのうちきっと
探しに来るだろう。探し当てればじゅうぶんのお礼もするだろうから、と
署長さんがお言いなすった。このことばにひかれて、ジェロームはわたしが引き取りましょうと言ったのだよ。ちょうどそのじぶん、わたしは同い年の赤んぼうを持っていたから、二人の子どもを楽に育てることができた。ねえ、そういうわけで、わたしがおまえのおっかあになったのだよ」
「まあ、おっかあ」
「ああ、ああ、それで
三月目の
末にわたしは自分の子どもを
亡くした。そこでわたしはいよいよおまえがかわいくなって、もう他人の子だなんという気がしなくなりました。でもジェロームは
相変わらずそれを
忘れないでいて、三年目の末になっても、両親が引き取りに来ないというので、もうおまえを
孤児院へやると言って聞かないので
困ったよ。だからなぜわたしがあの人の言うとおりにしなかった、と言われていたのをお聞きだったろう」
「まあ、ぼくを
孤児院へなんかやらないでください」とわたしはさけんで、かの女にかじりついた。
「どうぞどうぞおっかあ、
後生だから孤児院へやらないでください」
「いいえ、おまえ、どうしてやるものか、わたしがよくするからね。ジェロームはそんなにいけない人ではないのだよ。あの人はあんまり
苦労をたくさんして、気むずかしくなっているだけなのだからね。まあ、わたしたちはせっせと
働きましょう。おまえも働くのだよ」
「ええ、ええ、ぼくはしろということはなんでもきっとしますから、
孤児院へだけはやらないでください」
「おお、おお、それはやりはしないから、その代わりすぐねむると言ってやくそくをおし。あの人が帰って来て、おまえの起きているところを見るといけないからね」
おっかあはわたしにキッスして、かべのほうへわたしの顔を向けた。
わたしはねむろうと思ったけれども、あんまりひどく感動させられたので、
静かにねむりの国にはいることができなかった。
じゃあ、あれほど
優しいバルブレンのおっかあは、わたしのほんとうの母さんではなかったのか。するといったいほんとうの母さんはだれだろう。いまの母さんよりもっと優しい人かしら。どうしてそんなはずがありそうもない。
だがほんとうの父さんなら、あのバルブレンのように、こわい目でにらみつけたり、わたしにつえをふり上げたりしやしないだろうと思った……。
あの男はわたしを
孤児院へやろうとしている。母さんにはほんとうにそれを引き止める力があるだろうか。
この村に二人、孤児院から来た子どもがあった。この子たちは、『孤児院の子』と
呼ばれていた。首の回りに番号のはいった
鉛の
札をぶら下げていた。ひどいみなりをして、よごれくさっていた。ほかの子たちがみんなでからかって、石をぶつけたり、
迷い
犬を追って遊ぶように追い回したりした。迷い犬にだれも
加勢する者がないのだ。
ああ、わたしはそういう子どものようになりたくない。首の回りに番号札を下げられたくない。わたしの歩いて行くあとから、『やいやい
孤児院のがき、やいやい
捨て
子』と言ってののしられたくない。
それを考えただけでも、ぞっと
寒気がして、歯ががたがた鳴りだす。わたしはねむることができなかった。やがてバルブレンも、また帰って来るだろう。
でも幸せと、ずっとおそくまでかれは帰って来なかった。そのうちにわたしもとろろとねむ
気がさして来た。
ヴィタリス親方の
一座
その
晩一晩、きっと
孤児院へ
連れて行かれたゆめばかりを見ていたにちがいない。朝早く目を開いても、自分がいつもの
寝台にねているような気がしなかった。わたしは目が
覚めるとさっそく寝台にさわったり、そこらを見回したり、いろいろ
試してみた。ああ、そうだ、わたしはやはりバルブレンのおっかあのうちにいた。
バルブレンはその朝じゅう、なにもわたしに言わなかった。わたしはかれがもう
孤児院へやる考えを
捨てたのだと思うようになった。きっとバルブレンのおっかあが、あくまでわたしをうちに
置くことに決めたのであろう。
けれどもお昼ごろになると、バルブレンがわたしに、ぼうしをかぶってついて来いと言った。
わたしは目つきで母さんに
救いを
求めてみた。かの女もご
亭主に気がつかないようにして、いっしょに行けと目くばせした。わたしは
従った。かの女は行きがけにわたしの
肩をたたいて、なにも心配することはないからと知らせた。
なにも言わずにわたしはかれについて行った。
うちから村まではちょっと一時間の道であった。そのとちゅう、バルブレンはひと言もわたしに口をきかなかった。かれはびっこ引き引き歩いて行った。おりふしふり返って、わたしがついて来るかどうか見ようとした。
どこへいったいわたしを
連れて行くつもりであろう。
わたしは心の中でたびたびこの
疑問をくり返してみた。バルブレンのおっかあがいくらだいじょうぶだと目くばせして見せてくれても、わたしにはなにか一大事が起こりそうな気がしてならないので、どうしてにげ出そうかと考えた。
わたしはわざとのろのろ歩いて、バルブレンにつかまらないようにはなれていて、いざとなればほりの中にでもとびこもうと思った。
はじめはかれも、あとからわたしがとことこついて来るのて、安心していたらしかった。けれどもまもなく、かれはわたしの心の中を
見破ったらしく、いきなりわたしのうで首をとらえた。
わたしはいやでもいっしょにくっついて歩かなければならなかった。
そんなふうにして、わたしたちは村にはいった。すれちがう人がみんなふり返って目を
丸くした。それはまるで、山犬がつなで引かれて行くていさいであった。
わたしたちが村の
居酒屋の前を通ると、入口に立っていた男がバルブレンに声をかけて、中にはいれと言った。バルブレンはわたしの耳を
引っ
張って、先にわたしを中へつっこんでおいて、自分もあとからはいって、ドアをぴしゃりと立てた。
わたしはほっとした。
そこは
危険な場所とは思われなかった。それに
先からわたしは、この中がいったいどんな様子になっているのだろうと思っていた。
旅館御料理カフェー・ノートルダーム。中はどんなにきれいだろう。よく赤い顔をした人がよろよろ中から出て来るのをわたしは見た。表のガラス戸は歌を歌う声や話し声で、いつもがたがたふるえていた。この赤いカーテンの後ろにはどんなものがあるのだろうと、いつもふしぎに思っていた。それをいま見ようというのである……
バルブレンはいま声をかけた
亭主と、
食卓に向かい合ってこしをかけた。わたしは
炉ばたにこしをかけてそこらを見回した。
わたしのいたすぐ向こうのすみには、白いひげを長く生やした
背の高い
老人がいた。かれはきみょうな着物を着ていた。わたしはまだこんな様子の人を見たことがなかった。
長い
髪の
毛をふっさりと
肩まで
垂らして、緑と赤の
羽根でかざったねずみ色の高いフェルト
帽をかぶっていた。ひつじの毛皮の毛のほうを中に返して、すっかりからだに着こんでいた。その毛皮服にはそではなかったが、
肩の所に二つ大きな
穴をあけて、そこから、もとは録色だったはずのビロードのそでをぬっと出していた。ひつじの毛のゲートルをひざまでつけて、それをおさえるために、赤いリボンをぐるぐる足に巻きつけていた。
かれは長ながといすの上に横になって、下あごを左の手に
支えて、そのひじを曲げたひざの上にのせていた。
わたしは生きた人で、こんな
静かな落ち着いた様子の人を見たことがなかった。まるで村のお寺の
聖徒の
像のようであった。
老人の回りには三びきの犬が、
固まってねていた。白いちぢれ毛のむく犬と、黒い毛深いむく犬、それにおとなしそうなくりくりした様子の
灰色の
雌犬が一ぴき。白いむく犬は
巡査のかぶる古いかぶと
帽をかぶって、皮のひもをあごの下に
結えつけていた。
わたしがふしぎそうな顔をしてこの
老人を見つめているあいだに、バルブレンと
居酒屋の
亭主は
低い声でこそこそ話をしていた。わたしのことを話しているのだということがわかった。
バルブレンはわたしをこれから村長のうちへ
連れて行って、村長から
孤児院に向かって、わたしをうちへ
置く代わりに
養育料が
請求してもらうつもりだと言った。
これだけを、やっとあの気のどくなバルブレンのおっかあが
夫に
説いて
承諾させたのであった。けれどわたしは、そうしてバルブレンがいくらかでも金がもらえれば、もうなにも心配することはないと思っていた。
その
老人はいつかすっかりわきで聞いていたとみえて、いきなりわたしのほうに指さしして、耳立つほどの外国なまりでバルブレンに話しかけた。
「その子どもがおまえさんのやっかい者なのかね」
「そうだよ」
「それでおまえさんは
孤児院が
養育料をしはらうと思っているのかね」
「そうとも。この子は両親がなくって、そのためにおれはずいぶん金を使わされた。お
上からいくらでもはらってもらうのは当たり前だ」
「それはそうでないとは言わない。だが、物は正しいからといってきっとそれが通るものとはかぎらない」
「それはそうさ」
「それそのとおり。だからおまえさんが
望んでおいでのものも、すらすらと手にはいろうとはわたしには思えないのだ」
「じゃあ
孤児院へやってしまうだけだ。こちらで
養いたくないものを、なんでも養えという
法律はないのだ」
「でもおまえさんははじめにあの子を養いますといって引き受けたのだから、そのやくそくは守らなければならない」
「ふん、おれはこの子を
養いたくないのだ。だからどのみちどこへでもやっかいばらいをするつもりでいる」
「さあ、そこで話だが、やっかいばらいをするにも、手近なしかたがあると思う」
老人はしばらく考えて、「おまけに少しは金にもなるしかたがある」と言った。
「そのしかたを教えてくれれば、おれは一ぱい買うよ」
「じゃあさっそく一ぱい買うさ。もう
相談は決まったから」
「だいじょうぶかえ」
「だいじょうぶよ」
老人は立ち上がって、バルブレンの向こうに
席をしめた。ふしぎなことには、老人が立ち上がると、ひつじの毛皮服がむずむず動いて、むっくり高くなった。たぶん、もう一ぴき犬をうでの下にかかえているのだとわたしは思った。
この人たちは、いったいわたしをどうしようというのだろう。わたしの
心臓がまたはげしく打ち始めた。わたしはちっとも
老人から目をはなすことができなかった。
「おまえさんはこの子のためにだれか金を出さない
以上、自分のうちに
置いて
養っていることはいやだという、それにちがいないのだろう」
「それはそのとおりだ……そのわけは……」
「いや、わけはどうでもよろしい。それはわたしにかかわったことではない。それでもうこの子が
要らないというのなら、すぐわたしにください。わたしが引き受けようじゃないか」
「おや、おまえさんはこの子を引き受けると言うのかね」
「だっておまえさんはこの子をほうり出したいんだろう」
「おまえさんにこんなきれいな子をやるのかえ。この子は村でもいちばんかわいい子だ。よく見てくれ」
「よく見ているよ」
「ルミ、ここへ来い」
わたしは
食卓に進み
寄った。ひざはふるえていた。
「これこれぼうや、こわがることはないよ」と
老人は言った。
「さあ、よく見てくれ」とバルブレンは言った。
「わたしはこの子をいやな子だとは言いやしない。またそれならば
欲しいとも言わない。こっちは化け物は欲しくはないのだ」
「いやはや、こいつがいっそ二つ頭の化け物か、または
一寸法師ででもあったなら……」
「だいじにして
孤児院にやりはしないだろう。
香具師に売っても見世物に出しても、その化け物のおかげでお金もうけができようさ。だが子どもは一寸法師でもなければ、化け物でもない。だから見世物にすることはできない。この子はほかの子どもと同じようにできている。なんの役にも立たない」
「仕事はできるよ」
「いや、あまりじょうぶではないからなあ」
「じょうぶでないと、とんでもない話だ。……だれにだって負けはしないのだ。あの足を見なさい。あのとおりしっかりしている。あれよりすらりとした足を見たことがあるかい……」
バルブレンはわたしのズボンをまくり上げた。
「やせすぎている」と
老人は言った。
「それからうでを見ろ」とバルブレンは
続けた。
「うでも同様だ。――まあこれでもいいが、苦しいことや、つらいことにはたえられそうもない」
「なに、たえられない。ふん、手でさわって調べてみるがいい」
老人はやせこけた手で、わたしの足にさわってみながら、頭をふったり、顔をしかめたりした。
このまえ、ばくろうが来たときも、こんなふうであったことを、わたしは見て知っていた。その男もやはり牛のからだを手でさわったりつねったりしてみて、頭をふった。この牛はろくでもない牛だ、とても売り物にはならない、などと言ったが、でも牛を買って
連れて行った。
この
老人もたぶんわたしを買って連れて行くだろう。ああバルブレンのおっかあ。バルブレンのおっかあ。
不幸にもここにはおっかあはいなかった。だれもわたしの味方になってくれる者がなかった。
わたしが思い切った子なら、なあにきのうはバルブレンも、わたしを弱い子で、手足がか細くて役に立たぬと
非難したのではないかと言ってやるところであった。でもそんなことを言ったら、どなりつけられて、げんこをいただくに決まっているから、わたしはなにも言わなかった。
「まあつまり当たり前の子どもさね。それはそうだが、やはり町の子だよ。
百姓仕事にはたしかに向いてはいないようだ。
試しに畑をやらしてごらん、どれほど
続くかさ」
「十年は続くよ」
「なあにひと月も
続くものか」
「まあ、このとおりだ。よく見てくれ」
わたしは
食卓のはしの、ちょうどバルブレンと
老人の間にすわっていたものだから、あっちへつかれ、こっちへおされて、いいようにこづき回された。
「さあ、まずこれだけの子どもとして」と
老人は
最後に言った。「つまりわたしが引き受けることにしよう。もちろん買い切るのではない、ただ
借りるのだ。その
借り
賃に年に二十フラン出すことにしよう」
「たった二十フラン」
「どうして高すぎると思うよ。それも前ばらいにするからね。ほんとうの
金貨を四
枚にぎったうえに、やっかいばらいができるのだからね」と
老人は言った。
「だがこの子をうちに
置けば、
孤児院から毎月十フランずつくれるからな」
「まあくれてもせいぜい七フランか十フランだね。それはよくわかっているよ。だがその代わり食べさせなければならないからね」
「その代わり
働きもするさ」
「おまえさんがほんとにこの子が働けると思うなら、なにも追い出したがることはないだろう。ぜんたい
捨て
子を引き取るというのは、その
養育料をはらってもらうためではない、
働かせるためなのだ。それから金を取り上げこそすれ、
給金なしの
下男下女に使うのだ。だからそれだけの役に立つものなら、おまえさんはこの子をうちに
置くところなのだ」
「とにかく、毎月十フランはもらえるのだから」
「だが
孤児院で、いや、そんならこの子はおまえさんには
預けない、ほかへ預けると言ったらどうします。つまりなんにもおまえさんは取れないではないか。わたしのほうにすればそこは
確かだ。おまえさんの
苦労はただ金を受け取るために、手を出しさえすればいいのだ」
老人はかくしを
探って、なめし皮の
財布を引き出した。その中から四
枚、
金貨をつかみ出して、
食卓の上にならべ、わざとらしくチャラチャラ音をさせた。
「だが待てよ」とバルブレンが言った。「いつかこの子のふた親が出てくるかもしれない」
「それはかまわないじゃないか」
「いや、育てた者の身になればなにもかまわなくはないさ。またそれを思わなければ、
初めっからだれが世話をするものか」
「それを思わなければ
初めっからだれが世話をするものか」――このことばで、わたしはいよいよバルブレンがきらいになった。なんという悪い人間だろう。
「なるほど、だがこの子のふた親がもう出て来ないだろうとあきらめたからこそ、おまえさんもこの子をほうり出そうと言うのだろう。ところで、どうかしたひょうしでこののちそのふた親が出て来たとして、それはおまえさんの所へこそまっすぐに行こうが、わたしの所へは来ないだろう。だれもわたしを知らないのだから」と
老人は言った。
「でもおまえさんがそのふた親を見つけ出したらどうする」
「なるほどそういう場合には、わたしたちで
利益を分けるのだね。ところで、ひとつ、きばってさしあたり三十フラン分けてあげようよ」
「四十フランにしてもらおう」
「いいや、この子の使い道はそこいらが
相応な
値段だ」
「おまえさん、この子をなんに使おうというのだ。足といえばこのとおりしっかりしたいい足をしているし、うでといえばこのとおりりっぱないいうでをしている。いま言ったことをどこまでもくり返して言うが、この子をいったいどうしようというのだ」
そのとき
老人はあざけるようにバルブレンの顔を見て、それからちびちびコップを
干した。
「つまりわたしの
相手になってもらうのだ。わたしは年を取ってきたし、夜なんぞはまことにさびしくなった。くたびれたときなんぞ、子どもがそばにいてくれるといいおとぎになるのだ」
「なるほど、それにはこの子の足はじゅうぶんたっしゃだから」
「おお、それだけではだめだ。この子はまたおどりをおどって、はね回って、遠い道を歩かなければならない。つまりこの子はヴィタリス親方の
一座の役者になるのだ」
「その一座はどこにある」
「もうご
推察あろうが、そのヴィタリス親方はわたしだ。さっそくここで一座をお目にかけよう」
こう言ってかれはひつじの毛皮服のふところを開けて、左のうでにおさえていたきみょうな動物を引き出した。それが、さっきからたびたび毛皮を下から持ち上げた動物であったのだ。だがそれは
想像したように、犬ではなかった。
わたしはこのきみょうな動物を生まれて
初めて見たとき、なんと名のつけようもなかった。
わたしはびっくりしてながめていた。
それは
金筋をぬいつけた赤い服を着ていたが、うでと足はむき出しのままであった。
実際それは人間と同じうでと足で、前足ではなかった。黒い毛むくじゃらの皮をかぶっていて、白くももも色でもなかった。にぎりこぶしぐらいの大きさの黒い頭をして、
縦につまった顔をしていた。横へ向いた鼻の
穴が開いていて、くちびるが黄色かった。けれどもとりわけわたしをおどろかしたのは、くちゃくちゃとくっついている二つの目で、それは
鏡のようにぴかぴかと光った。
「いやあ、みっともないさるだな」とバルブレンがさけんだ。
ああ、さるか。わたしはいよいよ大きな目を開いた。それではこれがさるであったのか。わたしはまださるを見たことはなかったが、話には聞いていた。じゃあこの子どものようなちっぽけな動物が、さるだったのか。
「さあ、これが
一座の
花形で」とヴィタリス親方が言った。「すなわちジョリクール君であります。さあさあジョリクール君」と動物のほうを向いて、「お客さまにおじぎをしないか」
さるは指をくちびるに当てて、わたしたちに一人一人キッスをあたえるまねをした。
「さて」とヴィタリスはことばを
続けて、白のむく犬のほうに手をさしのべた。「つぎはカピ親方が、ご
臨席の
貴賓諸君に
一座のものをご
紹介申しあげる
光栄を有せられるでしょう」
このまぎわまでぴくりとも動かなかった白のむく犬が、さっそくとび上がって、後足で立ちながら、前足を
胸の上で十文字に組んで、まず主人に向かってていねいにおじきをすると、かぶっている
巡査のかぶと
帽が地べたについた。
敬礼がすむとかれは
仲間のほうを向いて、かたっぽの前足でやはり胸をおさえながら、
片足をさしのべて、みんなそばに
寄るように合図をした。
白犬のすることをじっと見つめていた二ひきの犬は、すぐに立ち上がって、おたがいに前足を取り合って、交際社会(社交界)の人たちがするように
厳かに六歩前へ進み、また三足あとへもどつて、代わりばんこにご
臨席の
貴賓諸君に向かっておじぎをした。
そのときヴィタリス親方が言った。
「この犬の名をカピと言うのは、イタリア語のカピターノをつめたので、犬の中の
頭ということです。いちばんかしこくって、わたしの
命令を代わってほかのものに
伝えます。その黒いむく毛の
若いハイカラさんは、ゼルビノ
侯ですが、これは
優美という意味で、よく様子をご
覧なさい、いかにもその名前のとおりだ。さてあのおしとやかなふうをした歌い
雌犬はドルス
夫人です。あの子はイギリス
種で、名前はあの子の
優しい気だてにちなんだものだ。こういうりっぱな
芸人ぞろいで、わたしは国じゅうを流して回ってくらしを立てている。いいこともあれば悪いこともある、まあ何事もそのときどきの回り合わせさ。おおカピ……」
カピと
呼ばれた犬は前足を十文字に組んだ。
「カピ、あなた、ここへ来て、ぎょうぎのいいところをお目にかけてください。わたしはこの
貴人たちにいつもていねいなことばを使っています――さあ、この玉のような
丸い目をしてあなたを見てござる小さいお子さんに、いまは何時だか教えてあげてください」
カピは前足をほどいて、主人のそばへ行って、ひつじの毛皮服のふところを開け、そのかくしを
探って大きな銀時計を取り出した。かれはしばらく時計をながめて、それから二声しっかり高く、ワンワンとほえた。それから、今度は三つ小声でちょいとほえた。時間は二時四十五分であった。
「はいはい、よくできました」とヴィタリスは言った。「ありがとうございます、カピさん。それで今度は、ドルス
夫人になわとびおどりをお願いしてもらいましょうか」
カピはまた主人のかくしを
探って一本のつなを出し、軽くゼルビノに合図をすると、ゼルビノはすぐにかれの
真向かいに
座をしめた。カピがなわのはしをほうってやると、二ひきの犬はひどくまじめくさって、それを回し始めた。
つなの運動が
規則正しくなったとき、ドルスは
輪の中にとびこんで、
優しい目で主人を見ながら
軽快にとんだ。
「このとおりずいぶんりこうです」と
老人は言った。「それも
比べるものができるとなおさらりこうが目立って見える。たとえばここにあれらと
仲間になって、
ばかの役を
務める者があれば、いっそうそれらの
値打ちがわかるのだ。そこでわたしはおまえさんのこの子どもが
欲しいというのだ。あの子に
ばかの役を務めてもらって、いよいよ犬たちのりこうを目立たせるようにするのだ」
「へえ、この子が
ばかを
務めるのかね」とバルブレンが口を入れた。
老人は言った。「
ばかの役を務めるには、それだけりこうな人間が入りようなのだ。この子なら少ししこめばやってのけよう。さっそく
試してみることにします。この子がじゅうぶんりこうな子なら、わたしといっしょにいればこの国ばかりか、ほかの国ぐにまで見て歩けることがわかるはずだ。だがこのままこの村にいたのでは、せいぜい朝から
晩まで同じ
牧場で牛やひつじの番人をするだけだ。この子がわからない子だったら、
泣いて
じだんだをふむだろう。そうすればわたしは
連れては行かない。それで
孤児院に送られて、ひどく
働かされて、ろくろく食べる物も食べられないだろう」
わたしも、そのくらいのことがわかるだけにはかしこかった。それにこの親方のお
弟子たちはとぼけていてなかなかおもしろい。あれらといっしょに旅をするのは、ゆかいだろう。だがバルブレンのおっかあは……おっかあに
別れるのはつらいなあ……
でもそれをいやだと言ってみたところで、バルブレンのおっかあとこの先いることはできない。やはり
孤児院に送られなければならない。
わたしはほんとに
情けなくなって、目にいっぱいなみだをうかべていた。するとヴィタリス
老人が軽くなみだの流れ出したほおをつついた。
「ははあおこぞうさん、大さわぎをやらないのはわけがわかっているのだな。小さい
胸で
思案をしているのだな。それであしたは……」
「ああ、おじさん、どうぞぼくをおっかあの所へ
置いてください。どうぞ置いてください」とわたしはさけんだ。
カピが大きな声でほえたので、じゃまされてわたしはそれから先が言えなかった。そのとたん犬はジョリクールのすわっていた
食卓のほうへとび上がった。
例のさるはみんながわたしのことで気を取られているすきをねらって、す早く酒をいっぱいついである主人のコップをつかんで、飲み
干そうとしたのだ。けれどもカピは目早くそれを見つけて止めたのであった。
「ジョリクールさん」とヴィタリスが
厳しい声で言った。「あなたは食いしんぼうのうえにどろぼうです。あそこのすみに行ってかべのほうを向いていなさい。ゼルビノさん、あなたは番をしておいでなさい。動いたらぶっておやり。さてカピさん、あなたはいい犬です。前足をお出しなさい。
握手をしましょう」
さるは息づまったような鳴き声を出して、すごすごすみのほうへ行った。幸せな犬は
得意な顔をして前足を主人に出した。
「さて」と
老人はことばをついで、「
先刻の話にもどりましょう。ではこの子に三十フラン出すことにしよう」
「いや、四十フランだ」
そこでおし問答が始まった。だが
老人はまもなくやめて、「子どもにはおもしろくない話です。外へ出て遊ばせてやるがよろしい」と言った。そうしてバルブレンに目くばせをした。
「よし、じゃあ
裏へ行っていろ。だがにげるな。にげるとひどい目に会わせるから」
バルブレンがこう言うと、わたしはそのとおりにするほかはなかった。それで裏庭へ出るには出たが、遊ぶ気にはなれない。大きな石にこしをかけて考えこんでいた。
あの人たちはわたしのことを
相談している。どうするつもりだろう。
心配なのと寒いのとでわたしはふるえていた。二人は長いあいだ話していた。わたしはすわって待っていたが、かれこれ一時間もたってバルブレンが
裏へ出て来た。
かれは一人であった。あのじいさんにわたしを手わたすつもりで
連れて来たのだな。
「さあ帰るのだ」とかれは言った。
なに、うちへ帰る。――そうするとバルブレンのおっかあに
別れないでもすむのかな。
わたしはそう言ってたずねたかったけれども、かれがひどくきげんが悪そうなのでえんりょした。
それで……だまってうちのほうへ歩いた。
けれどもうちまで行き着くまえに、先に立って歩いていたバルブレンはふいに立ち止まった。そうして
乱暴にわたしの耳をつかみながらこう言った。
「いいかきさま、ひと言でもきょう聞いたことをしゃべったらひどい目に会わせるから。わかったか」
おっかあの家
「おや」とバルブレンのおっかあはわたしたちを見て言った。「村長さんはなんと言いましたえ」
「会わなかったよ」
「どうして会わなかったのさ」
「うん、おれはノートルダームで友だちに会った。外へ出るともうおそくなった。だからあしたまた行くことにした」
それではバルブレンは犬を
連れたじいさんと取り引きをすることはやめたとみえる。
うちへ帰える道みちもわたしはこれがこの男の手ではないかと
疑っていたが、いまのことばでその
疑いは消えて、ひとまず心が落ち着いた。またあした村へ行って村長さんを
訪ねるというのでは、きっとじいさんとのやくそくはできなかったにちがいない。
バルブレンにはいくらおどかされても、わたしは一人にさえなったら、おっかあにきょうの話をしようと思っていたが、とうとうバルブレンはその
晩一晩じゅううちをはなれないので話す
機会がなかった。
すごすごねどこにもぐりながら、あしたは話してみようと思っていた。
けれどそのあくる日起き上がると、おっかあの
姿が見えない。わたしがそのあとを追ってうちじゅうをくるくる回っているのを見て、なにをしているとバルブレンは聞いた。
「おっかあ」
「ああ、それなら村へ行った。
昼過ぎでなければ帰るものか」
おっかあはまえの
晩、村へ行く話はしなかった。それでなぜというわけはないが、わたしは心配になってきた。わたしたちが昼過ぎから出かけるというのに、どうして待っていないのだろう。わたしたちの出かけるまえにおっかあは帰って来るかしらん。
なぜというしっかりしたわけはないのだが、わたしはたいへんおどおどしだした。
バルブレンの顔を見るとよけいに心配が
積もるばかりであった。その目つきからにげるためにわたしは
裏の
野菜畑へかけこんだ。
畑といってもたいしたものではなかった。それへなんでもうちで食べる
野菜物は
残らずじゃがいもでもキャベツでも、にんじんでも、かぶでも作りこんであった。それはちょっとの空き地もなかったのであるが、それでもおっかあはわたしに少し地面を
残しておいてくれたので、わたしはそこへ
雌牛を
飼いながら野でつんで来た草や花を、ごたごた植えこんだ。わたしはそれを『わたしの畑』と
呼んでだいじにしていた。
わたしがいろいろな草花を集めては、植えつけたのは去年の夏のことであった。それが
芽をふくのはこの春のことであろう。早ざきのものでも冬の終わるのを待たなければならなかった。これから
続いておいおい芽を出しかけている。
もう黄ずいせんもつぼみを黄色くふくらましていたし、リラの花も芽を出していた。さくらそうもしわだらけな葉の中からかわいいつぼみをのぞかせている。
どんな花がさくだろう。
それを楽しみにして、わたしは毎日出てみた。
それからまたわたしのだいじにしていた畑の一部には、だれかにもらっためずらしい
野菜を植えている。それは村でほとんど知っている者のない『きくいも』というものであった。なんでもいい味のもので、じゃがいもと、ちょうせんあざみと、それからいろいろの
野菜をいっしょにした味がするのであった。わたしはそっとこの野菜をじょうずに作って、おっかあをおどろかそうと思っていた。ただの花だと思わせておいて、そっと実のなったところを引きぬいて、ないしょで
料理をして、いつも同じようなじゃがいもにあきあきしているおっかあに食べさせて、『まあルミ、おまえはなんて
器用な子だろう』と感心させてやろう。
こんなことを思い思いこのときも、まだ
芽が出ないかと思って、
種のまいてある地べたに鼻をくっつけて調べていた。ふと気がつくとバルブレンがかんしゃく声で
呼びたてているので、びっくりしてうちへはいった。まあどうだろう。おどろいたことには、
炉の前にヴィタリス
老人と犬たちが立っているではないか。
すぐとわたしはバルブレンがわたしをどうするつもりだということがわかった。老人がやはりわたしを
連れて行くのだ。それをおっかあがじゃましないように村へ出してやったのだ。
もうバルブレンになにを言ってみてもむだだということがわかっているから、わたしはすぐと
老人のほうへかけ
寄った。
「ああ、ぼくを
連れて行かないでください。
後生ですから、連れて行かないでください」とわたしはしくしく
泣きだした。
すると
老人は
優しい声で言った。「なにさ、ぼうや、わたしといればつらいことはないよ。わたしは子どもをぶちはしない。
仲間には犬もいる。わたしと行くのがなぜ悲しい」
「おっかあが……」
「どうせきさまはここには
置けないのだ」とバルブレンはあらあらしく言って、耳を
引っ
張った。
「このだんなについて行くか、
孤児院へ行くか、どちらでもいいほうにしろ」
「いやだいやだ、おっかあ、おっかあ」
「やい、それだとおれはどうするか見ろ」とバルブレンがさけんだ。「思うさまひっぱたいて、このうちから追い出してくれるぞ」
「この子は母親に
別れるのを悲しがっているのだ。それをぶつものではない。
優しい心だ。いいことだ」
「おまえさんがいたわると、よけいほえやがる」
「まあ、話を決めよう」
そう言いながら、
老人は五フランの
金貨を八
枚テーブルの上にのせた。バルブレンはそれをさらいこむようにしてかくしに入れた。
「この子の荷物は」と老人が言った。
「ここにあるさ」とバルブレンが言って、青いもめんのハンケチで四すみをしばった
包みをわたした。
中にはシャツが二
枚と、
麻のズボンが一着あるだけであった。
「それではやくそくがちがうじゃないか。着物があるという話だったが、これは
ぼろばかりだね」
「こいつはほかにはなにもないのだ」
「この子に聞けば、きっとそうではないと言うにちがいないが、そんなことを
争っているひまがない。もう出かけなければならないからな。さあおいで、こぞうさん、おまえの名はなんと言うんだっけ」
「ルミ」
「そうか、よしよし、ルミ。
包みを持っておいで。先へおいで、カピ。さあ、行こう、進め」
わたしは
哀訴するように両手を
老人に出した。それからバルブレンにも出した。けれども二人とも顔をそむけた。しかも、老人はわたしのうで首をつかまえようとした。
わたしは行かなければならない。
ああ、このうちにもお
別れだ。いよいよそのしきいをまたいだとき、からだを半分そこへ
残して行くようにわたしは思った。
なみだをいっぱい目にうかべて
[#「うかべて」は底本では「うがべて」]わたしは見回したが、手近にはだれもわたしに
加勢してくれる者がなかった。
往来にもだれもいなかった。
牧場にもだれもいなかった。
わたしは
呼び
続けた。
「おっかあ、おっかあ」
けれどだれもそれに答える者はなかった。わたしの声はすすり
泣きの中に消えてしまった。
わたしは
老人について行くほかはなかった。なにしろうで首をしっかりおさえられているのだから。
「さようなら、ごきげんよう」とバルブレンがさけんだ。
かれはうちの中へはいった。
ああ、これでおしまいである。
「さあ、行こう、ルミ、進め」と
老人が言って。わたしのひじをおさえた。
わたしたちはならんで歩いた。幸せとかれはそう早く歩かなかった。たぶんわたしの足に合わせて歩いてくれたのであろう。
わたしたちは坂を上がって行った。ふり返るとバルブレンのおっかあのうちがまだ見えたが、それはだんだんに小さく小さくなっていった。この道はたびたび歩いた道だから、もうしばらくはうちが見えて、それから
最後の四つ角を曲がるともう見えなくなることをわたしはよく知っていた。行く先は知らない国である。後ろをふり返ればきょうの日まで幸福な生活を送ったうちがあった。おそらく二度とそれを見ることはないであろう。
幸い坂道は長かったが、それもいつか
頂上に来た。
老人はおさえた手をゆるめなかった。
「少し休ましてくださいな」とわたしは言った。
「うん、そうだなあ」とかれは答えた。
かれはやっとわたしをはなしてくれた。
けれどカピに目くばせをすると、犬もそれをさとった様子がわたしには見えた。
それですぐと、ひつじ
飼いの犬のように、
一座の先頭からはなれてわたしのそばへ
寄って来た。
わたしがにげ出しでもすれば、すぐにかみついてくるにちがいない。
わたしは草深い小山の上に登ってこしをかけると、犬も後ろについていた。
わたしはなみだにくもった目で、バルブレンのおっかあのうちを
探した。
下には谷があって、所どころに森や
牧場があった。それからはるか下にいままでいたうちが見えた。黄色いささやかなけむりが、そこのけむり出しからまっすぐに空へ立ちのぼって、やがてわたしたちのほうへなびいて来た。
気の
迷いか、そのけむりはうちのかまどのそばでかぎ
慣れたかしの葉のにおいがするようであった。
それは遠方でもあり、下のほうになってはいたが、なにもかもはっきり見えた。ただなにかがたいへん小さく見えたのは言うまでもない。
ちりづかの植えにうちの太っためんどりがかけ回っていたが、いつものように大きくは見えなかった。うちのめんどりだということを知っていなかったら、小さなはとだと思ったかもしれない。うちの横には、わたしが馬にしていつも乗った曲がったなしの木が、小川のこちらには、わたしが水車をしかけようとして大さわぎをしてきずきかけたほりわりが見えた。まあ、その水車にはずいぶんひまをかけたが、とうとう回らなかった。わたしの畑も見えた。ああ、わたしのだいじな畑が。
わたしの花がさいてもだれが見るだろう。わたしの『きくいも』をだれが食べるだろう。きっとそれはバルブレンだ。あの
悪党のバルブレンだ。
もう一
足往来へ出れば、わたしの畑もなにもかもかくれてしまうのだ。
ふと村からわたしのうちのほうへ通う往来の上に、白いボンネットが見えて、木の間にちらちら見えたりかくれたりしていた。
それはずいぶん遠方であったから、ぽっちり白く、春のちょうちょうのように見えただけであった。
けれど目よりも心はするどくものを見るものだ。わたしは、それがバルブレンのおっかあであることを知った。
確かにおっかあだ、とわたしは思いこんでいた。
「さて出かけようか」と
老人が言った。
「ああ、いいえ、
後生ですからも少し」
「じゃあ話とはちがって、おまえは、から(ぜんぜん)、足がだめだな。もうつかれてしまったのか」
わたしは答えなかった。ただながめていた。
やはりそれはバルブレンのおっかあであった。それはおっかあのボンネットであった。水色の前だれであった。足早に、気がせいているように、うちに向かって行くのであった。
白いボンネットはまもなくうちの前に着いた。戸をおし開けて、急いで庭にはいって行った。
わたしはすぐにとび上がって、土手の上に立ち上がった。そばにいたカピがおどろいてとびついて来た。
おっかあはいつまでもうちの中にはいなかった。まもなく出て来て、両うでを広げながら、あちこちと庭の中をかけ回っていた。
かの女はわたしを
探しているのだ。
わたしは首を前に
延ばして、ありったけの声でさけんだ。
「おっかあ、おっかあ」
けれどもそのさけび声は空に消えてしまった、小川の水音に消されてしまった。
「どうしたのだ。おまえ、気がちがったのか」とヴィタリスは言った。
わたしは答えなかった。わたしの目はまたバルブレンのおっかあをじっと見ていた。けれども向こうではわたしが上にいるとは知らないから、あお向いては見なかった。そうして庭をぐるぐる回って、
往来へ出て、きょろきょろしていた。
もっと大きな声でわたしはさけんだ。けれども、
初めの声と同様にむだであった。
そのうち
老人もやっとわかったとみえて、やはり土手に登って来た。かれもまもなく白いボンネットを見つけた。
「かわいそうに、この子は」とかれはそっと
独り
言を言った。
「おお、わたしを帰してください」と、わたしはいまの
優しいことばに
乗って、
泣き
声を出した。
けれどもかれはわたしの手首をおさえて、土手を下りて
往来へ出た。
「さあ、だいぶ休んだから、もう出かけるのだ」と、かれは言った。
わたしはぬけ出そうともがいたけれども、かれはしっかりわたしをおさえていた。
「さあカピ、ゼルビノ」と、かれは犬のほうを見ながら言った。
二ひきの犬がぴったりわたしにくっついた。カピは後ろに、ゼルビノは前に。
二足三足行くと、わたしはふり向いた。
わたしたちはもう坂の曲がり角を通りこした。もう谷も見えなければ家も見えなくなった。ただ遠いかなたに
遠山がうすく青くかすんでいた。
果てしもない空の中にわたしの目はあてどなく
迷うのであった。
とちゅう
四十フラン出して子どもを買ったからといって、その人は
鬼でもなければ、その子どもの肉を食べようとするのでもなかった。ヴィタリス
老人はわたしを食べようという
欲もなかったし、子どもを買ったが、その人は悪人ではなかった。
わたしはまもなくそれがわかった。
ちょうどロアール川とドルドーニュ川と、二つの谷を分かった山の
頂上で、かれはふたたびわたしの手首をにぎった。その山を南へ下り始めて十五分も行ったころ、かれは手をはなした。
「まああとからぽつぽつおいで。にげることはむだだよ。カピとゼルビノがついているからな」
わたしたちはしばらくだまって歩いていた。
わたしはふとため息を一つした。
「わしにはおまえの心持ちはわかっているよ」と
老人は言った、「
泣きたいだけお泣き。だがまあ、これがおまえのためにはいいことだということを考えるようにしてごらん。あの人たちはおまえのふた親ではないのだ、おっかあはおまえに
優しくはしてくれたろう。それでおまえも
好いていたから、それでそんなに悲しく思うのだろう。けれどもあの人は、ご
亭主がおまえをうちに
置きたくないと言えば、それを止めることはできなかったのだ。それにあの男だって、なにもそんなに悪い男というのでもないかもしれない。あの男はからだを悪くして、もうほかの仕事ができなくなっている。かたわのからだでは食べてゆくだけに
骨が
折れるのだ。そのうえおまえを
養っていては、自分たちが
飢えて死ななければならないと思っているのだ。そこでおまえにひとつ
心得てもらいたいことがある。世の中は
戦争のようなもので、だれでも自分の思うようにはゆかないものだということだ」
そうだ、
老人の言ったことはほんとうであった。
貴い
経験から出た
訓言(教訓)であった。でもその訓言よりももっと力強い一つの考えしか、わたしはそのとき持っていなかった。それは『
別れのつらさ』ということであった。
わたしはもう二度とこの世の中で、いちばん
好きだった人に会うことができないのだ。こう思うとわたしは息苦しいように感じた。
「まあ、わたしの言ったことばをよく考えてごらん。おまえはわたしといれば
不幸せなことはないよ」と
老人は言った。「
孤児院などへやられるよりはいくらましだかしれない。それで言っておくが、おまえはにげ出そうとしてもだめだよ。そんなことをすれば、あのとおりの
広野原だ。カピとゼルビノがすぐとおまえをつかまえるから」
こう言ってかれは目の前のあれた
高原を指さした。そこにはやせこけた
えにしだが、風のまにまに波のようにうねっていた。
にげ出す――わたしはもうそんなことをしようとは思わなかった。にげていったいどこへわたしは行こう。
この
背の高い
老人は、ともかく
親切な主人であるらしい。
わたしは一息にこんなに歩いたことはなかった。ぐるりに見るものはあれた土地と小山ばかりで、村を出たらば向こうはどんなに美しかろうと思ったほど、この世界は美しくはなかった。
老人はジョリクールを
肩の上に乗せたり、
背嚢の中に入れたりして、しじゅう
規則正しく、大またに歩いていた。三びきの犬はあとからくっついて来た。
ときどき老人はかれらに
優しいことばをかけていた。フランス語で言うこともあったし、なんだかわからないことばで言うこともあった。
かれも犬たちもくたびれた様子がなかった。だがわたしはつかれた。足を引きずって、この新しい主人にくっついて歩くのが
精いっぱいであった。けれども休ませてくれとは言いだし
得なかった。
「おまえがくたびれるのは木のくつのせいだよ」とかれは言った。「いずれユッセルへ着いたらくつを買ってやろう」
このことばはわたしに元気をつけてくれた。わたしはしじゅうくつが欲しいと思っていた。村長のむすこも、はたごやのむすこもくつを持っていた。それだから日曜というとかれらはお寺へ来て石のろうかをすべるように走った。それをわれわれほかのいなかの子どもは、木ぐつでがたがた、耳の遠くなるような音をさせたものだ。
「ユッセルまではまだ遠いんですか」
「ははあ、
本音をふいたな」とヴィタリスが
笑いながら言った。「それではくつが
欲しいんだな。よしよし、わたしはやくそくをしよう。それも大きなくぎを
底に打ったやつをなあ。それからビロードの半ズボンとチョッキとぼうしも買ってやる。それでなみだが引っこむことになるだろう。なあ、そうしてもらおうじゃないか。そしてあと六マイル(約四十キロ)歩いてくれるだろうなあ」
底にくぎを打ったくつ、わたしは
得意でたまらなかった。くつをはくことさええらいことなのに、おまけにくぎを打ってある。わたしは悲しいことも
忘れてしまった。
くぎを打ったくつ、ビロードの半ズボンに、チョッキに、ぼうし。
まあバルブレンのおっかあがわたしを見たらどんなにうれしがるだろう。どんなに
得意になるだろう。
けれども、なるほどくつとビロードがこれから六マイル歩けばもらえるというやくそくはいいが、わたしの足はそんな遠方まで行けそうにもなかった。
わたしたちが出かけたときに青あおと晴れていた空が、いつのまにか黒い雲にかくれて、細かい雨がやがてぽつぽつ落ちて来た。
ヴィタリスはそっくりひつじの毛皮服にくるまっているので、雨もしのげたし、さるのジョリクールも、一しずく雨がかかるとさっそくかくれ
家ににげこんだ。けれども犬とわたしはなんにもかぶるものがないので、まもなく
骨まで通るほどぬれた。でも犬はぬれてもときどきしずくをふり落とすくふうもあったが、わたしはそんなことはできなかった。下着までじくじくにぬれ通って、骨まで
冷えきっていた。
「おまえ、じきかぜをひくか」と主人は聞いた。
「知りません。かぜをひいた
覚えがないから」
「それはたのもしいな。だがこのうえぬれて歩いてもしようがないことだから、少しでも早くこの先の村へ行って休むとしよう」
ところがこの村には一けんも
宿屋というものはなかった。当たり前の家ではじいさんのこじきの、しかも子どもに三びきの犬まで引き
連れて、ぬれねずみになった
同勢をとめようという者はなかった。
「うちは
宿屋じゃないよ」
こう言ってどこでも戸を立てきった。わたしたちは一けん一けん聞いて歩いて、一けん一けん
断られた。
これから四マイル(約六キロ)ユッセルまで一休みもしないで行かなければならないのか。暗さは暗し、雨はいよいよ
冷たく
骨身に通った。ああ、バルブレンのおっかあのうちがこいしい。
やっとのことで一けんの
百姓家がいくらか親切があって、わたしたちを
納屋にとめることを
承知してくれた。でもねるだけはねても、明かりをつけることはならないという言いわたしであった。
「おまえさん、マッチを出しなさい。あしたたつとき返してあげるから」とその
百姓家の主人はヴィタリス
老人に言った。
それでもとにかく、風雨を
防ぐ屋根だけはできたのであった。
老人は
食料なしに旅をするような
不注意な人ではなかった。かれは
背中にしょっていた
背嚢から一かたまりのパンを出して、四きれにちぎった。
さてこのときわたしははじめて、かれがどういうふうにして、
仲間の
規律を立てているかということを知った。さっきわれわれが一けん一けん
宿を
探して歩いたとき、ゼルビノがある家にはいったが、さっそくかけ出して来たとき、パンの切れを口にくわえていた。そのとき
老人はただ、
「よしよし、ゼルビノ……今夜は
覚えていろ」とだけ言った。
わたしはもうゼルビノのどろぼうをしたことは
忘れて、ヴィタリスがパンを切る手先をぼんやり見ていた。ゼルビノはしかしひどくしょげていた。
ヴィタリスとわたしはとなり合ってジョリクールをまん中に
置いて、二つあるわらのたばの上、かれ草のたばの上にこしをかけて、三びきの犬はその前にならんでいた。カピとドルスは主人の顔をじっと見つめているのに、ゼルビノは耳を立ててしっぽを足の間に入れて立っていた。
老人は
命令するような調子で言った。「どろぼうは
仲間をはずれて、すみに行かなければならんぞ。夕食なしにねむらなければならんぞ」
ゼルビノは
席を去って、指さされたほうへすごすご出て行った。それでかれ草の
積んである下にもぐりこんで、
姿が見えなくなったが、その下で悲しそうにくんくん
泣いている声が聞こえた。
老人はそれからわたしにパンを一きれくれて、自分の分を食べながら、ジョリクールとカピとドルスに、小さく切って分けてやった。
どんなにわたしはバルブレンのおっかあのスープがこいしくなったろう。それにバターはなくっても、
暖かい
炉の火がどんなにいい心持ちであったろう。夜着の中に鼻をつっこんでねた小さな
寝台がこいしいな。
もうすっかりくたびれきって、足は木ぐつですれて
痛んだ。着物はぬれしょぼたれているので、
冷たくってからだがふるえた。夜中になってもねむるどころではなかった。
「歯をがたがた言わせているね。おまえ寒いか」と
老人が言った。
「ええ、少し」
わたしはかれが
背嚢を開ける音を聞いた。
「わたしは着物もたんとないが、かわいたシャツにチョッキがある。これを着てまぐさの下にもぐっておいで。じきに
暖かになってねむられるよ」
でも
老人が言ったようにそうじき暖かにはならなかった。わたしは長いあいだわらのとこの上でごそごそしながら、苦しくってねむられなかった。もうこれから先はいつもこんなふうにくらすのだろうか。ざあざあ雨の
降る中を歩いて、寒さにふるえながら、
物置きの中にねて、夕食にはたった一きれの
固パンを分けてもらうだけであろうか。スープもない。だれもかわいがってくれる者もない。だきしめてくれる者もない。バルブレンのおっかあももうないのだ。
わたしの心はまったく悲しかった。なみだが首を流れ落ちた。
そのときふと
暖かい息が顔の上にかかるように思った。
わたしは手を
延ばすと、カピのやわらかい毛が手にさわった。かれはそっと草の上を音のしないように歩いて、わたしの所へやって来たのだ。わたしのにおいを
優しくかぎ回る息が、わたしのほおにも
髪の
毛にもかかった。
この犬はなにをしようというのであろう。
やがてかれはわたしのすぐそばのわらの上に
転げて、それはごく
静かにわたしの手をなめ始めた。
わたしもうれしくなって、わらのとこの上に半分起き返って、犬の首を両うでにかかえて、その
冷たい鼻にキッスした。かれはわずか息のつまったような
泣き
声を立てたが、やがて手早く前足をわたしの手に
預けて、じつとおとなしくしていた。
わたしはつかれも悲しみも
忘れた。息苦しいのどがからっとして、息がすうすうできるようになった。ああ、わたしはもう一人ではなかった。わたしには友だちがあった。
初舞台
そのあくる日は早く出発した。
空は青あおと晴れて、夜中のから風がぬかるみをかわかしてくれた。小鳥が林の中でおもしろそうにさえずっていた。三びきの犬はわたしたちの回りにもつれていた。ときどきカピが後足で立ち上がって、わたしの顔を見ては二、三度
続けてほえた。かれの心持ちはわたしにはわかっていた。
「元気を出せ、しっかり、しっかり」
こう言っているのであった。
かれはりこうな犬であった。なんでもわかるし、人にわからせることも知っていた。この犬の
尾のふり方にはたいていの人の
舌や口で言う
以上の
頓知と
能弁がふくまれていた。わたしとカピの間にはことばは
要らなかった。
初めての日からおたがいの心持ちはわかっていた。
わたしはこれまで村の外には出たことがなかったし、
初めて町を見るのはなにより楽しみであった。
でもユッセルの町は子どもの目にそんなに美しくはなかったし、それに町の
塔や古い
建物などよりも、もっと気になるのはくつ屋の店であった。
老人がやくそくをしたくぎを打ったくつのある店はどこだろう。
わたしたちがユッセルの古い町を通って行ったとき、わたしはきょろきょろそこらを見回した。ふと老人は
市場の後ろの一けんの店にはいった。店の外に古い
鉄砲だの、金モールのへりのついた服だの、ランプだの、さびたかぎだのがつるしてあった。
わたしたちは
三段ほど段を下りてはいってみると、それはもう屋根がふけてからのち、太陽の光がついぞ一度もさしこまなかったと思われる大きな
部屋にはいった。
くぎを打ったくつなんぞを、どうしてこんな気味の悪い所で売っているだろう。
けれども
老人にはわかっていた。それでまもなくわたしは、これまでの木ぐつの
十倍も重たい、くぎを打ったくつをはくことになった。うれしいな。
老人の
情けはそれだけではなかった。かれはわたしに水色ビロードの上着と、
毛織りのズボンと、フェルトぼうしまで買ってくれた。かれのやくそくしただけの品は
残らずそろった。
まあ、
麻の着物のほか着たことのなかったわたしにとって、ビロードの服のめずらしかったこと。それにくつは。ぼうしは。わたしはたしかに世界じゅうでいちばん幸福な、いちばん気前のいい大金持ちであった。ほんとうにこの
老人は世界じゅうでいちばんいい人でいちばん
情け深い人だと思われた。
もっともそのビロードは油じみていたし、
毛織りのズボンはかなり
破れていた。それにフェルトぼうしのフェルトもしたたか雨によごれて、もとの色がなんであったかわからないくらいであった。けれどもわたしはむやみにうれしくって、品物のよしあしなどはわからなかった。
ところで
宿屋に帰ってから、さっそくこのきれいな着物を着たいとあせっていたわたしをびっくりさせもし、つまらなくもさせたことは、
老人がはさみでそのズボンのすそをわたしのひざの長さまで切ってしまったことであった。
わたしは丸い目をしてかれの顔を見た。
「これはおまえをほかの子どもと同じように見せないためだよ。フランスではおまえはイタリアの子どものようなふうをするのだ。イタリアではフランスの子どものようなふうをするのだ」とかれは
説明した。
わたしはいよいよびっくりしてしまった。
「わたしたちは
芸人だろう。なあ。それだから当たり前の人のようなふうをしてはならないのだ。われわれがここらのいなかの人間のようなふうをして歩いたら、だれが目をつけると思うか。わたしたちはどこでも立ち止まれば、回りに人を集めなければならない。困ったことには、なんでもていさいを作るということが、この世の中でかんじんなことなのだよ」
こういうわけで、わたしは朝まではフランスの子どもであったが、その
晩はもうイタリアの子どもになっていた。
ズボンはやっとひざまで
届いた。
老人はくつ下にひもをぬいつけて、フェルトぼうしの上にはいっぱいに赤いリボンを
結びつけた。それから毛糸の花でおかざりをした。
わたしはほかの人がどう思うかは知らないが、正直に言えば自分ながらなかなかりっぱになったと思った。親友のカピも同じ考えであったから、しばらくわたしの顔をじっと見て、
満足したふうで前足を出した。
わたしはカピの
賛成を
得たのでうれしかった。それというのが、わたしが着物を着かえている
最中、
例のジョリクールめが、わたしのまん前にべったりすわって、大げさな身ぶりで、さんざんひとのするとおりのまねをして、すっかり仕度ができると、今度はおしりに手を当て、首をちぢめて、あざけるように
笑ったので、一方にそういう実意のある
賛成者のできたのがよけいにうれしかったのである。
いったいさるが笑うか笑わないかということは、学問上の問題だそうだ。わたしは長いあいだジョリクールと
仲よくくらしていたが、かれはたしかに笑った。しかもどうかすると人をばかにした
笑い
方をしたものだ。もちろんかれは人間のようには笑わなかった。けれどもなにかおもしろいことがあると、口を曲げて、目をくるくるやって、あのしっぽをす早く
働かせる。そうしてまっ黒な目はぴかぴか光って、火花がとび出すかと思われた。
「さあ仕度ができたら」と
最後にぼうしを頭にかぶると
老人が言った。「わたしたちはいよいよ仕事にかからなければならない。あしたは
市の立つ日だから、おまえは
初舞台を
務めなければならない」
初舞台。初舞台とはどんなことだろう。
老人はそこで、この初舞台というのは、三びきの犬とジョリクールを
相手に
芝居をすることだと教えてくれた。
「でもぼく、どうして
芝居をするのか知りません」と、わたしはおどおどしながらさけんだ。
「それだから、わたしが教えてあげようというのだよ。教わらなけりゃわかりゃしない。この動物どももいっしょうけんめい自分の役をけいこしたものだ。カピが後足で立つのでも、ドルスがなわとびの
芸当をやるのでも、みんなけいこをして
覚えたのだ。ずいぶん
骨の
折れたことではあったが、その代わりご
覧、あのとおりかしこくなっている。おまえも、これからいろいろの役を覚えるためにはよほど勉強が
要る。とにかく仕事にかかろう」
これまでわたしは仕事といえば、畑にくわを入れるとか、石を切るとか、木をかるとかいうほかにはないように思っていた。
「さてわたしたちのやる
狂言は、『ジョリクール
氏の家来、一名とんだあほうの取りちがえ』というのだ。それはこういう
筋だ。ジョリクール氏はこれまで一人家来を使っていた。それはカピという名前で、ジョリクール氏はこの家来に
満足していたのだが、年を取ったのでひまを取ろうとする。それでカピは主人にひまを取るまえに、代わりの家来を見つけるやくそくをする。さてその後がまの家来というのは、犬ではなくって子どもなのだ。ルミと名乗るいなかの子どもなのだ」
「やあ、ぼくと同じ名前の……」
「いや、同じ名前ではない、それがおまえなんだ。おまえはジョリクール
氏の所へ
奉公口を
探しにいなかから出て来たのだ」
「おさるに家来はないでしょう」
「そこが
芝居だよ。さておまえはいきなり村からとび出して来た。それでおまえの新しい主人はおまえをあほうだと思う」
「おお、ぼく、そんなこといやです」
「人が
笑いさえすれば、そんなことはどうでもいいじゃないか。さておまえは
初めてこのだんなの所へ家来になってやって来た。そして食事のテーブルごしらえを言いつけられる。それ、ちょうどそこに、
芝居に使うテーブルがある。さあ、仕度におかかり」
このテーブルの上には、おさらに、コップに、ナイフが一本、フォークが一本、白いテーブルかけが一
枚置いてあった。
どうしてこれだけのものをならべようか。
わたしはそれを考えて、両手をつき出してテーブルによっかかって、ぽかんと口を開けたまま、なにから手をつけていいか困っていると、親方は両手を打って、
腹をかかえて
笑いだした。
「うまいうまい。それこそ本物だ」とかれはさけんだ。「わたしが
先に使っていた子どもは
狡猾そうな顔つきで、どうだ、あほうのまねはうまかろうと言わないばかりであった。おまえのはそれがいかにも
自然でいい。どうしてすばらしいものだ」
「でもぼく、どうしていいのかわからないんです」
「それだからそんなにうまくやれるのだ。おまえに
芝居がわかるとかえって、いま思っているようなことをわざとするようになるだろう。なんでもいまのどうしていいかわからずに
困っている心持ちを
忘れないようにしてやれば、いつも上出来だよ。つまり役の
性根は、さると人間が、主人と家来と身分を取りかえたついでに、ばかをりこうと取りかえて、とんだあほうの取りちがえ、これが
芝居のおかしいところなのだ」
『ジョリクール
氏の家来』は
大芝居というのではなかったから、二十分より長くは
続かなかった。ヴィタリスはわたしたちにたびたびそれをくり返させた。わたしは主人がずいぶんしんぼう強いのでおどろいた。これまで村でよく動物をしこむところを見たが、ひどくしかったり、ぶったりしてやっとしこむのであった。ずいぶんけいこは長くやったが、親方は一度もおこったこともなければ、しかったこともなかった。
「さあ、もう一度やり直しだ」とかれは
厳しい声で言って、いけないところを直した。「カピ、それはいけません。ジョリクール、気をつけないとしかりますぞ」
これがすべてであった。しかしそれでじゅうぶんであった。
わたしを教えながらかれは言った。「なんでもけいこには犬をお手本にするがいい。犬とさるとを比べてごらん。ジョリクールはなるほどはしっこいし、ちえもあるけれども、注意もしないし、
従順でもないのだ。かれは教えられたことはわけなく
覚えるが、すぐそれを
忘れてしまう。それにかれは言われたことをわざとしない。かえってあべこべなことをしたがる。それはこの動物の
性質だ。だからわたしはあれに対してはおこらない。さるは犬と同じ
良心を持たない。あれには
義務ということばの意味がわかっていない。それが犬におとるところだ。わかったかね」
「ええ」
「おまえはりこうで注意深い子だ。まあなんによらずすなおに、自分のしなければならないことをいっしょうけんめいにするのだ。それを一生
覚えておいで」
こういう話をしているうち、わたしは
勇気をふるい起こして、
芝居のけいこのあいだなによりわたしをびっくりさせたことについてかれに
質問した。どうしてかれが犬やさるやわたしに対してあんなにしんぼう強くやれるのであろうか。
かれはにっこり
笑った。「おまえは
百姓たちの
仲間にいて、手あらく生き物を取りあつかっては、言うことを聞かないと
棒でぶつようなところばかり見てきたのだろう。だがそれは大きなまちがいだよ。手あらくあつかったところでいっこう役に立たない。
優しくしてやればたいていはうまくゆくものだ。だからわたしは動物たちに優しくするようにしている。むやみにぶてばかれらはおどおどするばかりだ。ものをこわがるとちえがにぶる。それに教えるほうでかんしゃくを起こしては、ついいつもの自分とはちがったものになる。それではいまおまえに感心されたようなしんぼう力は出なかったろう。他人を教えるものは自分を教えるものだということがこれでわかる。わたしが動物たちに
教訓をあたえるのは、同時にわたしがかれらから教訓を受けることになるのだ。わたしはあれらのちえを進めてやったが、あれらはわたしの
品性を作ってくれた」
わたしは
笑った。それがわたしにはきみょうに思われた。でもかれはなお
続けた。
「おまえはそれをきみょうだと思うか。犬が人間に
教訓を
授けるのはきみょうだろう。だがこれはほんとうだよ。
すると主人が犬をしこもうと思えば、自分のことをかえりみなければならない。その
飼い
犬を見れば主人の人がらもわかるものだ。悪人の飼っている犬はやはり悪ものだ。
強盗の犬はどろぼうをする。ばかな
百姓が飼い犬は
ばかで、もののわからないものだ。親切な
礼儀正しい人は、やはり
気質のいい犬を飼っている」
わたしはあしたおおぜいの前に
現れるということを思うと、
胸がどきどきした。犬やさるはまえからもう何百ぺんとなくやりつけているのだから、かえってわたしよりえらかった。わたしがうまく役をやらなかったら、親方はなんと言うだろう。見物はなんと言うだろう。
わたしはくよくよ思いながらうとうとねいった。そのゆめの中で、おおぜいの見物が、わたしがなんてばかだろうと言って、
腹をかかえて
笑うところを見た。
あくる日になると、いよいよわたしは心配でおどおどしながら、
芝居をするはずのさかり場まで行列を作って行った。
親方が先に立って行った。
背の高いかれは首をまっすぐに立て、
胸を前へつき出して、おもしろそうにふえでワルツをふきながら、手足で
拍子をとって行った。その後ろにカピが
続いた。イギリスの
大将の
軍服をまねた金モールでへりをとった赤い上着を着、鳥の
羽根でかざったかぶとをかぶったジョリクールがその
背中にいばって乗っていた。
ゼルビノとドルスが、ほどよくはなれてそのあとに続いた。
わたしがしんがりを
務めていた。わたしたちの行列は親方の指図どおり
適当な間をへだてて進んだので、かなり人目に立つ行列になった。
なによりも親方のふくするどいふえの
音にひかれて、みんなうちの中からかけ出して来た。とちゅうの家の
窓という窓はカーテンが引き上げられた。
子どもたちの
群れがあとからかけてついて来た。やがて広場に着いたじぶんには、わたしたちの行列に、はるか多い見物の行列がつながって、たいした人だかりであった。
わたしたちの
芝居小屋はさっそくできあがった。四本の木になわを
結び回して、その長方形のまん中にわたしたちは
陣取ったのである。
番組の第一は犬の
演じるいろいろな
芸当であった。わたしは犬がなにをしているかまるっきりわからなかった。わたしはもう心配で心配で自分の役を
復習することにばかり気を取られていた。わたしが
記憶していたことは、親方がふえをそばへ
置き、ヴァイオリンを取り上げて、犬のおどりに合わせてひいたことで、それはダンス曲であることもあれば、
静かな悲しい調子の曲であることもあった。なわ
張りの外に見物はぞろぞろ集まっている。わたしはこわごわ見回すと、数知れないひとみの光がわたしたちの上に集まっていた。
一番の
芸当が終わると、カピが歯の間にブリキのぼんをくわえて、お客さまがたの間をぐるぐる回りを始めた。見物の中で
銭を入れない者があると、立ち止まって二本の前足をこのけちんぼうなお客のかくしに当てて、三度ほえて、それから前足でかくしを軽くたたいた。それを見るとみんな
笑いだして、うれしがってときの声を上げた。
じょうだんや、
嘲笑のささやきがそこここに起こった。
「どうもりこうな犬じゃないか。あいつは金を持っている人といない人を知っている」
「そら、ここに手をかけた」
「出すだろうよ」
「出すもんか」
「おじさんから
遺産をもらったくせに、けちな男だなあ」
さてとうとう
銀貨が一
枚おく
深いかくしの中からほり出されて、ぼんの中にはいることになった。そのあいだ親方は一
言もものは言わずに、カピのぼんを目で見送りながら、おもしろそうにヴァイオリンをひいた。まもなくカピが
得意らしくぼんにいっぱいお金を入れて帰って来た。
いよいよ
芝居の始まりである。
「さてだんなさまがたおよびおくさまがたに申し上げます」
親方は、
片手に
弓、片手にヴァイオリンを持って、身ぶりをしながら
口上を
述べだした。
「これより『ジョリクール
氏の家来。一名とんだあほうの取りちがえ』と題しまするゆかいな
喜劇をごらんにいれたてまつります。わたくしほどの
芸人が、手前みそに
狂言の
功能をならべたり、
一座の役者のちょうちん持ちをして、自分から
品を下げるようなことはいたしませぬ。ただ一
言申しますることは、どうぞよくよくお目止められ、お耳止められ、お
手拍子ごかっさいのご用意を
願っておくことだけでございます。
始まり」
親方はゆかいな
喜劇だと言ったが、じつはだんまりの身ぶり
狂言にすぎなかった。それもそのはずで、
立役者の二人まで、ジョリクールも、カピもひと言も口はきけなかったし、第三の役者のわたしもふた言とは言うことがなかった。
けれども見物に
芝居をよくわからせるために、親方は芝居の進むにつれて、かどかどを音楽入りで
説明した。
そこでたとえば
勇ましい
戦争の曲をひきながら、かれはジョリクール
大将が登場を知らせた。大将はインドの戦争でたびたび
功名を
現して、いまの高い
地位にのぼったのである。これまで大将はカピという犬の家来を一人使っていたが、出世していてお金が取れて、ぜいたくができるようになったので、人間の家来をかかえようと思っている。長いあいだ動物が人間の
奴隷であったけれども、それがあべこべになるときが来たのである。
家来の来るのを待つあいだに、大将は
葉巻きをふかしながらあちこちと歩き回る。見物の顔にかれがたばこのけむりをふっかけるふうといったら、
見物であった。なかなか来ないのでじれて、人間がかんしゃくを起こすときのように目玉をくるくる回し始める。くちびるをかむ。じだんだをふむ。三度目にじだんだをふんだときに、わたしがカピに
連れられて
舞台に
現れることになる。
わたしが役を
忘れていれば犬が教えてくれるはずになっていた。
やがてころ合いのじぶんに、かれは前足をわたしのはうへ出して、
大将がわたしを
紹介した。
大将はわたしを見ると、がっかりしたふうで両手を上げた。なんだ、これがわざわざ
連れて来た家来かい。それからかれは歩いて来て、わたしの顔をぶえんりょにながめた。そうして
肩をそびやかしながら、わたしの回りを歩き回っていた。その様子がそれはこっけいなので、だれもふき出さずにはいられなかった。見物がなるほど、このさるはわたしをあほうだと思っているなとなっとくする。そうして見物もやはりわたしをあほうだと思いこんでしまう。
芝居がまたいかにもわたしのあほうさの
底が知れないようにできていた。することなすことにさるはかしこかった。
いろいろとわたしを
試験をしてみた
末、
大将はかわいそうになって、とにかく
朝飯を
食べさせることにする。かれはもう朝飯の仕度のできているテーブルを指さして、わたしにすわれといって合図をした。
「大将の考えでは、この家来にまあなにか食べるものでも食べさしたら、これほどあほうでもなくなるだろうというのですが、さて、どんなものでしょうか」と、ここで親方が
口上をはさんだ。
わたしは小さなテーブルに向かってこしをかけた。テーブルの上には
食器がならんで、さらの上にナプキンが
置いてあった。このナプキンをわたしはどうすればいいのだろう。
カピがその使い方を手まねで教えてくれた。しばらくしげしげとながめたあとで、わたしはナプキンで鼻をかんだ。
そのとき
大将が
腹をかかえて
大笑いをした。そうしてカピはわたしのあほうにあきれ返って、四つ足ででんぐり返しを打った。
わたしはやりそこなったことがわかったので、またナプキンをながめて、それをどうすればいいかと考えていた。
やがて思いついたことがあって、わたしはそれを
丸く
巻いてネクタイにした。
大将がもっと
笑った。カピがまたでんぐり返しを打った。
そのうちとうとうがまんがしきれなくなって、大将がわたしをいすから引きずり下ろして、自分が代わりにこしをかけて、わたしのためにならべられている
朝飯を食べだした。
ああ、かれのナプキンをあつかうことのうまいこと。いかにも上品に
軍服のボタンの
穴にナプキンをはさんでひざの上に広げた。それからパンをさいて、お酒を飲む
優美なしぐさといったらない。けれどいよいよ食事がすんで、かれが小ようじを言いつけて、
器用に歯をせせって(つついて)見せたとき、
割れるほど大かっさいがほうぼうに起こって、
芝居はめでたくまい
納めた。
「なんというあほうな家来だろう。なんというかしこいさるだろう」
宿屋に帰る道みち、親方はわたしをほめてくれた。わたしはもうりっぱな
喜劇役者になって、主人からおほめのことばをいただいて、
得意になるほどになったのである。
読み書きのけいこ
ヴィタリス親方の小さな役者の
一座は、どうしてなかなかたっしゃぞろいにはちがいなかったが、その曲目はそうたくさんはなかったから、長く同じ町にいることはできなかった。
ユッセルに着いて三日目には、また旅に出ることになった。
今度はどこへ行くのだろう。
わたしはもう
大胆になって、こう
質問を親方に発してみた。
「おまえはこのへんのことを知っているか」と、かれはわたしの顔を見ながら言った。
「いいえ」
「じゃあなぜ、どこへ行くと言って聞くのだ」
「知りたいと思って」
「なにを知りたいのだ」
わたしはなんと答えていいかわからないので、だまっていた。
「おまえは本を読むことを知っているか」
かれはしばらく考え深そうにわたしの顔を見て、こうたずねた。
「いいえ」
「本にはこれからわたしたちが旅をして行く土地の名やむかしあったいろいろなことが書いてある。一度もそこへ来たことがなくっても、本を読めばまえから知ることができる。これから道みち教えてあげよう。それはおもしろいお話を聞かせてもらうようなものだ」
わたしはまるっきりものを知らずに育った。もっともたったひと月村の学校に行ったことがあった。けれどその月じゅうわたしは一度も本を手に持ったことはなかった。わたしがここに話をしている時代には、フランスに学校のあることをじまんにしない村がたくさんあった。よし学校の先生のいる所でも、その人はなんにも知らないか、さもなければなにかほかに仕事があって、
預った子どもの世話をろくろくしない者が多かった。
わたしたちの村の学校の先生がやはりそれであった。それは先生がものを知らないというのではないが、わたしが学校に行っているひと月じゅうかれはただの一
課をすら教えなかった。かれはほかにすることがあった。その先生は商売がくつ屋であった。いやだれもそこから皮のくつを買う者がなかったから、ほんとうは木ぐつ屋だと言ったほうがいい。かれは一日こしかけにこしをかけて木ぐつにするけやきやくるみの木をけずっていた。そういうわけでわたしはなにも学校では教わらなかったし、
ABCをすら教わらなかった。
「本を読むってむずかしいことでしょうか」
わたしはしばらく考えながら歩いて、こう聞いた。
「頭のにぶい者にはむずかしいが、それよりも習いたい気のない者にはもっとむずかしい。おまえの頭はにぶいかな」
「ぼくは知りません。けれども教えてくだされば習いたいと思います」
「よしよし、考えてみよう。まあ、ゆっくり教えてあげよう。たっぷりひまはあるからね」
たっぷりひまがあるからゆっくりやろう。なぜすぐに始めないのだろう。わたしは本を読むことを習うのがどんなにむずかしいか知らなかった。もう本を開ければすぐに中に書いてあることがわかるように思っていた。
そのあくる日歩いて行くとちゅう、親方はこしをかがめて、ほこりをかぶった板きれを拾い上げた。
「はら、これがおまえの習う本だ」とかれは言った。
なにこの板きれが本だとは。わたしはじょうだんを言っているのだろうと思って、かれの顔を見た。けれどかれはいっこうにまじめな顔をしていた。わたしは木ぎれをじっと見た。
それはうでぐらい長さがあって、両手をならべたくらいはばがあった。そのうえには字も絵も書いてはなかった。
わたしはからかわれるような気がした。
「あすこの木のかげへ行って休んでからにしよう。そこでどういうふうにわたしがこれを使って、本を読むことを教えるか、話してあげよう」と親方は言って、わたしのびっくりしたような顔を
笑いながら見た。
わたしたちは木のかげへ来ると、
背嚢を地べたに下ろして、そろそろひなぎくのさいている青草の上にすわった。ジョリクールはくさりを
解いてもらったので、さっそく木の上にかけ上がって、くるみを落とすときのように、こちらのえだからあちらのえだをゆすぶってさわいでいた。犬たちはくたびれて回りに
丸くなっていた。
親方はかくしからナイフを出して、いまの板きれの
両側をけずって、同じ大きさの小板を十二本こしらえた。
「わたしはこの一本一本の板に一つずつの字をほってあげる」とかれはわたしの顔を見ながら言った。わたしはじっとかれから目を放さなかった。「おまえはこの字を形で
覚えるのだ。それを一目見てなんだということがわかれば、それをいろいろに組み合わせてことばにするけいこをするのだ。ことばが読めるようになれば、本を習うことができるのだ」
やがてわたしのかくしはその小さな木ぎれでいっぱいになった。それで
ABCの字を
覚えるのにひまはかからなかったけれども、読むことを覚えるのは
別の仕事であった。なかなか早くはいかないので、ときにはなぜこんなものを教わりたいと言いだしたかと思って、
後悔した。でもこれは、わたしがなまけ者でもなく、負けおしみが強かったからである。
わたしに字を教えながら親方は、それをいっしょにカピにも教えてみようかと思い立った。犬は時計から時間を
探し出すことを
覚えたくらいだから、文字を覚えられないことはなかった。それでカピとわたしは同級生になって、いっしょにけいこを始めた。犬はもちろん口で言えないから、木ぎれが
残らず草の上にまき
散らされると、かれは前足で、言われた文字をその中から拾い出して来なければならなかった。
はじめはわたしもカピよりはずっと進歩が早かった。けれどわたしは
理解こそ早かったが、
物覚えは、犬のほうがよかった。犬は一度物を教わると、いつもそれを覚えて
忘れることがなかった。わたしがまちがうと親方はこう言うのである。
「カピのはうが先に読むことを覚えるよ、ルミ」
そう言うとカピはわかったらしく、
得意になってしっぽをふった。
そこでわたしはくやしくなって気を入れて勉強した。それで犬がやっと自分の名前の四つの字を拾い出してつづることしかできないのに、わたしはとうとう本を読むことを
覚えた。
「さて、おまえはことばを読むことは覚えたが、どうだね、今度は
譜を読むことを覚えては」と親方が言った。
「譜を読むことを
覚えると、あなたのように歌が歌えますか」とわたしは聞いた。
「ああ。そうするとおまえもわたしのように歌が歌いたいと思うのかい」と親方が答えた。
「とてもそんなによくはできそうもないと思いますけれども、少しは歌いたいと思います」
「じゃあわたしが歌を歌うのを聞くのは
好きかい」
「ええ、わたしは、なによりそれが好きです。それはうぐいすの歌よりずっと好きです。けれどもまるでうぐいすの歌とはちがいますね。あなたが歌っておいでになると、ぼくは歌のとおりに
泣きたくなることもあるし、
笑いたくなることもあります。ばかだと思わないでください。あなたが
静かにさびしい歌をお歌いになると、わたしはまたバルブレンのおっかあの所へ帰ったような気がするのです。目をふさいで聞いていると、またうちにいるおっかあの
姿が目にうかびますけれども、歌はイタリア語だからわかりません」
わたしはあお向いてかれを見た。かれの目にはなみだがあふれていた。そのときわたしはことばを切って、
「気にさわったのですか」とたずねた。
かれは声をふるわせながら言った。「いいや、気にさわるなんということはないよ。それどころかおまえは、わたしを遠い子どもだったむかしにもどしてくれた。そうだ、ルミや、わたしは歌を教えてあげよう。そうしておまえは
情け深いたちだから、やはりその歌で人を泣かせることもできるし、人にほめられるようにもなるだろう」
かれは言いかけてふとやめた。わたしはかれがそのとき、そのうえに言うことを
好まないらしいのがわかった。わたしにはかれがそんなに悲しく思うわけがわからなかった。でもあとになって、それはある悲しい
事情から
初めてわかった。いずれわたしの話の進んだとき、それを言うおりがあるであるう。
そのあくる日、かれは小さく木を切って文字を作ったと同様に
音譜をこしらえた。
音譜は
ABCより入りくんでいた。今度は習うのにもいっそう
骨も
折れたし、たいくつでもあった。あれほど犬に対してしんぼうのいい親方も、一度ならずわたしにはかんにんの
緒を切ったこともあった。かれはさけんだ。
「
畜生に対しては、かわいそうな、口のきけないものだと思ってがまんするけれど、おまえではまったく気ちがいにさせられる」と、こうかれは言って、
芝居のように両手を空に上げて、急にまた下に下ろして、はげしくももを打った。
自分がおもしろいと思うと、まねをしてはおもしろがっているジョリクールは、今度も主人の身ぶりをまねていた。毎日わたしのけいこのときに、さるはいつもそばにいるので、わたしがつかえでもすると、そのたんびにがっかりした様子をして、かれが両うでを空に上げて、また下に下ろしては、ももを打つところを見ると、わたしはしょげずにはいられなかった。
「ご
覧、ジョリクールまでが、おまえをばかにしている」と親方がさけんだ。
わたしが思い切った子なら、さるがばかにしているのは
生徒ばかりではなく、先生までもばかにしているのだと言ってやりたかった。けれども
失礼だと思ったし、こわさもこわいのでえんりょして、心のうちでそう思うだけで
満足した。
とうとう何週間もけいこを
続けて、わたしは親方が書いた紙から、曲を読むことができるようになった。もう親方も、両手を空に上げなかった。それどころかかえって、歌うたんびにほめてくれて、この調子でたゆまずやってゆけば、きっとえらい歌うたいになれると言ってくれた。
むろんこれだけのけいこが一日でできあがるはずはなかった。何週間のあいだ何か月のあいだ、わたしのかくしはいつも小さな木ぎれで、いっぱいになっていた。
しかし、わたしの
課業は学校にはいっている子どものそれのように、
規則正しいものではなかった。親方が課業を
授けてくれるのは、そのひまな時間だけであった。
毎日決まった道のりだけは歩いて行かなければならなかった。もっともその道のりは村と村との間が遠いか近いか、それによって長くもなり短くもなった。いくらかでも、
収入のある
機会を見つけしだい、そこで止まって
芝居をうたなければならなかった。犬たちやジョリクール
氏に役々の
復習をもさせなければならなかった。
朝飯も
昼飯もてんでんに自分で用意しなければならなかった。読書なり音楽なりの仕事は、つまりそういうもののすんだあとのことであった。まあいちばんよく教えてもちったのは、
休憩の時間で、木の根かたや、
小砂利の山の上や、または
芝生なり、道ばたの草の上が、みんなわたしの木ぎれをならべる
机が代わりになった。
この
教育法はふつうの子どもの受けるそれとは、少しも
似たところがなかった。ふつうの子どもなら、ただ勉強するほかに仕事はないし、それでもかれらはしじゅうあたえられた
宿題をやる時間がないといって、ぶつぶつ言うのである。
けれど、勉強に使う時間のあるなしよりも、もっとたいせつなものがあった。それはその仕事に
専念するということであった。
授かった
課業を
覚えるのは、覚えるために
費される時間ではなくって、それは覚えたいと思う
熱心であった。
幸いにわたしは、ぐるりに起こる出来事に心をうばわれることなしに、むちゅうに勉強のできるたちであった。もしそのじぶんわたしが、
部屋の中に
閉じこもって、両手で耳をふさいで、目を本にはりつけたようにしているのでなければ、勉強のできない
生徒のようであったら、わたしになにができたろう、なにもできはしない。なぜというに、わたしには、閉じこもる部屋もなかった。
往来に
沿って前へ前へと進みながら、ときどきもうつまずいてたおれそうになるほど
痛い足の先を、見つめ見つめしてゆかなければならなかった。
だんだんわたしはおかげでいろんなことを
覚えた。と同時に親方の
授けてくれた
課業以上に
有益な長い旅行をした。わたしがバルブレンのおっかあの所にいたじぶんには、ごくやせっぽちな子どもであった。みんながわたしを見て言ったことばで、その様子はよくわかる。「町の子どもだ」と、バルブレンは言ったし、「ひどくひょろひょろした手足の子だ」と親方は言った。
ところが親方のあとについて、広い青空の下に
困難な生活を
続けているあいだに、わたしの手足は強くなり、
肺臓は
発達し、
皮膚は
厚くなり、ちょうどかぶとをかぶったように寒さをも暑さをもしのぐことができるようになった。
こうして、このつらいお
弟子修業のおかげで、わたしは少年時代に、たいていの
困難に打ち勝ってゆく力を
養うことのできたのは、あとで思えばひじょうな幸福であった。
山こえて谷こえて
わたしたちはフランスの
中央の一部、たとえばローヴェルニュ、ル・ヴレー、ル・リヴァレー、ル・ケルシー、ル・ルーエルグ、レ・セヴェンネ、ル・ラングドックというような土地土地をめぐって歩いた。
わたしたちの流行はしごく
簡単であった。どこでもかまわずまっすぐに出かけて行って、あまりびんぼうでない町だと見ると、まず行列を作る用意を始めて、犬たちに着物を着せかえてやり、ドルスの
髪にくしを入れてやる。カピが
老兵の役をやっているときは、目の上に
包帯をしてやる。
最後にいやがるジョリクールに
大将の
軍服を着せる。これがなによりいちばんやっかいな仕事であった。なぜというにこのさるは、これが仕事にかかるまえぶれだということを知りすぎるほど知っていて、なんでも着物を着させまいとするために、それはおかしな
芸当を考え出すのであった。そこでわたしはしかたがないからカピを
加勢に
呼んで来て、二人がかりでどうやらこうやらおさえつけて、言うことを聞かせるのであった。
さて
一座残らずの仕度ができあがると、ヴィタリス親方は
例のふえでマーチをふきながら村の中へはいって行く。
そこでわれわれのあとからついて来る
群衆の数が
相応になると、さっそく
演芸を始めるが、ほんの二、三人気まぐれな
冷やかしのお客だけだとみると、わざわざ足を止める
値打ちもないので、かまわずずんずん進んで行く。
一つの町に五、六日も
続けて
滞留いているようなときには、カピがついていさえすれば、親方はわたしを一人手放して外へ出してくれた。親方はつまりわたしをカピに
預けたのである。
「おまえは同じ年ごろの子どもがたいがい学校に行っている時代に、ひょんなことからフランスの国じゅうを歩く回り合わせになっているのだ」と親方はあるときわたしに言った。「だから学校へ行く代わりに、自分で目を開いて、よくものを見て
覚えるのだ。見てわからないものがあったら、かまわずにわたしに
質問するがいい。わたしだってなんでも知っているわけではないが、一とおりおまえの知りたい心を
満足させるだけのことはできるだろう。わたしもいまのような人間でばかりはなかった。かなりむかしはいろいろほかの気のきいたことも知っていた」
「どんなことを」
「それはまたいつか話そうよ。ただまあ、むかしから犬やさるの
見世物師でもなかったことだけ知ってもらえばよい。なんでも人間は心がけしだいで、いちばん
低い
位置からどんなにも高い
位置に上ることができる。これも
覚えていてもらいたい。それでおまえが大きくなったとき、どうかまあ、気のどくな旅の
音楽師が自分を
養い
親の手から引きさらって行ったときには、つらくもこわくも思ったようなものも、つまりそれがよかったのだと思って、
喜んでくれるときがあればいいと思うのだ。まあ、こうして
境遇の
変わるのが、つまりはおまえのために悪くはないかもしれないのだからな」
いったいこの親方はもとはなんであったろう、わたしは知りたいと思った。
さてわたしたちはだんだんめぐりめぐって行って、ローヴェルニュからケルシーの高原にはいった。これはおそろしくだだっ広くってあれていた。小山が波のようにうねっていて、開けた土地もなければ、大きな
樹木もなかったし、人通りはごく少なかった。小川もなければ池もない。所どころ水がかれきって、石ばかりの谷川が目にはいるだけであった。その原っぱのまん中にバスチード・ミュラーという小さな村があった。わたしたちはこの村のある
宿屋の
物置きに一夜を
過ごした。
「そうだ、この村だったよ」とヴィタリス親方が言った。「しかもこの同じ宿屋だったかもしれないが、のちに何万という
軍勢を
率いる
大将がここで生まれたのだ。
初めはうまやのこぞうから身を起こして、
公爵がなり、のちには王さまになった。名前をミュラーと言った。みんながその人を
英雄と
呼んで、この村をもその名前で呼ぶことになった。わたしはその男を知っていた。たびたびいっしょに話をしたこともあった」
わたしもさすがにことばをはさまずにはいられなかった。
「うまやのこぞうだったときにですか」
「いいや」と親方は
笑いながら答えた。「もう王さまだったじぶんにだよ。今度
初めてわたしはこの地方にやって来たのだ。わたしはその男が王さまだったナポリの
宮殿で知り合いになったのだ」
「あなたは王さまと知り合いなのですか」
わたしのこういった調子は少しこっけいであったとみえて、親方はさもゆかいそうに
笑いだした。
わたしたちはうまやの戸の前のこしかけにこしをかけて、昼間の太陽のぬくもりのまだ
残っているかべに
背中をおしつけていた。われわれの頭の上におっかぶさっている大きないちじくの木の中で夕ぜみが鳴いていた。
母屋の屋根の上には、いま出たばかりの
満月が
静かに青空に上がっていた。その日は昼間こげるように暑かったので、それがいっそう心持ちよく思われた。
「おまえ、とこにはいりたいか」と親方はたずねた。「それともミュラー王の話でもしてもらいたいと思うか」
「ああ、どうぞそのお話をしてください」
そこで親方はわたしとこしかけの上にいるあいだ、長物語をしてくれた。親方が話をしているうちに、だんだん青白い月の光がななめにさしこんできた。わたしはむちゅうになって耳を立てた。両方の目をすえてじっと親方の顔を見ていた。
わたしはまえにこんなむかし物語などを聞いたことがなかった。だれがそんな話をして聞かせよう。バルブレンのおっかあはとても話すわけがない。かの女はそんな話は少しも知らなかった。かの女はシャヴァノンで生まれて、たぶんはそこで死ぬのだろう。かの女の心は目で見るかぎりをこえて先へは行かなかった。それもアンドゥーズ山の
頂から見晴らす地平線上に
限られていた。
わたしの親方は王さまに会ったことがある。その王さまはかれと話をした。いったいこの親方は
若いときなんであったろう。それがどうしてこの年になって、いまのような身の上になったのだろう……
わたしの、活発に
鋭敏に
働く
幼い
想像と
好奇心は、この一つのことにばかり
働いた。
七里ぐつをはいた大男
南部地方の高原のかわききった土地をはなれてのち、わたしたちは、いつも青あおとした谷間の道を通って、旅を
続けた。これはドルドーニュ川の谷で、わたしたちは毎日少しずつこの谷を下りて行った。なにしろこの地方は土地が
豊かで、
住民も
従って
富貴であったから、わたしたちの
興行の度数もしぜん多くなり、
例のカピのおぼんの中へもなかなかたくさんのお金が投げこまれた。
ふと空中に、ふうわりとちょうど
霧の中にくもの糸でつり下げられたように、橋が一つ、大きな川の上にかかっていた。川はその下にごくおだやかに流れていた――これはキュブザックの橋で、川はドルドーニュ川であった。
あれた町が一つ、そこには古いおほりもあり、岩屋もあり、
塔もあった。
修道院のあれたへいの中には、せみが
雑木の中で、そこここに止まって鳴いていた――これはセンテミリオン寺であった。
けれどそれもこれもみんなわたしの
記憶の中でこんがらがって、ぼやけてしまっているが、そののちほどなく、ひじょうに強い
印象をあたえた
景色が
現れた。それは今日でもありありと、全体のうきぼりがさながら目の前に現れるくらいあざやかであった。
わたしたちはあるごくびんぼうな村に一夜を明かして、あくる日夜の明けないうちから出発した。長いあいだわたしたちは、ほこりっぽい道を歩いて来て、
両側にはしじゅうぶどう畑ばかりを見て来たのが、ふと、それはあたかも目をさえぎっていた窓かけがぱらりと落ちたように、
眼界が自由に開けた。
大きな川が一つ、わたしたちのそのとき行き着いた
丘のぐるりをゆるやかに流れていた。この川のはるか向こうに
不規則にゆがんだ地平線までは、大都市の屋根や
鐘楼が
続いて
散らばっていた。どれが家だろう。どれがえんとつだろう。中でいちばん高い、いちばん細いのが、五、六木、柱のように空につっ立って、そのてっぺんからまっ黒なけむりをふき出しては、風のなぶるままに、たなびいて、町の
真上に黒いガスの雲をわかしていた。川の上には、ちょうど中ほどの
河岸通りに
沿って数知れない船が
停泊して、林のようにならんだ
帆柱や、帆づなや、それにいろいろの色の
旗を風にばたばた言わせながらおし合いへし合いしていた。がんがんひびく
銅や鉄の音やつちの音、そういう物音の中に、
河岸通りをからから走って行くたくさんの車の音が交じって聞こえた。
「これがボルドーだ」と親方がわたしに言った。
わたしのような子どもにとっては――その年までせいぜいクルーズのびんぼう村か、道みち通って来たいくつかのちっぽけな町のほかに見たことのない子どもにとっては、これはおとぎ話の国であった。
なにを考えるともなく、わたしの足はしぜんと止まった。わたしはじっと立ち止まったまま、前のほうをながめたり、後ろのほうをながめたり、ただもうぼんやりそこらを見回していた。
しかし、ふとわたしの目は一点にとどまった。それは川の面をふさいでいるおびただしい船であった。
つまりそれはなんだかわけのわからない、ごたごたした活動であったが、それが自分でもはっきりつかむことのできない、ひじょうに強い
興味をわたしの心にひき起こした。
いくそうかの船は
帆をいっぱいに
張って、一方にかたむきながら、ゆうゆうと川を下って行くと、こちらからは反対に上って行った。島のように動かずに止まっているものもあれば、どうして動いているかわからないで、くるくる回っている船もあった。
最後にもう一つ、
帆柱もなければ、帆もなしに、ただえんとつの口から黒いけむりのうずを空に
巻きながら、黄ばんだ水の上に白いあわのあぜを作りながら、ずんずん走っているものもあった。
「ちょうどいまが
満潮だ」と親方はこちらから問いかけもしないのに、わたしのおどろいた顔に答えて言った。
「長い
航海から帰って来た船もある。ほら、ペンキがはげてさびついたようになっているだろう。あすこへは港をはなれて行く船がある。川のまん中にいる船が満潮にかじを向けるようなふうに、いかりの上でくるくる回っている。けむりの雲の中を走って行く船は引き船だ」
わたしにとってはなんということばであろう。なんという目新しい事実であろう。
わたしたちが、パスチードとボルドーを通じている橋の所へ来るまでに、親方はわたしが聞きたいと思った
質問の百分の一に答えるだけのひまもなかった。
これまでわたしたちはけっしてとちゅうの町で
長逗留をすることはなかった。なぜというに、しじゅう見物をかえる
必要から、しぜん毎日
興行の場所をも
変えなければならなかった。それに『名高いヴィタリス親方の
一座』の役者では、
狂言の
芸題をいろいろにかえてゆく自由がきかなかった。『ジョリクール
氏の家来』『
大将の死』『
正義の
勝利』『
下剤をかけた病人』、そのほか三、四
種の
芝居をやってしまえば、もうおしまいであった。それで
一座の役者の
芸は
種切れであった。そこでまた場所を
変えて、まだ見ない見物の前で、これらの
狂言を、
相変わらず、『下剤をかけた病人』か、『正義の勝利』をやらなければならなかった。
しかし、ボルドーは大都会である。見物は
容易に入れかわったし、場所さえ変えると毎日三、四回の
興行をすることができた。それでもカオールに行ったときのように、『いつでも同じことばかりだ』とどなられるようなことはなかった。
ボルドーを打ち上げてから、わたしたちはポーへ行かなければならなかった。そのとちゅうでは大きなさばくをこえなければならなかった。さばくはボルドーの町の門からピレネーの
連山まで
続いていて、『ランド』という名で
呼ばれていた。
もうわたしもおとぎ話にある
若いはつかねずみのように、見るもの聞くものが
驚嘆や
恐怖の
種になるというようなことはなかった。それでもわたしはこの旅行の
初めから、親方を
笑わせるような
失敗を
演じて、ポーに着くまで、そのためなぶられどおしになぶられるほかはなかった。
わたしたちは七、八日のちボルドーを出発した。ガロンヌ川
沿岸の土地を回ったのち、ランゴンで川をはなれて、モン・ド・マルサンへ行く道をとった。その道はつま先下がりに下がっていった。もうぶどう畑もなければ、
牧場もない。
果樹園もない、ただ
まつと
灌木の林があるだけであった。やがて人家もだんだん少なくなり、だんだんみすぼらしくなった。とうとうわたしたちは大きな高原のまん中にいた。所どころ
高低はあっても、日の
届くかぎり野原であった。
畑地もなければ森もない、遠方から見るとただ一色のねずみ色の土地であった。道の
両側がうす黒いこけや、しなびきった
灌木や、いじけた
えにしだでおおわれていた。
「わたしたちはランドの中に来たのだ」と親方が言った。「このさばくのまん中まで行くには二十里か二十五里(八十キロか百キロ)行かなければならない。しつかり足に元気をつけるのだぞ」
元気をつけなければならないのは足だけではなかった。頭にも、
胸にも、元気をつけなければならなかった。なぜといって、もう終わる時のないように広いさばくの道を歩いて行くとき、だれでもばんやりして、わけのわからない悲しみと、がっかりしたような心持ちに
胸がふさがるのであった。
そののちもわたしはたびたび海上の旅をしたが、いつも大洋のまん中で
帆かげ一つ見えないとき、わたしはやはりこの
無人の土地で感じたとおりの言いようもない悲しみを、また
経験したことがあった。
大洋の中にいると同様に、わたしたちの日は遠い
秋霧の中に消えている地平線まで
届いていた。ひたすら
広漠と
単調が広がっている
灰色の野のほかに、なにも目をさえぎるものがなかった。
わたしたちは歩き
続けた。でも
機械的にときどきぐるりと見回すと、やはりいつまでも同じ場所に立ち止まったまま、少しも進んでいないように思われた。目に見える
景色はいつでも同じことであった。
相変わらずの
灌木、相変わらずの
えにしだ、相変わらずのこけであった。風がふくとやわらかなわらびの葉がなよなよと動いて、まるで波の走るように高く
低く走った。
ずいぶん長いあいだをおいて、たまさか、わたしたちはちょいとした森を通りぬけることがあったが、その森はふつうの森のように、とちゅうの
興をそえるようなものではなかった。いつも
まつの木の森で、そのえだはこずえまで風に打ち落とされていた。
幹に長く、深い
傷がえぐれていた。その赤い傷口からすきとおったまつやにのなみだが流れ出していた。風が傷口からふきこむと、いかにも悲しそうな音楽を
奏して、この気のどくな
まつがみずから
痛みをうったえる声のように聞かれた。
わたしたちは朝から歩き
続けていた。親方は夜までにはどこかとまれる村に着くはずだと言っていた。けれど夜になっても、その村らしいものは見えなかったし、人家に近いことを知らせるけむりも上がらなかった。
わたしはくたびれたし、ねむたかった。わたしたちは
前途はただ原っぱを見るだけであった。
親方もやはりくたびれていた。かれは足を止めて道ばたに休もうとした。
わたしはそれよりも、左手にあった小山に登って、村の火が見えるかどうか見たいと思った。
わたしはカピを
呼んだが、カピもやはりくたびれていたので、呼んでも聞こえないふりをしていた。これはいつでも言うことを聞きたくないときにカピのやることであった。
「おまえ、こわいのか」とヴィタリスは言った。
この
質問がすぐにわたしを
奮発さして、一人で行く気を起こさせた。
夜はすっかり
垂れまくを下ろした。月もなかった。空の上には星の光がうすもやの中にちらちらしていた。歩いて行くと、そこらのさまざまな物がぼんやりした光の中できみょうな
幽霊じみた形をしているように見えた。野生の
えにしだが、頭の上にぬっと高く
延びて、まるでわたしのほうへ向かって来るように見えた。上へ登れば登るほどいばらや草むらはいよいよ深くなって、わたしの頭をこして、上でもつれ合っていた。ときどきわたしはその中をくぐってぬけて行かなければならなかった。
けれどわたしはぜひも
頂上まで登らなければならないと決心した。でもやっとのこと登ってみれば、どちらを見ても明かりは見えなかった。ただもうきみょうな物の形と、大きな
樹木が、いまにもわたしをつかもうとするようにうでを
延ばしているだけであった。
わたしは耳を立てて、犬の声か、
雌牛のうなり声でも聞こえはしないかと思ったが、ただもうしんと
静まり返っていた。
どうかして聞き取ろうと思うから、耳をすませて、自分の立てる息の音さええんりょをして、わたしはしばらくじっと立っていた。
ふとわたしはぞくぞく身ぶるいがしだした。このさびしい、
人気のない
荒野原の
静けさが、わたしをおびやかしたのであった。なんにわたしはおびえたのであったか、たぶんあまり
静かなことが……夜が……とにかく言いようのない
恐怖がわたしの心にのしかかるようにしたのであった。わたしの
心臓は、まるでそこになにか
危険がせまったようにどきついた。
わたしはこわごわあたりを見回した。するとそのとき、遠方に大きな
姿をしたものが木の中で動いているのを見た。それといっしょにわたしは木のえだのがさがさいう音を聞いた。
わたしは
無理に、それは自分の気の
迷いだと思いこもうとした。きっとそれは木のえだか
灌木のかげかなんぞだったのだ。
けれど、そのとき風は、木の葉を動かすほどの軽い風もふいてはいなかった。はげしい風でふかれるか、だれかがさわらないかぎり動くはずはなかったのである。
「だれかしら」
いや、この自分のほうを目ざしてやって来る大きな
影法師が人間であるはずがなかった――わたしのまだ知らないなにかのけものか、またはおそろしい大きな夜鳥か、大きなばけぐもが木の上をとびこえて来るのだ。なんにしても
確かなことは、この化け物はおそろしく長い足をしていて、ばかばかしく早く飛んで来るということであった。
それを見るとわたしはあわてて、あとをも見ずに、足に
任せて小山をかけ下りて、ヴィタリスのいる所までにげようとした。
けれどきみょうなことに、登るときだけに早くわたしの足が進まなかった。わたしはいばらや、
雑草のやぶの中に
転がって、二足ごとにひっかかれた。
ちくちくするいばらの中からはい出して、わたしはふと後ろをふり向いてみた。
怪物はいよいよ近くにせまっていた。もういまにも頭の上にとびかかりそうになっていた。
運よく野原はそういばらがなかったので、いままでよりは、早くかけだすことができた。
でもわたしがありったけの
速力で、
競争しても、その
怪物はずんずん追いぬこうとしていた。もう後ろをふり返る
必要はなかった。それがわたしのすぐ
背中にせまっていることはわかっていた。
わたしは息もつけなかった。競争でつかれきっていた。ただはあすう、はあすう言っていた。しかし
最後の
大努力をやって、わたしは
転げこむように親方の足もとにかけこんだ。三びきの犬はあわててはね起きて、大声でほえた。わたしはやっと二つのことばをくり返した。
「化け物が、化け物が」
犬たちのけたたましいほえ声よりも高く、はちきれそうな
大笑いの声を聞いた。それと同時に親方は両手でわたしの
肩をおさえて、
無理に顔を後ろにふり向けた。
「おばかさん」とかれはさけんで、まだ笑いやめなかった。「まあよく見なさい」
そういうことばよりも、そのけたたましい
笑い
声がわたしを正気に返らせた。わたしは
片目ずつ開けてみた。そうして親方の指さすほうをながめた。
あれほどわたしをおどかした
怪物はもう動かなくなって、じつと
往来に立ち止まっていた。
その
姿を見ると、正直の話わたしはまたふるえだした。けれど今度はわたしも親方や犬たちのそばにいるのだ。草やぶのしげった中に
独りぼっちいるのではなかった……わたしは思い切って目を上げて、じっとその姿を見つめた。
けものだろうか。
人だろうか。
人のようでもあって、胴はあるし、頭も両うでもあった。
けものらしくもある。けれどもかぶっていた毛むくじゃらな身の皮と、それをのせているらしい二本の長細いすねは、それらしい。
夜はいよいよ暗かったが、この黒い
影法師は星明かりにはっきりと見えた。
わたしはしばらく、それがなんだかまだわからずにいたのであったが、親方はやがてその影法師に向かって話をしかけた。
「まだ村にはよほど遠いでしょうか」と、かれはていねいにたずねた。
話をしかけるところから見れば人間だったか。
だがそれは返事はしないで、ただ黙った。その笑い声は鳥の鳴き声めいていた。
するとけものかな。
主人はやはり問いを
続けた。
こうなると、それが今度口をきいて返事をしたら、やはり人間にちがいなかった。
ところでわたしのびっくりしたことには、その
怪物は、この近所には人家はないが、ひつじ小屋は一けんあるから、そこへ
連れて行ってやろうと言った。
おやおや、口がきけるのに、なぜけものような前足があるのだろう。
わたしに
勇気があったら、その男のそばへ行って、どんなふうに前足ができているか見て来るところであったろうが、わたしはまだ少しこわかった。そこで
背嚢をしょい上げてひと言も言わずに親方のあとについて行った。
「これでおまえ、正体がわかったろう」と親方は言って、道みち歩きながらも
笑っていた。
「でもぼくはまだなんだかわかりません。じやあこのへんには大男がいるのですか」
「そうさ。竹馬に乗っていれば大男にも見えるさ」
そこでかれはわたしに
説明してくれた。
砂地や
沼沢か多いランド地方の人は、
沼地を歩くとき水にぬれないように、竹馬に乗って歩くというのであった。なんてわたしはばかだったのであろう。
「これでこのへんの人が、七里ぐつをはいた大男になって、子どもをこわがらせたわけがわかったろうね」
裁判所
ポー市にはゆかいな
記憶がある。そこは冬ほとんど風のふかない心持ちのいい休み場であった。
わたしたちはそこに冬じゅういた。金もずいぶんたくさん取れた。お客はたいてい子どもたちであったから、同じ
演芸を何度も何度もくり返してやってもあきることがなかった。金持ちの子どもたちで、多くはイギリス人とアメリカ人の子どもであった。ぽちゃぽちゃとかわいらしく太った男の子、それに、大きな
優しい、ドルスの目のような美しい目をした女の子たちであった。そういう子どもたちのおかげでわたしはアルバートだのハントリだのという
菓子の味を
覚えた。なぜというに子どもたちはいつでもかくしにいっぱいお菓子をつめこんで来ては、ジョリクールと犬とわたしに分けてくれたからであった。
けれども春が近くなるに
従って、お客の数はだんだん少なくなった。
芝居がすむと一人ずつまた二人ずつ、子どもたちはやって来て、ジョリクールとカピとドルスに
握手をして行った。みんなさようならを言いに来たのであった。そこでわたしたちもまたなつかしい冬の休息所を
見捨てて、またもや
果て
知れない
漂泊の旅に出て行かなければならなかった。それはいく週間と知らない長いあいだ、谷間をぬけ山をこえた。いつもピレネー
連山のむらさき色のみねを横に見た。それはうずたかくもり上がった雲のかたまりのように見えていた。
さてある
晩わたしたちは川に
沿った
豊かな平野の中にある大きな町に着いた。赤れんがのみっともない家が多かった。とんがった
小砂利をしきつめた
往来が、一日十二マイル(約十九キロ)も歩いて来た旅行者の足をなやました。親方はわたしに、ここがツールーズの町だと言って、しばらくここに
滞留するはずだと話した。
例によってそこに着いていちばん
初めにすることは、あくる日の
興行につごうのいい場所を
探すことであった。
つごうのいい場所はけっして少なくはなかったが、とりわけ植物園の
近傍(近所)のきれいな
芝生には、大きな
樹木が気持ちのいいかげを作っていて、そこへ広い
並木道がほうぼうから集まっていた。その並木道の一つで第一回の
興行がすることにした。すると
初日からもう見物の山を
築いた。
ところで
不幸なことに、わたしたちが仕度をしているあいだ、
巡査が一人そばに立っていて、わたしたちの仕事を
不快らしい顔で見ていた。その巡査はおそらく犬がきらいであったか、あるいはそんな所にわれわれの
近寄ることをふつごうと考えたのか、ひどくふきげんでわたしたちを追いはらおうとした。
追いはらわれるままにわたしたちはすなおに出て行けばよかったかもしれなかった。わたしたちは巡査にたてをつくほどの力はないのであったが、しかし親方はそうは思わなかった。
かれはたかが犬を
連れていなかを
興行いて回る
見世物師の
老人ではあったが、ひじょうに
気位が高かったし、
権利の
思想をじゅうぶんに持っていたかれは、
法律にも
警察の
規律にも
背かないかぎりかえって警察から
保護を受けなければならないはずだと考えた。
そこで
巡査が立ちのいてくれと言うと、かれはそれを
拒絶した。
もっとも親方はひじょうにていねいであった。親方があまりはげしくおこらないとき、または他人をすこし
愚弄(ばかにする)しかけるときするくせで、まったくかれはそのイタリア風の
慇懃(ばかていねい)を
極端に
用いていた。ただ聞いていると、かれはなにか
高貴な
有力な人物と
応対しているように思われたかもしれなかった。
「
権力を代表せられるところの
閣下よ」とかれは言って、ぼうしをぬいでていねいに
巡査におじぎをした。「閣下は
果たして、右の権力より発動しまするところのご
命令をもって、われわれごときあわれむべき
旅芸人が、公園においていやしき
技芸を
演じますることを
禁止せられようと言うのでございましょうか」
巡査の答えは、
議論の
必要はない、ただだまってわたしたちは
服従すればいいというのであった。
「なるほど」と親方は答えた。「わたくしはただあなたがいかなる
権力によって、このご
命令をお発しになったか、それさえ
承知いたしますれば、さっそくおおせつけに
服従いたしますことを、つつしんで
誓言いたしまする」
この日は
巡査も
背中を向けて行ってしまった。親方はぼうしを手に持ってこしを曲げたまま、にやにやしながら、
旗を
巻いて
退く
敵に向かって
敬礼した。
けれどその
翌日も、巡査はまたやって来た。そうしてわたしたちの
芝居小屋の
囲いのなわをとびこえて、
興行なかばにかけこんで来た。
「この犬どもに
口輪をはめんか」と、かれはあらあらしく親方に向かって言った。
「犬に口輪をはめろとおっしゃるのでございますか」
「それは
法律の命ずるところだ。きさまは知っているはずだ」
このときはちょうど『
下剤をかけた病人』という
芝居をやっている
最中でツールーズでは
初めての
狂言なので、見物もいっしょうけんめいになっていた。
それで
巡査の
干渉に対して、見物がこごとを言い始めた。
「じゃまをするない」
「
芝居をさせろよ、おまわりさん」
親方はそのときまず見物のさわぐのをとどめて、さて毛皮のぼうしをぬぎ、そのかざりの
羽根が地面の
砂と、すれすれになるほど、三度まで大げさなおじぎを
巡査に向かってした。
「
権力を代表せられる
令名高き
閣下は、わたくしの
一座の
俳優どもに、
口輪をはめろというご
命令でございますか」
とかれはたずねた。
「そうだ。それもさっそくするのだ」
「なに、カピ、ゼルビノ、ドルスに
口輪をはめろとおっしゃるか」親方は
巡査に向かって言うよりも、むしろ見物に対して聞こえよがしにさけんだ。「さてさてこれは皮肉なお考えですな。なぜと申せば、音に名高き大先生たるカピ
君が、鼻の先に口輪をかけておりましては、どうして
不幸なるジョリクール
氏が服すべき
下剤の調合を命ずることができましょう。物もあろうに
口輪などとは、氏が
医師たる
職業がふさわしからぬ道具であります」
この
演説が見物をいっせいに
笑わした。子どもたちの黄色い声に親たちのにごった声も交じった。親方はかっさいを受けると、いよいよ図に乗って
弁じ
続けた。
「さてまたかの美しき
看護婦ドルス
嬢にいたしましても、ここに
権力の
残酷なる
命令を実行いたしましたあかつきには、いかにしてあの
巧妙なる
弁舌をもって、病人に
勧めてよくその
苦痛を
和ぐる
下剤を服用させることができましょうや。
賢明なる
観客諸君のご
判断をあおぎたてまつります」
見物人の
拍手かっさいと
笑い
声で、しかしその答えはじゅうぶんであった。みんなは親方に
賛成して
巡査を
嘲弄した。とりわけジョリクールがかげでしかめっ
面をするのをおもしろがっていた。このさるは『
権力が代表せられる
令名高き
閣下』の
真後ろに
座をかまえてこっけいなしかめっ面をして見せていた。
巡査は両うでを組んで、それからまた放して、げんこつをこしに当てて、頭を後ろに
反らせていた。そのとおりをさるはやっていた。見物人らはおかしがって、きゃっきゃっと言っでいた。
巡査はそのときふとなにをおもしろがっているのか見ようとして後ろをふり向いた。するとしばらくのあいださると人間とはたがいににらみ合わなければならなくなった。どちらが先に目をふせるか問題であった。
群衆はおもしろがって金切り声を上げていた。
「きさまの
飼い
犬があすも
口輪をしていなかったらすぐきさまを
拘引する。それだけを言いわたしておく」
「さようなら
閣下。ごきげんよろしゅう。いずれ明日」と親方は言って頭を下げた。
巡査が大またに出て行くと、親方はこしをほとんど地べたにつくほどに曲げて、からかい
面に
敬礼していた。そして
芝居は
続けて
演ぜられた。
わたしは親方が犬の
口輪を買うかと思っていたけれども、かれはまるでそんな様子はなかった。その
晩は巡査とけんかをしたことについては一
言の話もなしに
過ぎた。
わたしはとうとうがまんがしきれなくなって、こちらからきりだした。
「あしたもしカピが
芝居の
最中に、
口輪を食い切るようなことがあるといけませんから、まえからそれをはめておいて
慣らしてやらないでもいいでしょうか。わたしたちはカピによくはめているように教えこむことができるでしょう」
「おまえはあれらの小さな鼻の上にそんな物をのせたいとわたしが思っているというのか」
「でも
巡査がやかましく言いますから」
「おまえはんのいなかの子どもだな。
百姓らしくおまえは巡査をこわがっているのか。心配するなよ。わたしはあしたうまい具合に取り計らって、巡査がわたしをつかまえることのできないようにするし、そのうえ犬がふゆかいな目に会わないようにしてやるつもりだ。それに見物も少しはうれしがるだろう。この
巡査はおかげでわたしたちによけいな金もうけをさせてくれることになるだろう。おまけにあいつは、わたしがあいつのためにしくんでおいた
芝居で
道化役を
演じることになるだろう。さてあしたは、おまえはあそこへジョリクールだけを
連れて行くのだ。おまえはなわ
張りをして、ハーブで二、三回ひくのだ。やがておおぜい見物が集まって来れば、
巡査めさっそくやって来るだろう。そこへわたしは犬を
連れて
現れることにする。それから茶番が始まるのだ」
わたしはそのあくる日一人で行きたいことは少しもなかったけれども、親方の言うことには
服従しなければならないと思った。
さてわたしはいつもの場所へ出かけて、
囲いのなわを回してしまうと、さっそく曲をひき始めた。見物はぞろぞろほうぼうから集まって来て、なわ
張りの外に
群がった。
このごろではわたしもハープをひくことを
覚えたし、なかなかじょうずに歌も歌った。とりわけわたしはナポリ
小唄を
覚えて、それがいつも大かっさいを
博した。けれどもきょうだけは見物がわたしの歌をほめるために来たのでないことはわかっていた。
きのう
巡査との
争論を見物した人たちは
残らず出て来たし、おまけに友だちまで
引っ
張って来た。いったいツールーズの土地でも巡査はきらわれ者になっていた。それで
公衆はあのイタリア人のじいさんがどんなふうにやるか。「
閣下、いずれ明日」と言った
捨てぜりふの意味がなんであったか、それを知りたがっていたのである。
それで見物の中には、わたしがジョリクールと二人だけなのを見て、わたしの歌っている
最中口を入れて、イタリアのじいさんは来るのかと言ってたずねる者もあった。
わたしはうなずいた。
親方は来ないで、先に
巡査がやって来た。ジョリクールがまっ先にかれを見つけた。
かれはさっそくげんこつをこしの上に当てて、こっけいないばりくさった様子で、大またに歩き回った。
群衆はかれの
道化芝居をおかしがって手をたたいた。
巡査はこわい目つきをしてわたしをにらみつけた。
いったいこの
結末はどうなるだろう。わたしは少し心配になってきた。ヴィタリス親方がいてくれれば、
巡査に答えることもできよう。巡査がわたしに立ちのけと
命令したら、わたしはなんと言えばいいのだ。
巡査はなわ
張りの外を行ったり来たりしていた。それもわたしのそばを通るときには、なんだか
肩ごしにわたしをにらみつけるようにした。それでいよいよわたしは気が気でなかった。
ジョリクールは
事件の重大なことを
理解しなかった。そこでおもしろ半分なわ
張りの中で
巡査とならんで歩きながら、その
一挙一動を身ぶりおかしくまねていた。おまけにわたしのそばを通るときには、やはり巡査のするように首を曲げて、
肩ごしににらみつけた。その様子がいかにもこっけいなので、見物はなおのことどっと
笑った。
わたしはあんまりやりすぎると思ったから、ジョリクールを
呼び
寄せた。けれどもかれはとても言うことを聞くどころではなかった。わたしがつかまえようとすると、ちょろちょろにげ出して、す早く身をかわしては、
相変わらずとことこ歩いていた。
どうしてそんなことになったかわからなかったが、たぶん
巡査はあんまり
腹を立てて気がちがったのであろう。なんでもわたしがさるをけしかけているように思ったとみえて、いきなりなわ
張りの中へとびこんで来た。
と思うまにかれはとびかかって来て、ただ一打ちでわたしを地べたの上にたたきたおした。
わたしが目を開いて起き上がろうとすると、ヴィタリス
老人はどこからとび出して来たものか、もうそこに立っていた。かれはちょうど
巡査のうでをおさえたところであった。
「わたしはあなたがその子どもを打つことを止めます。なんというひきょうなまねをなさるのです」とかれはさけんだ。
しばらくのあいだ二人の人間はにらみ合って立っていた。
巡査はおこってむらさき色になっていた。
親方はどうどうとした様子であった、かれは
例の美しいしらが頭をまっすぐに上げて、その顔には
憤慨と
威圧の
表情がうかべていた。その顔つきを見ただけで巡査を地の下にもぐりこませるにはじゅうぶんであった。
けれどもかれはどうして、そんなことはしなかった。かれは両うでを広げて親方ののど首をつかまえて、
乱暴に前へおし出した。
ヴィタリス親方はよろよろとしてたおれかけたが、す早く立ち直って、平手で巡査のうで首を打った。
親方はがんじょうな人ではあったが、なんといっても
老人であった。
巡査のほうは年も若いし、もっとがんじょうであった。このけんかがどうなるか、長くは取っ組めまいと、わたしははらはらしていた。
けれども取っ組むまでにはならなかった。
「あなたはどうしようというのです」
「わたしといっしょに来い」と
巡査は言った。「
拘引するのだ」
「なぜあの子を打ったのです」と親方は
質問した。
「よけいなことを言うな。ついて来い」
親方は返事をしないで、わたしのほうをふり向いた。
「
宿屋へ帰っておいで」とかれは言った。「犬といっしょに待っておいで。あとで
口上で言って
寄こすから(ことずてをするから)」
かれはそのうえもうなにも言う
機会がなかった。
巡査はかれを引きずって行った。
こんなふうにして、親方が
余興にしくんだ
狂言はあっけなく
結末がついた。
犬たちは
初め主人のあとについて行こうとしたけれども、わたしが
呼び返すと、
服従に
慣らされているので、かれらはわたしのほうへもどって来た。気をつけてみるとかれらは
口輪をはめていた。けれどもそれはふつうの金あみや
金輪ではなくって、ただ細い
絹糸を二、三本、鼻の回りに
結びつけて、あごの下にふさを
垂らしてあった。白いカピは赤い糸を
結んでいた。黒いゼルビノは白い糸を結んでいた。そうしてねずみ色のドルスは水色の糸を結んでいた。気のどくな親方はこんなふうにして、いかめしい
権力の
命令を
逆に
喜劇の
種に
利用しようとしていたのである。
群衆はさっそく
散ってしまった。二、三人ひま
人が
残っていまの
事件を
論じ合っていた。
「あのじいさんがもっともだよ」
「いや、あの男がまちがっている」
「なんだって
巡査は子どもを打ったのだ。子どもはなにもしやしなかった。ひと言だって口をききはしなかった」
「とんだ
災難さ。巡査に
反抗したことを
証明すれば、あのじいさんは
刑務所へやられるだろう、きっと」
わたしはがっかりして
宿屋へ帰った。
わたしはこのころでは毎日だんだんと親方が
好きになっていた。わたしたちは朝から
晩までいっしょにくらしてきた。どうかすると夜から朝までも同じわらのねどこにねむっていた。どんな父親だって、かれがわたしに見せたような
行き
届いた注意をその子どもに見せることはできなかった。かれはわたしに字を読むことも、計算することも教えてくれたし、歌を歌うことも教えてくれた。長い
流浪の旅のあいだに、かれはこのことあのことといろいろにしこんでくれた。たいへん寒い日には、
毛布を半分わけてくれたし、暑い日にはいつもわたしの代わりに荷物をかついでくれた。それから食事のときでもかれはけっして、自分がいい所を食べて悪い所をわたしにくれるというようなことはしなかった。それどころか、かれはいい所も悪い所も同じように分けてくれた。なるほどときどきはわたしがいやなほど、ひどく
乱暴に耳を
引っ
張ることもあったけれど、わたしに
過失があれば、それもしかたがなかった。一
言で言えばわたしはかれを
愛していたし、かれはわたしを愛していた。
だからこの
別れはわたしにはなによりつらいことであった。
いつまたいっしょになれるだろうか。
いったいどのくらい
牢屋へ入れておくつもりなのだろう。
そのあいだわたしはどうしたらいいだろう。どうして生きてゆこう。
ヴィタリス親方はいつもからだに
金をつけている
習慣であった。それが
引っ
張られて行くときになにもわたしに
置いて行くひまがなかった。
わたしはかくしに五、六スーしか持っていなかった。それだけでジョリクールと犬とわたしの食べるだけの物が買えようか。
わたしはそれから二日のあいだ、
宿屋から外へ出る気にもならずに、ぼんやりくらしてしまった。さるも犬もやはりすっかりしょげきっていた。
やっとのことで三日目に一人の男が親方の手紙を
届けて来た。その手紙によると、親方はこのつぎの土曜日に、
警察権に
反抗し、かつ
巡査に手向かいをした
科で
裁判を受けるはずになっていた。
「わたしがかんしゃくを起こしたのは悪かった」と手紙に書いてあった。「とんだ
災難を
招いたがいまさらいたしかたもない。
裁判所へ来てごらん、
教訓になることがあるであろう」
こういって、それからなお二、三の注意を書きそえて、自分に代わって犬やさるたちをかわいがってくれるようにと書いてあった。
わたしが手紙を読んでいるあいだ、カピがわたしの両足の間にはいって、鼻を手紙にこすりつけて、くんくんやっていた。かれが
尾をふる具合で、わたしはかれがこの手紙が主人から来たことを知っていると思った。この三日のあいだにかれが少しでもうれしそうな様子を見せたのはこれが
初めてであった。
わたしは土曜日の朝早く
裁判所に行って、いの一番に
傍聴席にはいった。
巡査とのけんかを
目撃した人たちの多くがやはり来ていた。わたしは裁判所に出るのがなんだかこわかったので、大きなストーブのかげにはいってかべにくっついて、できるだけ小さくからだをちぢめていた。
どろぼうをして
拘引された男や、けんかをしてつかまった男が
初めに
裁判を受けた。
弁護人は
無罪を
言い
張っていたけれど、それはみんな
有罪を
宣告された。
いちばんおしまいに親方が引き出された。かれは二人の
憲兵の間にはさまってこしかけにかけていた。
はじめにかれがなにを言ったか、人びとがかれになにをたずねたか、わたしはひじょうに
興奮しきっていたのでよくわからなかった。
わたしはただじっと親方を見ていた。
かれはしらが頭を後ろに
反らせて、まっすぐに立っていた。かれははじて苦んでいるように見えた。
裁判官は
尋問を始めた。
「おまえは、おまえを
拘引しようとした
警官を何回も打ったことを
承認するか」と、裁判官は言った。
「何回も打ちはいたしません、
閣下」と親方は言った。「わたしはただ一度手を上げました。わたくしはいつもの
演芸をいたしまする場所にまいりますと、ちょうど警官がわたくしの
連れています子どもを地の上に打ちたおすところを見たのでございます」
「その子はおまえの子ではないだろう」
「はい、しかしわたくしの実子同様にかわいがっております。それで
警官がかれを打ちますところを見て、わたしはかっととりのぼせまして、警官が打とうとする手をおさえました」
「おまえは警官を打ったろう」
「
警官がわたくしに向かって手をあげましたから、わたくしはもはや警官としてではない、通常の人としてこれに向かってのであります。まったくいかりに乗じた
結果であります」
「おまえぐらいの
年輩でいかりに乗ずるということはないはずだ」
「そうです。そういうはずはないのですが、人はおうおう
不幸にして
過失におちいりやすいのです」
巡査はそれから自分の言い分を申し立てた。それは打たれたことよりも、より多く自分が
嘲弄(あざける)された事実についてであった。
親方の目はそのあいだ
部屋の中を
探すようであった。それはわたしがいるかどうか探しているのだということがわかっていたから、わたしは思い切ってかくれ場所からとび出して、おおぜいの中をおし分けながら、前へ出て、いちばん前の列の、かれの
席に近い所へ出た。かれのさびしい顔はわたしを見るとかがやきだした。わたしの目にもなみだがあふれ出した。
まもなく
裁判は決まった。かれは二か月の
禁固と、百フランの
罰金に
処せられることになった。
ああ、二か月の
禁固。
ドアは開かれた。なみだにぬれた目の中からわたしは、かれが
憲兵のあとからついて行くのを見た。ドアはその後ろからばたんと
閉ざされた。ああ、二か月の
別れ。
どこへわたしは行こう。
船の上
わたしが重たい心で、赤い目をふきふき
宿屋に帰ると、ちょうど
亭主が庭に出ていた。
わたしは犬のいる所へ行こうとしてその前を通ると、かれはわたしを引き止めた。
「どうだ、親方は」とかれは言った。
「
有罪の
宣告を受けました」
「どのくらい」
「二か月の
禁固です」
「
罰金はどのくらい」
「百フラン」
「二か月……百フラン」かれは二、三度くり返した。
わたしはずんずん行こうとした。するとかれはまた引き止めた。
「その二か月のあいだおまえはどうするつもりだ」
「ぼくはわかりません」
「おや、おまえわからないと。おまえ、とにかく自分も食べて、犬やさるに食べ物を買ってやるお金がなければなるまい」
「いいえ、ないのです」
「じゃあ、おまえはわたしが
養ってくれると思っているのか」
「いいえ、わたしはだれのやっかいになろうとも思いません」
それはまったくであった。わたしはだれのやっかいにもなるつもりはなかった。
「おまえの親方はこれまでも、もうずいぶんわたしに
借りがある」とかれは言った。「わたしは二か月のあいだ金をはらってもらえるかどうかわからずに、おまえをとめておくことはできない。出て行ってもらわなければならないのだ」
「出て行く。どこへ行ったらいいでしょう」
「それはわたしの知ったことではない。わたしはおまえのおやじでも親方でもなんでもないからな。どうしておまえの世話をしてやれよう」
しばらくのあいだわたしは目がくらくらとした。
亭主の言うことはもっともであった。どうしてかれがわたしの世話をしてくれよう。
「さあ、犬とさるを
連れて出て行ってくれ。親方の荷物は
預かっておく。親方が
刑務所から出て来れば、いずれここへ
寄るだろうし、そのときこちらの
始末もつけてもらおう」
このことばから、ある考えがわたしの心にうかんだ。
「いずれそのときはお
勘定をはらうことになるでしょうから、それまでわたしを
置いてはくださいませんか。その勘定にわたしのぶんも
加えてはらえばいいでしょう」
「おやおや、おまえの親方は二日分の
食料ぐらいははらえるかもしれんが、二か月などはとてもとてもだ。そりやあまるで
別な話だよ」
「わたしはいくらでも少なく食べますから」
「だが、犬もいればさるもいる。いけないいけない。出て行ってくれ。どこかいなかで仕事を見つけて、金をもらって歩けばいいのだ」
「でも親方が
刑務所から出て来たときに、どうしてわたしを
探すでしょう。きっとこちらへ
訪ねて来るにちがいありません」
「だからおまえもその日にここへ帰って来ればいいのだ」
「それでもし手紙が
届いたら」
「手紙は取っておいてやるよ」
「でもわたしが返事を出さなかったら……」
「まあいつまでもうるさいな。急いで出て行ってくれ。五分間の
猶予をやる。五分たってわたしが帰って来ても、まだここにいれば
承知しないから」
わたしはこの男と言い合うのはむだだということを知っていた。わたしは出て行かなければならなかった。
わたしは犬とジョリクールを
連れにうまやへ行った。それから
肩にハープをしょって、
宿を出た。
わたしは大急ぎで町を出なければならなかった。なぜというに、犬に
口輪がはめてないのだから、
巡査にとがめられてもなんと答えようもなかった。わたしには金がないといおうか、それはまったくであった。わたしはかくしにたった十一スーしか持たなかった。それだけでは口輪を買うにも足りなかった。巡査がわたしを
拘引するかもしれない。親方もわたしも二人とも
刑務所に入れられたら、犬やさるはどうなるだろう。わたしは自分の
位置に
責任を感じていた。
わたしが足早に歩いて行くと、犬たちが顔を上げてながめた。その様子をどう見ちがえようもなかった。かれらは
腹が
減っていた。
わたしの
背嚢に乗っていたジョリクールは、しじゅうわたしの耳を
引っ
張って
無理に自分の顔を見させようとした。わたしが顔を向けると、かれはせっせと
腹をかいて見せた。
わたしもやはり腹がすいていた。わたしたちは
朝飯を食べなかった。わたしの持っている十一スーでは昼食と
晩食を食べるには足りなかった。そこでわたしたちは一食で両方
兼帯の昼食を食べて、
満足しなければならなかった。
わたしたちは
巡査に出っくわさないように、少しでも急いで市中をはなれなければならなかったから、どの道をどう行くなんていうことはかまわなかった。どの道を歩いても同じことであった。どこへ行っても食べるには金が
要るし、
宿屋へとまれば
宿銭を取られる。それにねむる場所を見つけるくらいはたいしたことではなかった。このごろの
暖かい
季節ではわたしたちは野天にねむることができた。
さしせまっているのは食物だ。
一休みもせずに、わたしたちは二時間ばかり歩き
続けたあとで、やっと立ち止まることができた。そのあいだ犬たちはたのむような目つきでしじゅうわたしの顔を見た。ジョリクールは耳を
引っ
張って、
絶えずおなかをさすっていた。
とうとう、わたしはここまで来ればもうなにもこわがることはないと思うところまで来てしまった。わたしはすぐそこにあったパン屋にとびこんだ。
わたしは一
斤半パンを切ってくれと言った。
「おまえさん、二斤におしなさいな。二斤のパンはどうしても
要りますよ」とおかみさんは言った。「それでもそれだけの
同勢にはたっぷりとは言えない。かわいそうに、
畜生にはじゅうぶん食べさしておやんなさい」
おお、どうして、むろんわたしの同勢にはたっぷりではなかった。けれどもわたしの
財布にはたっぷりすぎた。
パンは一
斤五スーであった。二斤買えば十スーになる。わたしはあしたどうなるかわからないのに、手もとを使いきるのはりこうなことではなかった。わたしはおかみさんに打ち明けて一斤半でたくさんだというわけを話して、それ
以上を
切らないようにていねいにたのんだ。
わたしは両うでにしっかりパンをかかえて店を出た。犬たちがうれしがって回りをとび回った。ジョリクールが
髪の
毛を
引っ
張ってうれしそうにくっくっと
笑った。
わたしたちはそこから遠くへは行かなかった。
まっ先に目に当たった道ばたの木の下でわたしはハープを
幹によせかけて、草の上にすわった。犬たちはわたしの向こうにすわった。カピはまん中に、ドルスとゼルビノはその両わきにすわった。くたびれていないジョリクールは、きょろきょろとうの目たかの目で、なんでもまっ先に一きれせしめようとねらっていた。
パンを同じ大きさに分けるのはむずかしい仕事であった。わたしはできるだけ同じ大きさにして、五きれにパンを切った。そのうえいくつかの小さなきれに割って一きれずつめいめいに分けた。
わたしたちよりずっと少食だったジョリクールはわりがよかった。それでかれがすっかり
満腹してしまったとき、わたしたちはやはり
腹がすいていた。わたしはかれのぶんから三きれ取って
背嚢の中にかくして、あとで犬たちにやることにした。それからまだ少し
残っていたので、わたしはそれを四つにちぎって、てんでに一きれずつ分けた。それが食後のお
菓子であった。
このごちそうがけっして食後の
卓上演説を
必要とするほどりっぱなものではなかったのはもちろんであるが、わたしは食事がすんだところで、いまがちょうど
仲間の者に二言三言いいわたす機会だと感じた。わたしはしぜんかれらの
首領ではあったが、この重大な場合に当たって、かれらに死生をともにすることを
望むだけの
威望の
足りないことを感じていた。
カピはおそらくわたしの意中を
察したのであろう。それでかれはその大きなりこうそうな目を、じつとわたしの日の上にすえてすわっていた。
「さて、カピ、それからドルスも、ゼルビノも、ジョリクールも、みんなよくお聞き。わたしはおまえたちに悲しい知らせを
伝えなければならないのだよ。わたしたちはこれから二か月も親方に会うことができないのだよ」
「ワウ」とカピがほえた。
「これは親方のためにも
困ったことだし、わたしたちのためにも困ったことなのだ。なぜといって、わたしたちはなにもかも親方にたよっていたのだから、それがいま親方がいなくなれば、わたしたちにはだいいちお金がないのだ」
この金ということばを言いだすと、カピはよく知っていて、後足で立ち上がって、ひょこひょこ回り始めた。それはいつも『ご
臨席の
貴賓諸君』から金を集めて回るときにすることであった。
「ああ、おまえは
芝居をやれというのだね。カピ」とわたしは言った。「それはいい考えだが、どこまでわたしたちにできるだろうか。そこが考えものだよ。うまくゆかない場合には、わたしたちはもうたった三スーしか持っていない。だからどうしても食べずにいるほかはない。そういうわけだから、ここはたいせつなときだと思って、おまえたちはみんなおとなしくぼくの言うことを聞いてくれなければだめだ。そうすればおたがいの力でなにかできるかもしれない。おまえたちはみんなしていっしょうけんめい、ぼくを助けてくれなければならない。わたしたちはおたがいにたより合ってゆきたいと思うのだ」
こういったわたしのことばが、
残らずかれらにわかったろうとはわたしも言わないが、だいたいの
趣意は飲みこめたらしかった。かれらは同じ考えになってはいた。かれらは親方のいなくなったについて、そこになにか
大事件が起こったことを知っていた。それでその
説明をわたしから聞こうとしていた。かれらがわたしの言って聞かせた
残らずを
理解しなかったとしても、すくなくともわたしがかれらの身の上を心配してやっていることには
満足していた。それでおとなしくわたしの言うことに身を入れて聞いて、
満足の意味を表していた。
いやお待ちなさい。なるほどそれも、犬の
仲間だけのことで、ジョリクールには、いつまでもじっとしていることが
望めなかった。かれは一分間と一つ事に心を向けていることができなかった。わたしの
演説の
初めの部分だけはかれも
殊勝らしくたいへん
興味を持って
傾聴していたが、二十とことばを言わないうちに、かれは一本の木の上にとび上がって、わたしたちの頭の上のえだにぶら下がり、それからつぎのえだへととび回っていた。カピが同じやり方でわたしを
侮辱したならば、わたしの
自尊心はずいぶん
傷つけられたにちがいなかった。けれどもジョリクールがどんなことをしようと、わたしはけっしておどろかなかった。かれはずいぶん頭の空っぽな、軽はずみなやつだった。
けれどそうはいうものの、少しはふざけたいのもかれとして
無理はなかった。わたしだってやはり同じことをしたかったと思う。わたしもやはりおもしろ半分木登りをしてみたかった。けれどもわたしの
現在の
位置の重大なことが、わたしにそんな遊びをさせなかった。
しばらく休んだあとで、わたしは出発の合図をした。わたしたちはどうせ、どこかただでとまる
青天井の下を見つけさえすればいいのだから、なにより、あしたの食べ物を買う
銭をいくらかでももうけることが、さし当たっての問題であった。
小一時間ばかり歩くと、やがて一つの村が見えてきた。
びんぼう村らしくって、あまりみいりの多いことは
望めないが、村が小さければ
巡査に出会うことも少なかろうと考えた。
わたしはさっそく
一座の
服装を
整えて、できるだけりっぱな行列を作りながら、村へはいって行った。運悪くわたしたちはあのふえがなかったし、そのうえヴィタリス親方のりっぱなどうどうとした
風采がなかった。
軍楽隊の
隊長のようなりっぱな様子でかれはいつも人目をひいていた。わたしには
背の高いという
利益もないし、あのりっぱなしらが頭も持たなかった。それどころかわたしはちっぽけで、やせっぽちで、そのうえひどくやつれた心配そうな顔をしていたにちがいなかった。
行列の先に立って歩きながら、わたしは右左をきょろきょろ見回して、わたしたちがどういう
効果を村の人たちにあたえているか、見ようとした。ごくわずか――と
情けないけれど言わなければならなかった。だれ一人あとからついて来る者もなかった。
ちょっとした広場のまん中に
泉があって、木かげがこんもりしている所を見つけると、わたしはハープを下ろしてワルツを一曲ひき始めた。曲はゆかいな調子であったし、わたしの指も軽く動いた。けれどもわたしの心は重かった。
わたしはゼルビノとドルスに向かって、いっしょにワルツをおどるように言いつけた。かれらはすぐ言うことを聞いて、
拍子に合わせてくるくる回り始めた。
けれどもだれ一人出て来て見ようとする者もなかった。そのくせ家の戸口では五、六人の女が
編み
物をしたり、おしゃべりをしているのを見た。
わたしはひき
続けた。ゼルビノとドルスはおどり
続けた。
一人ぐらい出て来る者があるだろう。一人来ればまた一人、だんだんあとから出て来るにちがいなかった。
わたしはあくまでひき
続けた。ゼルビノとドルスもくるくるじょうずに回っていた。けれども村の人たちはてんでこちらをふり向いて見ようともしなかった。
けれどもわたしはがっかりしまいと決心した。わたしはいっしょうけんめいハープの糸が切れるほどはげしくひいた。
ふと一人、ごく小さい子が
初めて、うちの中からちょこちょことかけ出して、わたしたちのほうへやって来た。
きっと母親があとからついて来るであろう。その母親のあとから、
仲間が出て来るだろう。そうして見物ができれば、少しのお金が取れるであろう。
わたしは子どもをおびえさせまいと思って、まえよりは
静かにひいた。そうして少しでもそばへ
引き
寄せようとした。両手を
延ばして、
片足ずつよちよち上げて、かれは歩いて来た。もう二足か三足で、子どもはわたしたちの所へ来る。ふと、そのしゅんかん母親はふり向いた。きっと子どもの
姿の見えないのを見て、びっくりするにちがいない。
でもかの女はやっと子どもの行くえを見つけると、わたしの思ったようにすぐあとからかけては来ないで自分のほうへ
呼び返した。すると子どもはおとなしくふり返って母親のほうへ帰って行った。
きっとこのへんの人は、ダンスも音楽も
好かないのだ。きっとそんなことであった。
わたしはゼルビノとドルスを休ませて、今度は、わたしの
好きな
小唄を歌い始めた。わたしはこんなにいっしょうけんめいになったことはなかった。
二
節目の終わりになったとき、
背広を着て、ラシャのぼうしをかぶった男が目にはいった。その男はわたしのほうへ歩いて来るらしかった。
とうとうやって来たな。
わたしはそう思って、いよいよむちゅうになって歌った。
「これこれこぞう、ここでなにをしている」と、その男はどなった。
わたしはびっくりして歌をやめた。ぽかんと口を開いたまま、そはへ
寄って来るその男をぼんやりながめた。
「なにをしているというのだ」
「はい、歌を歌っています」
「おまえはここで歌を歌う
許可を
得たか」
「いいえ」
「ふん、じやあ行け。行かないと
拘引するぞ」
「でも、あなた……」
「あなたとはなんだ、
農林監察官を知らないか。出て行け、こじきこぞうめ」
ははあ、これが農林監察官か。わたしは親方の見せたお手本で、
警官や
監察官に
反抗すると、どんな目に会うかわかっていた。わたしはかれに二度と
命令をくり返させなかった。わたしは急いでわき道へにげだした。
こじきこぞうか、ひどい言いぐさだ。わたしはこじきはしなかった。わたしは歌を歌ったまでだ。
五分とたたないうちに、わたしはこの
人情のない、そのくせいやに
監視の行き
届いている村をはなれた。
犬たちは
頭を
垂れて、すごすごあとからついて来た。きっとつまらない目に会ったことを知っていた。
カピはしじゅうわたしたちの先頭に立って歩いていた。ときどきふり向いては
例のりこうそうな目で、いったいどうしたのですと言いたそうに見えた。ほかのものがかれの
位置に
置かれたのだったら、きっとわたしにそれをたずねたであろうけれども、カピはそんな
無作法をするには、あんまりよくしつけられていた。
かれはふに落ちないのを、いっしょうけんめいがまんしているふうを見せるだけで
満足していた。
ずっと遠くこの村からはなれたとき、わたしは
初めてかれらに(止まれ)という合図をした。それで三びきの犬はわたしの回りに
輪を作った。そのまん中にはカピがじっとわたしに目をすえていた。
わたしはかれらがわからずにいることを、ここで
説明してやらなければならなかった。「わたしたちは
興行の
許可を
得ていないから、追い出されたのだよ」とわたしは言った。
「へえ、それではどうしましょう」と、カピは首を一ふりふってたずねた。
「だからわたしたちは今夜はどこか野天でねむって、
晩飯なしに歩くのだ」
晩飯ということばに、みんないちどにほえた。わたしはかれらに三スーの
銭を見せた。
「知ってるとおり、わたしの持っているのはこれだけだ。今夜この三スーを使ってしまえば、あしたの
朝飯になにも
残らない。きょうはとにかく少しでも食べたのだから、これはあしたまでとっておくほうがいいようだ」こう言って、わたしは三スーをまたかくしに入れた。
カピとドルスはあきらめたように首を下げた。けれどもそれほどすなおでなかったし、そのうえ大食らいであったゼルビノは、いつまでもぶうぶううなっていた。わたしはこわい目をしてかれを見たが、
効き
目がなかった。
「カピ、ゼルビノに言ってお聞かせ。あれはわからないようだから」と、わたしは
忠実なカピに言った。
カピはさっそく前足でゼルビノをたたいた。それはいかにも二ひきの犬の間に言い合いが始まっているように見えた。言い合いというようなことばを犬に使うのは少し
無理だと言うかもしれないが、動物だってたしかにその
仲間に通用する
特別なことばがあった。犬だけで言えば、かれらは話すことを知っているだけではない、読むことも知っていた。かれらが鼻を高く空に向けたり、顔を下げて地べたをかいだり、やぶや石の上をかぎ回ったりするところをご
覧なさい。ふとかれらはとある草むらの前で立ち止まる。またはかべの前で立ち止まって、しばらくはじっと目をすえている。わたしたちが見てはその上になにもないが、犬はわたしたちの
理解しないふしぎな文字で書かれた、いろいろの変わったことをそこに読み分けるのである。
カピがゼルビノに言ったこともわたしにはわからなかった。なぜと言うに、犬には人間のことばがわかっても、人間はかれらのことばを
理解しないのだ。わたしがただ見たところでは、ゼルビノは道理に耳をかたむけることをこばんだ。なんでも三スーのお金をすぐに使ってしまえと言い
張ったようであった。カピは
腹を立てて歯をむき出すと、少しおくびょう者のゼルビノはすごすごだまってしまった。だまるということばにも少し
説明が
要るが、ここではころりと横になることを言うのである。
そこで
残ったのは今夜の
宿の問題だけだ。
時候はよし、
暖かい、いい天気であった。だから
青天井の下にねむることはさしてむずかしいことではなかった。ただこのへんに悪いおおかみでもいるようなら、それをさけるようにすればよかった。おおかみよりもおそろしい
農林監察官からさけることもさらに
必要であった。
わたしたちは白い道の上をずんずんまっすぐに進んで行った。山のはしに落ちかけた赤い夕日の
最後の光が空から消えるころまで、
宿を
求めて歩き
続けたが、まだ見つからなかった。
もう
善悪なしに、どうでもとまらなければならなかった。やっと林の間に出た。そこここに大きな
花こう
岩が
転がっていた。この場所はずいぶんあれたさびしい所であったが、それよりいい場所は見つからなかった。それに花こう岩の中にはいってねむれば、しめっぽい夜風を
防ぐたしにもなろうと思った。ここでわたしたちというのは、さるのジョリクールとわたし自身のことを言うので、犬たちは外でねむったところでかぜをひく気づかいもなかった。わたしは自分のからだをだいじにしなければならなかった。わたしのしょっている
責任は重かった。わたしが病気になったらわたしたちみんなどうなるだろう。またわたしがジョリクールの
看病をしなければならないようだったら、今度はわたしがどうなるだろう。
わたしたちは石の間にほら
穴のような所を見つけた。そこには
まつの落ち葉がたまっていた。これで、上には風を
防ぐ屋根があり、下にはしいてねるふとんができた。これはひじょうに具合がよかった。足りないのは食べ物ばかりであった。わたしはおなかのすいていることを考えまいと
努めた。ことわざにも言うではないか、『ねむるのは食べるのだ』と。
いよいよ横になるまえに、わたしはカピに
張り
番をたのむと言った。するとこの
忠実な犬はわたしたちといっしょに
まつ葉の上でねむろうとはしないで、わたしの
野営地の入口に、
歩哨のように横になっていた。わたしはカピが番をしてくれればだれも
案内なしに近づけないと思ったから、落ち着いてねむることができた。
でもこれだけは心配はなかったが、すぐにはねむりつけなかった。ジョリクールはわたしの上着の中にくるまって、そばでぐっすりねむっていた。ゼルビノとドルスは、わたしの足もとでからだをのばしていた。けれどもわたしの心配はからだのつかれよりも大きかった。
この旅行の第一日は悪かった。あくる日はどんなであろう。わたしは
腹が
減ったし、のどがかわいていた。それでいてたった三スーしか持っていなかった。あしたいくらかでももうけなかったら、どうしてみんなに食べ物を買ってやることができよう。それに
口輪はどうしよう。これから歌を歌う
許可は、いったいどうしたらいいだろう。
許してくれるだろうか。さもないとわたしたちはみんな、やぶの中でおなかが
減って死んでしまうだろう。
こういうみじめな、あわれっぽい
疑問を心の中でくり返しくり返しするうちに、わたしは暗い空の上にかがやいている星を見た。そよとの風もなかった。どこもかしこもしんとしていた。木の葉のそよぐ音もしない。鳥の鳴く声もしない。
街道を車のとろとろと通る音もしない。目の
届く
限りは青白い空が広がっていた。わたしたちは
独りぼっちであった。世の中から
捨てられていた。
なみだは目の中にあふれた。バルブレンのおっかあはどうしたろう。気のどくなヴィタリスは。
わたしはうつぶしになって、顔を両手でかくして、しくしく
泣いていた。するとふと、かすかな息が
髪の
毛にふれるように思った。わたしはあわててふり向いた。そのひょうしに大きなやわらかな
舌がなみだにあふれたわたしのほおをなめた。それはカピが、わたしの泣き声を聞きつけて、あのわたしの
流浪の
初めての日にしてくれたように、今度もわたしをなぐさめに来てくれたのである。
両手でわたしはかれの首をおさえて、そのしめった鼻にキッスした。かれは二、三度おし
殺したような悲しそうな鼻声を出した。それがわたしといっしょに
泣いてくれるもののように思われた。
わたしはねむって目が
覚めてみると、もうすっかり明るくなっていた。カピはわたしの前にすわったままじっとわたしを見ていた。小鳥が林の中で歌を歌っていた。遠方のお寺で朝の
祈祷のかねが鳴っていた。太陽はもう空の上に高く上って、つかれた心とからだをなぐさめる光を心持ちよく投げかけていた。
わたしたちはかねの
音を目当てに歩き出した。そこには村があって、パン屋もきっとあるにそういなかった。昼食も夕食もなしにねどこにはいれば、だれにだって
空腹が『おはよう』を言いに来る。わたしは思い切って、三スーを使ってしまう決心をした。そのあとではどうなるか、それはそのときのことにしよう。
村に着くと、パン屋がどこだと聞く
必要もなかった。わたしたちの鼻がすぐにその店に
連れて行ってくれた。においをかぎつけるわたしの
感覚は、もう犬に負けずにするどかった。遠方からわたしは温かいパンの、うまそうなにおいをかぎつけた。
一斤五スーするパンを三スーではたんとは買えなかった。わたしたちはてんでんに、ほんの小さなきれを分け合った。それで
朝飯もあっけなくすんでしまった。
わたしたちはきょうこそいくらかでももうけなければならなかった。わたしは村の中を歩いて、どこか
芝居につごうのいい場所を見つけようとした。それに村の人びとの顔色を見て、
敵か味方か
探ろうとした。
わたしの考えはすぐに芝居を始めようというのではなかった。それには時間があまり早すぎた。けれどいい場所が見つかれば、昼ごろ帰って来て、わたしたちの運命を決する
機会をとらえるつもりであった。
わたしがこの考えに心をうばわれていると、ふとだれか後ろからとんきょうな声を上げる者があった。あわててわたしがふり向くと、ゼルビノがわたしのほうへ向かってかけて来る。そのあとから一人のおばあさんが追っかけて来るのを見た。もうすぐ何事が起こったかということはわかった。わたしがほかへ気を取られているすきをねらって、ゼルビノは一けんの家にかけこんで、肉を一きれぬすみだしたのであった。かれはえものを歯の間にくわえたまま、にげ出して来たのであった。
「どろぼう、どろぼう」とおばあさんはさけんだ。「そいつをつかまえておくれ。そいつらみんなつかまえておくれ」
おばあさんのこう言うのを聞いて、わたしはとにかく自分にも
罪がある。いやすくなくともゼルビノの
犯罪に
責任があると感じた。そこでわたしはかけ出した。もしおばあさんがぬすまれた肉の
代価を
請求じたら、なんと言うことができよう。どうして金をはらうことができよう。それでわたしたちがつかまえられれば、きっと
刑務所に入れられるだろう。
わたしがにげ出して行くのを見て、ドルスとカピもさっそくわたしの
例にならった。かれらはわたしのかかとについて走った。ジョリクールはわたしの
肩に乗ったまま、落ちまいとしてしっかり首にかじりついた。
だれかほかの者もさけんでいた。待て、どろぼう……そしてほかの人たちも
仲間になって追っかけていた。けれどもわたしたちはどんどんかけた。
恐怖がわたしたちの
速力を進めた。わたしはドルスがこんなに早く走るのを見たことがなかった。かの女の足はほとんど地べたについていなかった。横町を曲がって、野原をつっ切って、まもなくわたしたちは追っ手をはるかぬいてしまった。けれどもやはりどんどんかけ
続けて、いよいよ息がつけなくなるまで止まらなかった。わたしたちは少なくとも三マイル(約五キロ)も走った。ふり返って見るともうだれも追っかけて来なかった。カピとドルスはやはりわたしのすぐ後について来た。ゼルビノは遠くにはなれていた。たぶんぬすんだ肉を食べるので手間を取ったのであろう。
わたしはかれを
呼んだ。けれどもかれはひどい
刑罰に会うことを知りすぎるほど知っていた。そこでわたしのほうへは
寄って来ないで、できるだけ早くかけ出したのである。かれは
飢えていた。それだから肉をぬすんだのだ。けれどもわたしはそれを
口実として
許すことはできなかった。かれはぬすみをした。わたしが
仲間の間に
規律を
保とうとすれば、
罪を
犯したものは
罰せられなければならない。それをしなかったら、つぎの村へ行って、今度はドルスが同じ事をするであろう。そうなるとカピまでが
誘惑に負けないとは言えぬ。
わたしはゼルビノに対し、
公然刑罰を
加えなければならなかった。けれどもそれをするためにはかれをつかまえなければならなかった。それはたやすいことではなかった。
わたしはカピのほうへ向いた。
「行ってゼルビノを
探しておいで」とわたしは重おもしく言った。
かれはさっそく言いつけられたとおりするために出て行った。けれどもいつものような元気のないことをわたしは見た。かれの顔つきを見ていると、
憲兵としてかれはわたしの言いつけを
果たすよりも、
弁護人としてゼルビノをかばってやりたいように見えた。
わたしはかれが
囚人を
連れて帰って来るのを、べんべんとこしかけて待つほかはなかった。気ちがいじみたかけっこをしたあとで、休息するのがうれしかった。わたしたちが休んだ所はちょうどこんもりした木かげと、
両側に広びろと野原の開けた、
堀割の岸であった。ツールーズを出て
初めて、青あおした、すずしいいなか道に出たのだ。
一時間たったが、犬たちは帰って来なかった。わたしはそろそろ心配になりだしたとき、やっとカピが
独りぼっち首をうなだれたまま帰って来た。
「ゼルビノはどうした」
カピはおどおどした様子で、
平伏した。わたしはかれのかたっぽの耳から血の出ているのを見た。わたしはそれで様子をさとった。ゼルビノはこの
憲兵に
戦いをしかけてきたのである。わたしはカピがそうして、いやいやわたしの
命令に
従いながらも、ゼルビノとの
格闘にわざと負けてやったことがわかった。そしてそのため自分もやはりしかられるものと
覚悟しているらしく思われた。
わたしはかれをしかることができなかった。わたしはしかたがないから、ゼルビノが自分から帰って来るときを待つことにした。わたしはかれがおそかれ早かれ
後悔して帰って来て、
刑罰を受けるだろうと思っていた。
わたしは一本の木の下に、手足をふみのばして
横になった。ジョリクールはしっかりとうでにだいていた。それはこのさるまでがゼルビノと
仲間になる気を起こすといけないと思ったからであった。ドルスとカピはわたしの足の下でねむっていた。時間がたった。ゼルビノは出て来なかった。とうとうわたしもうとうととねむりこけた。
四、五時間たってわたしは目を覚ました。日かげでもう時刻のよほどたったことがわかったが、それは日かげを見て知るまでもなかった。わたしの胃ぶくろは一きれのパンを食べてからもう
久しい時間のたつことをわめきたてていた。それに二ひきの犬とジョリクールの顔つきだけでも、かれらの
飢えきっていることはわかった。カピとドルスは
情けない目つきをして、じっとわたしを見つめた。ジョリクールはしかめっ
面をしていた。
でもやはりゼルビノは帰ってはいなかった。
わたしはかれを
呼びたてたり、口ぶえをふいたりしたけれどもむだであった。たぶんごちそうをせしめたので、すっかり
腹がふくれて、どこかのやぶの中に
転がって、ゆっくり消化させているのであろう。
やっかいなことになってきた。わたしがここを立ち去れば、ゼルビノはわたしたちを見つけることができないから、そのまま行くえ知れずになってしまう。かといってここにこのままいては、少しでも食べ物を買うお金をもうける
機会がまるでなかった。
わたしたちの
空腹はいよいよやりきれなくなってきた。犬たちは
哀願するような目つきをたえずわたしに向けた。そしてジョリクールはおなかをさすって、おこって、きゃっきゃっとさけんでいた。
それでもゼルビノはまだ帰って来なかった。もう一度わたしはカピをやって、なまくらものの行くえを
探させた。けれども三十分たってから、やはりカピだけ
独りぼんやり帰って来た。
どうしたらいいであろう。
ゼルビノは
罪を
犯したが、またかれの
過失のためにわたしたちはこんなひどい目に会わされることになったのであるが、かれをふり
捨てることはできなかった。三びきの犬を
満足に
連れて帰らなかったら、親方はなんと言うであろう。それになんといっても、わたしはあのいたずら者のゼルビノをかわいがっていた。
わたしは
晩がたまで待つ決心をした。けれどなにもせずにいることはできるものではなかった。わたしたちはなにかしていればきっとこれほどひどい
空腹がこたえないであろうと思った。
わたしはなにか気をまぎらすことを考え出したなら、さし当たりこれほどひもじい思いを
忘れるかもしれない。
なにをしたらよかろう。
わたしはこの問題をいろいろ考え回した。そのときわたしが思い出したのは、ヴィタリス親方がいつか言ったことに、
軍隊が長い
行軍で
疲労しきると、
楽隊がそれはゆかいな曲を
演奏する、それで
兵隊の疲労を
忘れさせるようにするというのであった。
そうだ。わたしがなにかゆかいな曲をハープでひいたら、きっと
空腹を忘れることができるかもしれない。わたしたちはみんなひどく弱りきっている。でもなにかゆかいな曲をひいたら、かわいそうな二ひきの犬たちも、ジョリクールといっしょにおどりだして、時間が早く
過ぎるかもしれない。
わたしは二本の木によせかけておいた
楽器を取り上げて、
堀割のほうに
背中を向けながら、動物たちの列を作ってならばせ、ダンス曲をひき始めた。
初めのうちは、犬もさるもダンスをする気にもなれないらしかった。かれらの
欲望は食べ物のほかになかった。そのいじらしい様子を見ると、わたしの
胸は
痛んだ。けれどもかわいそうに、かれらも
空腹を
忘れなければならなかった。わたしはいよいよ調子を高く早くとひいた。すると少しずつだんだんに、音楽がその
偉力を
現してきた。かれらはおどりだした。わたしはひき
続けた。
「うまい」――ふとわたしはすみきった子どもの声でこうさけぶのを聞いた。その声はすぐ後ろから聞こえた。わたしはあわててふり向いた。
一せきの
遊船が
堀割の中に止まっていた。その
小舟を
引っ
張っている二ひきの馬は、向こう岸に休んでいた。それはきみょうな小舟であった。わたしはまだこんなふうな船を見たことはなかった。
それは堀割にうかんでいるふつうの船に
比べて、ずっとたけが短かった。そして水面からわずか高い
甲板の上には、ガラスしょうじをたてきった船室があり、その前にはきれいなろうかがあって、つたの葉でおおわれていた。
そこには二人、人がいた。一人はまだ
若い
貴婦人で、美しい、そのくせ悲しそうな顔をしていた。もう一人はわたしぐらいの年ごろの男の子で、これはあお向けにねているらしかった。
「うまい」と声をかけたのは、あきらかにこの子どもであった。
わたしはかれらを見つけて、一度はたいへんびっくりしたが、落ち着くと、わたしはぼうしを取って、かれらの
賞賛に
感謝の意を
表した。
「あなたはお楽しみにやっておいでなのですか」と、
貴婦人は外国なまりのあるフランス語で言った。
「わたしは犬をしこんでいるのです。それに……自分の気晴らしにも」
子どもはなにか言った。婦人はそのほうにのぞきこんだ。
「あなた、まだやってもらえますか」と、そのとき
貴婦人はこちらを向いて言った。
なにかやってくれるか。やらなくってどうするものか。こういうところへ来てくれたお客のために、どうしてやらずにいられよう。わたしはそれを二度と言われるまでも待たなかった。
「ダンスにしましょうか。
喜劇にしましょうか」とわたしは聞いた。
「ああ、喜劇だ、喜劇だ」と子どもがさけんだ。
けれども
貴婦人は口をはさんで、「まあ先にダンスを」と言った。
「ダンスはだって短すぎるもの」と子どもは言った。
「お客さまのお
望みとございましたら、ダンスのあとでちがった番組をいろいろとりかえてごらんにいれましょう」
これはうちの親方の使う
口上の一つであった。わたしはなるべくかれと同じようなしかつめらしい言い方でやろうと
努めた。だがなおよく考えると、
喜劇を
所望してくれなかったことは
結局ありがたかった。なぜといって、どうそれをやるかくふうがつかなかった。ゼルビノという役者が一
枚足りないばかりではない、
芝居をするには
衣装も道具もなかった。
とにかくわたしはハープを取り上げて、まずワルツの第一
節をひいた。カピは前足でドルスのこしをだいて、じょうずに
拍子を取りながらおどり回った。つぎにジョリクールが一人でおどって、それからそれとわたしたちは
順々に番組を進めていった。もう少しもくたびれたとは思わなかった。かわいそうな動物どもは、やがて
昼飯の
報酬の出ることを知って、いっしょうけんめいにやった。わたしもそのとおりであった。
するととつぜん、みんながいっしょになってダンスをしている
最中に、ゼルビノがやぶのかげから出て来た。そして
仲間がそのそばを通ると、かれはずうずうしくもその仲間に割りこんで来た。
ハープをひきひき役者たちの
監督をしながら、わたしはときどき子どものほうを見た。かれはわたしたちの
演技にひじょうなゆかいを感じているらしく見えたが、からだを少しも動かさなかった。
寝台の上にあお向いたまま、ただ両手を動かして
拍手かっさいした。
半身不随なのかしら、板の上に
張りつけられたように見えた。
いつのまにか風で船が岸にふきつけられていたので、いまは子どもをはっきり見ることができた。かれは金茶色の
髪の
毛をしていた。顔色は青白くて、すきとおった
皮膚のもとに
額の
青筋すら見えるほどであった。その顔つきには病人の子どもらしい、おとなしやかな、悲しそうな
表情があった。
「あなたがたのお
芝居のさじき
料がいかほどですね」と、
貴婦人はたずねた。
「おなぐさみに
相応した
代だけいただきます」
「じゃあ、お母さま、たんとおやりなさい」と子どもが言った。かれはそのうえなにかわたしにわからないことばでつけ
加えていた。すると
貴婦人は、
「アーサがお
仲間の役者たちをそばで見たいと言うのですよ」と言った。
わたしはカピに目くはせをした。
大喜びでかれは船の中へとびこんで行った。
「それから、ほかのは」とアーサと
呼ばれたこの子どもはさけんだ。
ゼルビノとドルスがカピの
例にならった。
「それからおさるは」
ジョリクールもわけなくとびこむことができたろう。でもわたしは安心がならなかった。一度船に乗ったら、きっとなにか
貴婦人の気にいらないような悪さをするかもしれなかった。
「おさるは気があらいの」と貴婦人はたずねた。
「いいえ、そうではありませんが、なかなか言うことを聞きませんから、
失礼でもあるといけないと思います」
「おや、それではあなた、
連れておいでなさい」
こう言って
貴婦人はかじのほうに立っていた男に合図をした。この人は出て来て、へさきから岸に板をわたした。
肩にハープをかけて、ジョリクールをうでにだいたまま、わたしは板をわたった。
「おさるだ。おさるだ」とアーサはさけんだ。その子どもを
貴婦人はアーサと
呼んでいた。
わたしはかれのそばへ寄って、かれがジョリクールをなでたりさすったりしているとき、わたしは注意してその様子を見た。
実際にかれは一
枚の板に皮でからだを
結びつけられていた。
「あなた、お父さんはあるの」と
貴婦人はたずねた。
「いえ、いまは
独りぼっちです」
「いつまで」
「二か月のあいだ」
「二か月ですって、まあかわいそうに、あなたぐらいの年ごろに、どうして独りぼっち
置き去りにされるようなことになったの」
「そんな回り合わせになったのです」
「あなたの親方さんはふた月のあいだにたんとお金を持って帰れと言いつけたのではないのですか。そうでしょう」
「いいえ、おくさん、親方はわたしになにも言いつけはしません。ただい
一座ののものといっしょに、そのあいだ食べてゆかれさえすればそれでいいんです」
「それで、どれだけお金が取れましたか」
わたしは答えようとしてちゅうちょした。わたしはこの美しい
婦人の前では
一種のおそれを感じたけれども、
貴婦人はひじょうに親切に話しかけてくれたし、その声はいかにも
優しかったから、わたしはほんとうのことを打ち明ける決心をした。またそれをしてならない理由はなにもなかった。
そこでわたしは
貴婦人に向かって、ヴィタリスとわたしが
別れたいちぶしじゅうを話した。ヴィタリス親方がわたしを
保護するために、
刑務所に
連れて行かれたこと、それから親方がいなくなってから、金を取ることができなくなった次第を話した。
わたしが話をしているあいだ、アーサは犬と遊んでいたが、わたしの言ったことばはよく耳に止めていた。
「じゃあきみたち、みんなずいぶんおなかがすいているだろう」とかれは言った。
このことばを動物たちはよく知っていて、犬は
喜んでほえ始めるし、ジョリクールははげしくおなかをこすった。
「ああ、お母さま」とアーサがさけんだ。
貴婦人は聞き知らないことばで、半分開けたドアのすきから頭を出しかけていた女中に、なにか二言三言いった。まもなく女中は食物をのせたテーブルを運んで来た。
「おかけ」と貴婦人は言った。
わたしは言われるままにさっそく、ハープをわきへ
置いて、テーブルの前のいすにこしをかけた。犬たちはわたしの回りに列を作ってならんだ。ジョリクールはわたしのひざの上でおどっていた。
「きみの犬はパンを食べるの」とアーサはたずねた。
「パンを食べるどころですか」
わたしが一きれずつ切ってやると、かれらはむさぼるようにして見るまに
平らげてしまった。
「それからおさるは」とアーサは言った。
けれども、ジョリクールのことで気をもむ
必要もなかった。わたしが犬にやっているあいだ、かれは横合いから肉入りのパンを一きれさらって、テーブルの下にもぐって、息のつまるほどほおばっていた。
わたし自身もパンを食べた。ジョリクールのようにのどにはつまらせなかったけれど、同じようにがつがつして、もっとたくさんほおばった。
「かわいそうに、かわいそうに」と
貴婦人は言った。
アーサはなにも言わなかったが、大きな目を
見張ってわたしたちをながめていた。わたしたちのよく食べるのにびっくりしたのであろう。わたしたちはてんでんに
腹をすかしきっていた。肉をぬすんで少しは
腹にこたえのあるはずのゼルビノまでが、がつがつしていた。
「きみはぼくたちに会わなかったら、きょうの
昼飯はどうするつもりだったの」とアーサがたずねた。
「なにを食べるか当てがなかったのです」
「じゃああしたは」
「たぶんあしたはまた運よく、きょうのようなお客さまにどこかで会うだろうと思います」
アーサはわたしとの話を打ち切って、そのとき母親のほうにふり向いた。しばらくのあいだかれらは外国語で話をしていた。かれはなにかを
求めているらしかったが、それを母親は
初めのうち
承知したがらないように見えた。
するうち、ふと子どもはくるりと向き返った。かれのからだは動かなかった。
「きみはぼくたちといっしょにいるのはいやですか」とかれはたずねた。
わたしはすぐ返事はしないで、顔だけ見ていた。わたしはこのだしぬけの
質問にめんくらわされていた。
「この子があなたがたにいっしょにいてくださればいいと言っているのですよ」と
貴婦人がくり返した。
「この船にですか」
「そうですよ。この子は病気で、この板にからだを
結えつけていなければならないのです。それで昼間のうち少しでもゆかいにくらせるように、こうして船こ乗せて外へ出るのです。それであなたがたの親方が
監獄にはいっておいでのあいだ、よければここにわたしたちといっしょにいてください。あなたのその犬とおさるが毎日
芸をしてくれば、アーサとわたしが見物になってあげる。あなたはハープをひいてくれるでしょう。それであなたはわたしたちに
務めてくれることになるし、わたしたちはわたしたちで、あなたがたのお役に立つこともありましょう」
船の上で。わたしはまだ船の上でくらしたことがなかったが、それはわたしの
久しい
望みであった。なんといううれしいこと。わたしは幸福に心のくらむような感じがした。なんという親切な人たちだろう。わたしはなんと言っていいかわからなかった。
わたしは
貴婦人の手を取ってキッスした。
「かわいそうに」とかの女は
優しく言った。
かの女はわたしのハープを聞きたいと言った。そのくらい手軽ななぐさみですむことなら、わたしはどうかして、自分がどんなにありがたく思っているか見せたいと思った。
わたしは
楽器を手に取って、船のへさきのほうへ行って、
静かにひき
始めた。
貴婦人はふとくちびるに小さな
銀の
呼子ぶえを当てて、するどい
音を出した。
わたしはなぜ貴婦人がふえをふいたのであろうと思って、ちょいと音楽をやめた。それはわたしのひき方が悪いからであったか、それともやめろという合図であったか。
自分の身の回りに起こるどんな小さなことも見のがさないアーサは、わたしの
不安心らしい様子を見つけた。
「お母さまは馬を行かせるために、ふえをふいたんだよ」とかれは言った。
まったくそのとおりであった。馬に引かれた
小舟は、そろそろと
岸をはなれて、
堀割の
静かな波を切ってすべって行った。
両側には木があった。後ろにはしずんで行く夕日のななめな光線が落ちた。
「ひきたまえな」とアーサが言った。
頭をちょっと動かしてかれは母親にそばに来いという合図をした。かれは母親の手を取って、しっかりにぎった。わたしはかれらのために、親方の教えてくれたありったけの曲をひいた。
最初の友だち
アーサの母親はイギリス人であった、名前をミリガン
夫人と言った。
後家さんで、アーサは一人っ子であった。少なくとも生きているただ一人の子どもだと考えられていた。なぜというに、かの女はふしぎな
事情のもとに、長男をなくした。
その子は生まれて
六月目に人にさらわれてしまった。それからどうしたかかいもく行くえがわからなかった。もっともその子がかどわかされたころ、ちょうどミリガン
夫人はじゅうぶんの
探索をすることのできない
境遇であった。かの女の
夫は死にかかっていたし、なによりもかの女自身がひどくわずらって、身の回りにどんなことが起こっているか、まるっきりわからずにいた。かの女が
意識を取り返したときには、夫は死んでいたし、赤子はいなくなっていた。かの女の実の弟に当たるジェイムズ・ミリガン
氏はイギリスはもちろん、フランス、ベルギー、ドイツ、イタリアとほうぼうに子どもを
探させたが、
結局行くえは知れなかった。そうなるとあとつぎの子どもがないので、この人がにいさんの
財産を
相続するつもりでいた。
ところがやはり、ジェイムズ・ミリガン
氏は、にいさんからなにも相続することができなかった。なぜというに、
夫人の
夫の死後七か月目に、夫人の二番目のむすこのアーサが生まれたのであった。
けれどもお医者たちはこの病身な、ひよわな子どもの育つ見こみはないと言った。かれはいつ死ぬかもしれなかった。その子が死んだ場合には、ジェイムズ・ミリガン
氏は
財産を
相続することになるであろう。
そう思ってかれはあてにして待っていた。
けれども医者の
予言はなかなか
実現されなかった。アーサはなかなか死ななかった。もう二十度も追っかけ追っかけ、なんぎな
病という病にかかって、それでも生きていた。そのたんびにこの子を生かしたものは母親の
看護の力であった。
最後の病は
腰疾(こしの病気)であった。それにはしじゅう板にねかしておくがいいというので、板の上にからだを
結えつけて動けないようにした。けれどそれをそのままうちの中に閉じこめておけば、今度は
気鬱と空気の悪いために死ぬかもしれない。
そこでかの女は子どものためにきれいな、ういて動く家をこしらえてやって、フランスの国じゅうのいろいろな川を旅行しているのであった。その両岸の
景色は、病人の子どもがねながら、ただ目を開いていさえすれば、目の前に動いて行くのであった。
もちろんこのイギリスの
貴婦人とむすこについて、わたしはこれだけのことを
残らず、
初めての日に
聞いたのではなかった。わたしはときどきかの女といるあいだに少しずつ細かい話を聞いた。
わたしが初めの日に聞いたことは、ただこの船の名が白鳥号ということ、それからわたしが
部屋と定められた船室がどんなものであるかということだけであった。
わたしは高さ七
尺(約二メートル)、はば三、四尺(約〇・九~一・二メートル)のかわいらしい船室を一つ当てがわれた。それはなんというふしぎな
部屋におもわれたであろう。部屋のどこにもしみ一つついていなかった。
その船室に備えつけたたった一つの道具は、
衣装戸だなであった。けれどなんという戸だなだろう。
寝台とふとんとまくらと
毛布とがその下から出て来た。そして寝台についた引き出しには、
はけや
くしやいろいろなものがはいっていた。いすやテーブルというようなものも少なくともふつうの形をしたものはなかったが、かべに板がぴったりついている、それを引き出すと四角なテーブルといすになった。この小さな
寝台にねむることをどんなにわたしは
喜んだであろう。生まれて
初めてわたしはやわらかいしき物をはだに当てた。バルブレンのおっかあのうちのはひじょうに
固くって、いつもあらくほおをこすった。ヴィタリス
老人とわたしはたいていしき物なしでねむった。
木賃宿にあるものは、みんなバルブレンのおっかあのうちのと同様にごりごりしていた。
わたしはあくる朝早く起きた。
一座の
連中が
一晩どんなふうに
過ごしたか知りたかったからである。
見るとかれらはみんなまえの
晩入れてやった所にいて、このきれいな
小舟はもう何か月もかれらの家であったかのようによくねいっていた。犬たちはわたしが近づくとはね起きたが、ジョリクールは
片目を開いているくせに動かなかった。かえってラッパのような大いびきをかき始めた。
わたしはすぐにそのわけをさとった。ジョリクールはたいへんおこりっぽかった。かれは一度
腹を立てると、長いあいだむくれていた。いまの場合は、ゆうべわたしがかれを船室に
連れて行かなかったのをおもしろく思わなかったので、わざとふてねをして、ふきげんを
示していたのであった。
わたしはなぜかれを
甲板の上に
置いて行かなければならなかったか、そのわけを
説明することができなかった。それで少なくとも外見だけでも、わたしはかれにすまなかったと感じているふうを見せるために、かれをうでにだいて、なでたりさすったりしてやった。
初めはかれもむくれたままでいたが、まもなく、気が
変わりやすい
性質だけに、なにかほかのことに考えが
移って、手まねで、よし、外へ
散歩に
連れて行くなら、かんべんしてやろうという意を
示した。
甲板をそうじしていた男が、気軽に板をわたしてくれたので、わたしは部下を
連れて野原へ出た。
犬とかけっこしたり、ジョリクールをからかったり、ほりをとんだり、木登りをしたりして遊んでいるうちに時間がたった。帰ってみると、馬は
はこやなぎの木につながれて、すっかり仕度ができていて、
小舟はいつでも出発するようになっていた。
わたしたちがみんな船の上に乗ってしまうと、まもなく船をつないだ大づなは
解かれて、船頭はかじを、
御者は
手づなを取った。引きづなの
滑車がぎいぎい鳴って、馬は引き船の道をカッパカッパ歩きだした。
これでも動いているかと思うはど
静かに船は水の上をすべって行った。そこに聞こえるものは小鳥の歌と、船に当たる水の音、それから馬の首につけたすずのチャランチャランだけであった。
所どころ水はこい緑色に見えてたいへん深いようであった。そうかと思うと
水晶のようにすみきっていて、水の
底できらきら光る小石だの、ビロードのような水草をすかして見ることができた。
わたしが水の中をじっとのぞきこんでいると、だれかがわたしの名前を
呼んだ。それはアーサであった。かれは
例の板に乗せられて運び出されていた。
「きみ、よくねられたかい、野原にねむるよりも」とかれはたずねた。わたしは半分、ミリガン
夫人にあいさつするように、ていねいによくねむられたことを話した。
「犬は」アーサが聞いた。
わたしはかれらを
呼んだ。かれらはジョリクールといっしょにかけて来た。このさるはいつも
芝居をやらされると思うときするように、しかめっ
面をしていた。
ミリガン
夫人はむすこを日かげに
置いて、自分もそのそばにすわった。
「それでは、あちらへ犬とさるを
連れて行ってください。わたしたちは
課業がありますから」とかの女は言った。
わたしは
連中を
連れてへさきのほうへ
退いた。
あの気のどくな病人の子どもに、どんな
課業ができるのだろう。
わたしはかれの母親が手に本を持って、むすこに課業を
授けているのを見た。
かれはそれを
覚えるのがなかなか
困難であるらしく見えた。しじゅう母親は
優しく
責めていたが、同時になかなか手ごわかった。
「いいえ」とかの女は
最後に言った。「アーサ、あなたはまるで
覚えていません」
「ぼく、できません。お母さま、ぼく、ほんとにできないんです」とかれは
泣くように、言った。「ぼく病気なんです」
「あなたの頭は病気ではありません。アーサ、病人だからといって、だんだんばかになるような子をわたしは
好きません」
これはずいぶん
残酷なようにわたしには思われた。けれどかの女はあくまで
優しい親切な調子で言った。
「なぜ、あなたはわたしにこんな
情けない思いをさせるでしょう。あなたが習いたがらないのが、どんなにわたしには悲しいかわかるでしょう」
「ぼく、できません、お母さま、ぼくできないんです」こう言ってかれは
泣きだした。
けれどもミリガン
夫人は子どものなみだに負かされはしなかった。そのくせかの女はひじょうに感動して、ますます悲しそうになっていた。
「わたしもけさあなたをルミや犬たちと遊ばせてあげたいのだけれど、すっかりお話を
覚えるまでは遊ばせることはできません」こう言ってかの女は本をアーサにわたして、一人
置き去りにしたまま向こうへ行った。
わたしの立っていた所までかれの
泣き
声が聞こえた。
あれほどまでに
愛しているらしい母親がどうしてこのかわいそうな子どもにこれほど
厳格になれるのであろう。アーサの
覚えられないのは病気のせいなのだ。かの女は
優しいことば一つかけないではいってしまうのであろうか。
しばらくたってかの女はもどって来た。
「もう一度二人でやってみましょうね」とかの女は優しく言った。
かの女は子どものわきにこしをかけて、本を手に取って、『おおかみと小ひつじ』というお話を読み始めた。アーサはその読み声について
文句をくり返した。
三度
初めからしまいまで読み返して、それから本をアーサに返して、あとは一人で習うように言いつけて、船の中にはいってしまった。
わたしはアーサのくちびるの動くのを見た。
かれはたしかにいっしょうけんめい勉強していた。
けれどもまもなく目を本からはなした。かれのくちびるは動かなくなった。かれの目はきょろきょろとあてもなく
迷ったが、本にはもどって来なかった。
ふとかれの目はわたしの目を見つけた。
わたしは
課業を
続けてやるようにかれに目くばせした。かれは注意を
感謝するように
微笑した。そしてまた本を読み始めた。けれどもまえのようにやはりかれは考えを一つに集めることができなかった。かれの目は川のこちらの岸から向こう岸へと
迷い始めた。ちょうどそのとき一
羽のかわせみが矢のように早く船の上をかすめて、青い光をひらめかしながら飛んだ。
アーサは頭を上げてその行くえを見送った。鳥が行ってしまうと、かれはわたしのほうをながめた。
「ぼく、これが
覚えられない」とかれは言った。「でもぼく、
覚えたいんだ」
わたしはかれのそばへ行った。
「この話はそんなにむずかしくはありませんよ」とわたしは言った。
「うん、むずかしい。……たいへんむずかしいんだ」
「ぼくにはずいぶん
易しいと思えますよ。あなたのお母さまが読んでいらっしゃるときに聞いていて、ぼくはたいてい
覚えました」
かれはそれを
信じないように
微笑した。
「言ってみましょうか」
「できるもんか」
「やってみましょうか。本を持っていらっしゃい」
かれはまた本を取り上げた。わたしはその話を
暗唱し始めた。わたしはほとんど
完全に
覚えていた。
「やあきみ、知っているの」
「そんなによくは知りません。けれどこのつぎのときまでには、一つもちがえずに言えるでしょう」
「どうして
覚えたの」
「あなたのお母さまが読んでいらっしゃるあいだ、ぼくは聞いていました。ただいっしょうけんめいに、そこらの物を見向したりなんぞせずに、聞いていたのです」
かれは顔を赤くした、そして目をそらした。
「ぼくもきみのようにやってみよう」とかれは言った。「けれど一々のことばをどうしてそう
覚えたか、言って聞かしてくれたまえ」
わたしはそれをどう
説明していいかわからなかった。そんなことを考えてみたことはなかった。けれどやれるだけは説明してみた。
「このお話はなんの話でしょう」とわたしは言った。「ひつじのことでしょう。ねえ、だからなにより先にぼくはひつじのことを考えました。それからひつじはなにをしているか考えます。『多くのひつじは安全なおりの中で住んでいました』というのだから、ひつじがおりの中で安心して
転がってねむっているところが見えてきます。そういうふうに目にうかべると
忘れません」
「そうだそうだ」とかれは言った。「ぼくは見えるよ。黒いひつじだの、白いひつじだの、おりも、
格子も見える」
「ひつじの番をするのはなんですか」
「犬さ」
「ひつじがおりの中にいて番をしないですむとき、犬はなにをするでしょう」
「なんにも仕事はない」
「では犬はねむってもいいでしょう。ですから、『犬はねむっていました』と言うのです」
「そうだ。わけはない」
「ええ、わけはないのですとも、今度はほかのことに
移ります。では犬といっしょに番をするのはだれです」
「ひつじ
飼いさ」
「その犬やひつじ飼いは、ひつじがだいじょうぶだと思うとなにをしていたでしょう」
「犬は、ねむっていたのさ、ひつじ飼いは、遠くのほうへ行って、ほかのひつじ飼いたちとふえをふいて遊んでいた」
「あなたはそれが見えますか」
「ええ」
「どこにいます」
「にれの木のかげに」
「一人ですか」
「いいえ、近所のひつじ
飼いといっしょに」
「そらひつじやおりや犬やひつじ飼いのことを考えてごらんなさい。それができれば、このお話の
初めのほうは
暗唱ができるでしょう」
「ええ」
「やってごらんなさい」
「多くのひつじは安全なおりの中におりましたから、犬はみなねむっていました。ひつじ飼いも大きなにれの木のかげに、近所のひつじ飼いたちとふえをふいて遊んでいました。――
覚えていた、
覚えていた、まちがいはなかった」
アーサは両手を打ってさけんだ。
「あともそういうふうにして覚えたらどうです」
「そうだな、きみといっしょにやればきっと覚えられる。ああ、お母さまがどんなに
喜ぶだろう」
アーサはやがてお話
残らずを心の目にうかべるようになった。わたしはできるだけ一々の細かい話を
説明した。かれがすっかり
興味を持ってきたときに、わたしたちはいっしょに
文句をさらった。そして十五分あとでは、かれはすっかり
卒業いていた。
やがて母親は出て来たが、わたしたちがいっしょにいるのでふきげんらしかった。かの女はわたしたちが遊んでいたと思った。けれどアーサはかの女に口をきかせるいとまをあたえなかった。
「ぼく、
覚えました」とかれはさけんだ。「ルミが教えてくれました」
ミリガン
夫人は、びっくりしてわたしの顔を見た。けれどかの女がわけを問うさきに、アーサは『おおかみと小ひつじ』のお話を
暗唱しだした。わたしはミリガン夫人の顔を見た。かの女の美しい顔は
微笑にほころびた。そのうちわたしはかの女の目になみだがうかんだと思った。けれどかの女はあわててむすこのほうをのぞきこんで、そのからだに両うでをかけた。かの女が
泣いていたかどうか
確かではなかった。
「ことばには意味がないのだから、目に見える事がらを考えなければいけないのです。ルミはぼくにふえをふいているひつじ
飼いだの、犬だのひつじだの、それからおおかみだのを考えさせてくれました。おまけにひつじ飼いのふいていた
節まで聞こえるようになりました。お母さま、ぼく、歌を歌ってみましょうか」
こう言ってかれは、イギリス語の悲しいような歌を歌った。
今度こそミリガン
夫人はほんとうに
泣いていた。なぜならかの女が
席を立ったとき、わたしはアーサのほおがかの女のなみだでぬれているのを見た。そのとき
夫人はわたしのそばに
寄って、わたしの手を自分の手の中におさえて、
優しくしめつけた。
「あなたはいい子です」とかの女は言った。
わたしがこのちょいとした出来事を長ながと書くにはわけがある。ゆうべまではわたしも
宿なしのこぞうで、
一座の犬やさるたちを
連れて、船のそばへやって来て、病人の子どもをなぐさめるだけの者であった。けれどこの
課業のことから、わたしは犬やさるから引きはなされて、病人の子どもの
相手になり、ほとんど友だちになったのである。
もう一つ言っておかなければならないことがある。それはずっとあとで知ったことであるが、ミリガン
夫人は
実際このむすこの
物覚えの悪いこと、もっと正しく言えばなにも物を覚えないことを知って、ふさぎきっていた。病人の子ではあっても、勉強はさせておきたいと夫人は思った。それには病気が長びくだろうから、いまのうち物を習う
習慣をつけておいて、いつか
回復したとき、むだになった時間を取り返すことができるようにしたいと考えたのであった。
ところがその日までもかの女はそれが思うようにならないでいた。アーサはけっして勉強することをいやだとは言わなかったが、注意と
熱心がまるでがけていた。書物を手にのせればいやとは言わずに受け取った。手は
喜んでそれを受け取ろうとして開いたが、心はまるで開かなかった。ただもう
機械のように動いて、しいて頭におしこまれたことばを
空にくり返しているというだけであった。
そういうわけでむすこに
失望した母親の心には、
絶え
間のない物思いがあった。
だから、アーサがいまたった半時間でお話を
覚えて、一時をちがえず
暗唱して聞かせるのを聞いたとき、かの女のうれしさというものはなかった。それはもっともなわけであった。
わたしはいま思い出しても、この船の上で、ミリガン
夫人やアーサと
過ごしたあのじぶんが、少年時代でいちばんゆかいなときであったと思う。
アーサはわたしに
熱い
友情を
寄せていた。わたしのほうでもわざとでなしに、また気のどくという
同情からでなしに、しぜんとかれを兄弟のように思っていた。二人はけんか一つしたことはなかった。かれにはかれのような身分にありがちないばったところはみじんもなかった。わたしのほうも少しもひけめは感じなかった。またひけめを感じなければならないなどと思ったことすらなかった。
これはきっとわたしが子どもで、世の中を知らないためであったろう。しかしそれにはたしかに、ミリガン
夫人の
行き
届いた親切のおかげもあった。かの女はたいてい自分の子どものようにしてわたしに話しかけた。
それにこの船の旅がわたしにはじつにおもしろかった。一時間とたいくつしたこともなければ、つかれたと思うこともなかった。朝から
晩までわたしの心はいつも
充実しきっていた。
鉄道ができて
以来、フランス南部地方の
運河を見に来る人もなければ、知る人すらないようになったが、でもこれはやはりフランス名物の一つであった。
わたしたちはローラゲーのヴィーフランシュから、アヴィニオンヌまで行って、アヴィニオンヌからノールーズの岩まで行った。ノールーズにはこの運河の
開鑿者であるリケの
記念碑が、
大西洋に注ぐ水と
地中海に落ちる水とが分かれる
分水嶺の
頂に
建てられてあった。
それからわたしたちは水車の町であるカステルノーダリを下って、中世の都会であったカルカッソンヌへ、それから
貯水溝のめずらしいフスランヌの
閘門(船を高低の差のある水面に上げたり下ろしたりするしかけのある水門)をぬけてベジエールに下った。
おもしろい所ではわたしたちはたいそうゆっくり船を進めた。けれど
景色がつまらなくなると馬は引き船の道を早足にとっとっとかけた。
いつどこでとまって、いつまでにどこまでへ着かなければならないということもなかった。毎日同じ決まった食事の時間に
露台の上に集まって、
静かに両岸の
景色をながめながら食事をした。日がしずむと船は止まった。日がのぼると船はまた動き出した。
雨でも
降ると、わたしたちは船室の中にはいって、
勢いよく
燃えた火を取り
巻いてすわる。病人の子どもがかぜをひかないためであった。そういうとき、ミリガン
夫人はわたしたちに本を読んで聞かせたり、画帳を見せたり、美しいお話をして聞かせたりした。
それから夜、晴れた日には、わたしには一つ役目があった。船が止まったときわたしはハープをおかに持って下りて、少し遠くはなれた木のかげにこしをかける。それから木のえだのしげった中にかくれて、いっしょうけんめいにひいたり、歌を歌ったりするのである。
静かな
晩など、アーサは、だれがひいているか見えないようにして、遠くの音楽を聞くことを
好んだ。そこでわたしがアーサの
好きな曲をひくと、かれは「アンコール」(もっと)と声をかける。それでわたしは同じ曲を二度くり返してひくのである。
それはバルブレンのおっかあの
炉ばたに育ち、ヴィタリス
老人とほこりっぽい
街道を
流浪して歩いたいなか育ちの少年にとっては思いがけない美しい生活であった。
あの気のどくな
養母がこしらえてくれた
塩のじゃがいもと、ミリガン
夫人の
料理番のこしらえるくだもの入りのうまいお
菓子やゼリーやクリームやまんじゅうと
比べると、なんというそういであろう。
あのヴィタリス親方のあとからとぼとぼくっついて、
沼のような道や、横なぐりの雨や、こげつくような太陽の中を歩き回るのと、この美しい
小舟の旅と比べては、なんというそういであろう。
料理はうまかった。そうだ、まったくすばらしかった。
腹も
減らないし、くたびれもしないし、暑すぎもせず、寒すぎもしなかった。けれどほんとうに正直なことを言えば、わたしがいちばん深く感じたのは、この
夫人と子どもの、めずらしい親切と
愛情であった。
二度もわたしはわたしの
愛していた人たちから引きはなされた。
最初はなつかしいバルブレンのおっかあから、それからヴィタリス親方から、わたしは犬とさるといっしょに
空腹で、みじめなまま
捨てられた。
そこへ美しい
夫人がわたしと同じ年ごろの子どもを
連れて
現れた。わたしをむかえて、まるでわたしが兄弟ででもあるようにあつかってくれた。
たびたびわたしはアーサが
寝台に
結えつけられて、青い顔をしてねむっているところを見ると、わたしはかれをうらやんだ。
健康と元気に
満ちたわたしが、かえって病人の子どもをうらやんだ。
それはわたしがうらやむのは、この子を引き
包んでいるぜいたくではなかった。美しい
小舟ではなかった。それはかれの母親であった。ああ、どのくらいわたしは自分の母親を
欲しがっているだろう。
かれの母はいつでもかれにキッスした。そして、かれはいつでもしたいときに、両うでにかの女をだくことができた。その
優しい
夫人の手はたまたまわたしに向けられることもあっても、わたしからは思い切ってそれにさわり
得ないのではないか。わたしは自分にキッスしてくれる母親、わたしがキッスすることのできる母親を持たないことを悲しいと思った。
あるいはいつかまたわたしもバルブレンのおっかあには会うことがあるかもしれない。それはどんなにかうれしいことであろう。でもわたしはもうかの女を母親と
呼ぶことはできない。なぜならかの女はわたしのほんとうの母親ではないのだから。
わたしは
独りぼっちだった。わたしはいつでも独りぼっちでいなければならない……だれの子どもでもないのだ。
わたしはもうこの世の中は、そうなんでも思うようになる所でないことを知るだけに大きくなっていた。それでわたしは母親もないし、家族もないから、友だちでもあればどんなにうれしいだろうと思っていた。だからこの
小舟に来て、わたしは幸福であった。ほんとうに幸福であった。けれど、ああ、それは長く
続けることはできなかった。わたしがまたむかしの生活に返る日はおいおいに近づいていた。
捨て
子
旅の
日数のたつのは早かった。親方が
刑務所から出て来る日がずんずん近づいていた。船がだんだんツールーズから遠くなるに
従って、わたしはこの考えに心を苦しめられていた。
船の旅はこのうえなくおもしろかった。なんの
苦労もなければ、心配もなかった。これがせっかく水の上を気楽に通って来た道を、今度は足でとぼとぼ歩いて帰らなけれはならないときがじき来るのだ。
これはたまらなくおもしろくないことであった。そうなればもう
寝台もなければ、クリームもない。お
菓子もなけれは、テーブルを取り
巻いた楽しい夜会もなくなるのだ。
でもそれよりもこれよりもいちばんつらいのは、ミリガン
夫人とアーサとに
別れることであった。わたしはこの人たちの
友情からはなれなければならないであろう。そのつらさはバルブレンのおっかあに別れたときと同じことであろう。
わたしはある人びとをしたったり、その人びとからかわいがられると、もう一生その人たちといっしょにくらしたいと思う。それがあいにくいつもじきその人たちと
別れなければならないようになる。いわばちょうどその人たちと別れるために、
愛し愛されたりするようなものであった。
このごろの楽しい生活のあいだに、ただ一つこの
心痛がわたしの心をくもらせた。
ある日とうとうわたしは思い切って、ミリガン
夫人に、ツールーズへ帰るにはどのくらいかかるだろうと聞いた。親方が
刑務所から出る日に、わたしは刑務所の戸口で待っていようと思ったのである。
アーサはわたしが帰って行くという話を聞くと、急にさけびだした。
「帰っちゃいやだ、ルミ。行ってしまってはいやだ」
かれはすすり
泣きをしていた。
わたしはかれに、自分がヴィタリス親方のものになっていること、かれが金を出して両親からわたしを
借りていること、用のあるときいつでも帰って行かなければならないことを話した。
わたしは両親のことを話した。けれどもそれがほんとうの父親でも母親でもないことは話さなかった。わたしは自分が
捨て
子であることをはじに思った――
往来で拾われた子どもだということを
白状することをはじに思った。わたしは
孤児院の子どもというものがどんなにあなどられるものであるか知っていた。世の中で
捨て
子であるということほどいやなことがあろうとは、わたしには思えなかった。それをミリガン
夫人やアーサに知られることを
好まなかった。それを知られたら、あの人たちはわたしをきらうようになるだろう。
「お母さま、ルミはどうしても止めておかなければだめですよ」とアーサは言い
続けた。
「わたしもルミをここへ止めておくことはたいへんけっこうだと思うけれど」とミリガン
夫人は答えた。「わたしたちはずいぶんあの子が
好きなのだからね。でもこれには二つやっかいなことがある。第一にはルミがいたがっているかどうか……」
「ああ、それはいますとも、いますとも」とアーサがさけんだ。「ねえルミ、行きたかないねえ、ツールーズへなんか」
「第二には」と、ミリガン
夫人がかまわず
続けた。「この子の親方が手放すだろうか、どうかということですよ」
「ルミが先です。ルミが先です」とアーサは言い
張った。
ヴィタリスはいい親方であった。かれがわたしにものを教えてくれたことに対しては、わたしはひじょうに
感謝していた。けれどもかれとくらすのと、アーサとこうしてくらすのとではとても
比較にはならなかった。同時に親方に持つ
尊敬と、ミリガン
夫人とその病身の子どもに対して持つ
愛着とは比較にはならなかった。わたしはこういう外国人を、世話になった親方よりありがたいものに思うのはまちがっていると感じていた。けれどもそれはそのとおりにちがいなかった。わたしはミリガン夫人とアーサを心から
愛していた。
「ルミがわたしたちの所にいても、いいことばかりはないでしょう」とミリガン
夫人は
続けた。
「この船にだって遊び半分ではいられません。ルミもやはりあなたと同じようにたくさん勉強をしなければなりません。とても青空の下で旅をして回るような自由な
境涯ではないでしょう」
「ああ、ぼくの思っていることがおわかりでしたら……」とわたしは言いかけた。
「ほらほらね、お母さま」とアーサが口を出した。
「ではわたしたちがこれからしなければならないことは」とミリガン
夫人が言った。「この子の親方の
承諾を受けることです。わたしはまあ手紙をやってここへ来てもいようにたのんでみましょう。こちらからツールーズへは行かれないからね。わたしは
汽車賃を送ってあげて、なぜこちらから汽車に乗って行かれないか、そのわけをよく書いてあげましょう。つまりこちらへ
呼ぶことになるのだが、たぶん
承知してくださることだろうと思うから、それで
相談したうえで、親方がこちらの申し出を承知してくだされば、今度はあなたのご両親と相談することにしましょう。むろんだまっていることはできないからね」
この
最後のことばで、わたしの美しいゆめは
破れた。
両親に
相談する。そうしたらかれらはわたしが
内証にしようとしていることをすぐ言いたてるだろう。わたしが
捨て
子だということを言いたてるだろう。
ああ
捨て
子。そうなればアーサもミリガン
夫人もわたしをきらうようになるだろう。
まあ自分の父親も母親も知らない子どもが、アーサの友だちであったか。
わたしはミリガン夫人の顔をまともにながめた。なんと言っていいか、わたしはわからなかった。かの女はびっくりしてわたしの顔を見た。わたしがどうしたのか、かの女はたずねようとしたが、わたしはそれに答えもできずにいた。たぶん親方が帰って来るという考えに気が
転倒していると考えたらしく、かの女はそのうえしいては問わなかった。
幸いにじきねむる時間が来たので、アーサからいつまでもふしぎそうな目で見られずにすんだ。やっと心配しながら自分の
部屋に一人
閉じこもることができた。これはわたしが白鳥号に乗り合わせて
以来初めてのふゆかいな
晩であった。それはおそろしくふゆかいな、長い
熱病をわずらったような心持ちであった。わたしはどうしたらいいだろう。なんと言えばいいのだ。
たぶん親方はわたしを手放さないであろう。それなればかれらはどうしたってほんとうのことは知らずにいよう。かれらは、わたしの
捨て
子だということを知らずにすむだろう。
素性を知られることについてのわたしの
羞恥と
恐怖があまりひどかったので、もうアーサ
母子と
別れても、しかたがない。ヴィタリスがなんでも自分といっしょに来いと
主張することを
希望し始めたくらいであった。そうなれば少なくともかれらはこののちわたしを思い出すたんびにいやな気がしないであろう。
それから三日たってミリガン
夫人はヴィタリスに送った手紙の返事を受け取った。かれは夫人の文意をよくくんで、向こうから来てかの女に会おうと言って来た。つぎの土曜日の二時の汽車で、セットへ着くはずにするからと言って来た。わたしは犬たちとジョリクールを
連れて、かれに会いに
停車場まで行くことを
許された。
その朝になると、犬たちはなにか
変わったことでも起こると思ったか、ひどくはしゃいでいた。ジョリクールだけは知らん顔をしていた。わたしはひじょうに
興奮していた。きょうこそわたしの運命が決められる日であった。わたしに
勇気があったら、親方にたのんで
捨て
子だということをミリガン
夫人に言ってもらわないようにたのむことができたであろう。けれどもわたしはかれに対してすら『
捨て
子』ということばを口に出して言うことができないような気がしていた。わたしは犬をひもでつないで、ジョリクールは上着の下に入れて、
停車場の
片すみに立って待っていた。わたしは身の回りに起こっていることはほとんど目にはいらなかった。汽車の着いたことを知らせてくれたのは犬であった。かれらは主人のにおいをかぎつけた。
ふとわたしのおさえているひもを前に引くものがあった。わたしはうっかり
見張りをゆるめていたので、かれらはぬけ出したのであった。ほえながらかれらは前へとび出した。わたしはかれらが親方にとびかかるのを見た。ほかの二ひきに
比べてははげしくしかもしたたかにカピが、いきなり主人のうでにとびかかった。ゼルビノとドルスがその足にとびかかった。
親方はわたしを見つけると、手早くカピをどけて、両うでをわたしのからだに投げかけた。
初めてかれはわたしにキッスした。
「ああよく
無事でいてくれた」とかれはたびたび言った。
親方はこれまでわたしにつらくはなかったが、こんなふうに
優しくはなかった。わたしはそれに
慣れていなかった。それでわたしは感動して、思わずなみだが目の中にあふれた。それにいまのわたしの心持ちはたやすく物に動かされるようになっていた。わたしはかれの顔をながめた。
刑務所にはいっているまにかれはひじょうに年を取った。
背中も曲がったし、顔は青いし、くちびるに血の
気はなかった。
「ルミ、わたしは
変わったろう。なあ」とかれは言った。「
刑務所はけっしてゆかいな所ではなかった。それに
苦労というものは、たちの悪い病気のようなものだ。けれどもう出て来ればだいじょうぶだ。これからはよくなるだろう」
それから話の題を
変えてかれは言い
続けた。
「わたしの所へ手紙を
寄こしたおくさんのことを話しておくれ。どうしてそのおくさんと知り合いになったのだ」
わたしはここで、どうして白鳥号に乗って
堀割をこいでいたミリガン
夫人とアーサに出会ったか、それからわたしたちの見たこと、したことについてくわしく話した。わたしは自分でもなにを言っているのかわからないほど、のべつまくなしに話をした。こうしてわたしは親方の顔を見ると、これから
別れてミリガン
夫人の所にいたいと言いだす気にはなれなかった。
わたしたちはまだ話のすっかりすまないうちに、ミリガン夫人のとまっているホテルに着いた。親方は夫人が手紙でなんと書いて来たか、それは言わなかったから、わたしはかの女の申し出がどんなものであるかなんにも知らなかった。
「そのおくさんはわたしを待っていられるのかな」と、わたしたちがホテルにはいったときにかれは言った。
「ええ、ぼくがいまおくさんの
部屋に
案内しましょう」とわたしは言った。
「それにはおよばないよ」とかれは答えた。「わたしは一人で上がって行く。おまえはここでジョリクールや、犬たちといっしょにわたしを待っておいで」
わたしは、いつでもかれに
従順であったけれども、この場合はかれといっしょにミリガン
夫人の部屋に行くことが、わたしとしてむろん正当でもあり
自然なことだと思っていた。けれども手まねでかれがわたしのくちびるに出かかっていることばをおさえると、わたしはいやいや犬やさるといっしょに下に
残っていなければならなかった。
どうしてかれはミリガン夫人と話をするのにわたしのいることを
好まなかったか。わたしはこの
質問を心の中でくり返しくり返したずねた。それでもまだ
明快な答えが
得られずに考えこんでいたときにかれはもどって来た。
「行っておくさんに、さようならを言っておいで」とかれはことば短に言った。「わたしはここで待っていてやる。あと十分のうちにたつのだから」
わたしはかみなりに打たれたような気がした。
「それ」とかれは言った。「おまえはわたしの言ったことがわからないか。なにを気のぬけた顔をして立っている。早くしないか」
かれはまだこんなふうにあらっぽくものを言ったことがなかった。
機械的にわたしは
服従して、立ち上がった。なにがなんだかわからないような顔をしていた。
「あなたはおくさんになんとお言いに……」二足三足行きかけてわたしは問いかけた。
「わたしはおまえがなくてならないし、おまえにもわたしは
必要なのだ。
従ってわたしはおまえに対するわたしの
権利を
捨てることはできませんと言ったのさ。行って来い。いとまごいがすんだらすぐ帰れ……」
わたしは自分が
捨て
子だったという考えばかりに気を取られていたから、わたしがこれですぐに立ち去らなければならないというのは、きっと親方がわたしの
素性を話したからだとばかり思っていた。
ミリガン
夫人の
部屋にはいると、アーサがなみだを流している。そのそばに母の夫人が
寄りそっているところを見た。
「ルミ、きみ行ってはいやだよ。ねえ、ルミ、行かないと言ってくれたまえ」とかれはすすり
泣きをした。
わたしはものが言えなかった。ミリガン
夫人がわたしの代わりに答えた。つまりわたしがいま親方に言われたとおりにしなければならないことを、アーサに言って聞かせた。
「親方さんにお願いしましたが、あなたをこのままわたしたちにくださることを
承知してくださいませんでした」とミリガン
夫人は、いかにも悲しそうな声で言った。
「あの人は悪い人だ」とアーサがさけんだ。
「いいえ、あの人は悪い人ではありません」とミリガン夫人は言った。「あの人にはあなたがだいじで手放せないわけがあるのです。それにあの人はあなたをかわいがっていられる……あの人はああいう身分の人のようではない、どうしてりっぱな口のきき方をなさいました。お
断りになる理由としてあの人の言われたのは――そう、こうです、――わたしはあの子を
愛している、あの子もわたしを愛している。わたしがあれに
授けている世間の
修業は、あれにとって、あなたがたといるよりもずっといい、はるかにいいのだ。あなたはあれに教育を授けてくださるでしょう。それはほんとうだ。なるほどあなたはあれのちえを
養ってはくださるだろう、だがあれの
人格は作れません。それを作ることのできるのは人生の
艱難ばかりです。あれはあなたの子にはなれません。やはりわたしの子どもです。それはどれほどあれにとって
居心地がよかろうとも、あなたの病身のお子さんのおもちゃになっているよりは、はるかにましです。わたしもできるだけあの子どもを教えるつもりですから――とこうお言いになるのですよ」
「でもあの人、ルミの父さんでもないくせに」とアーサはさけんだ。
「それはそうです。でもあの人はルミの主人です。ルミはあの人のものです。さし当たりルミはあの人に
従うほかはありません。この子の両親が親方さんにお金で
貸したのですから。でもわたしはご両親にも手紙を書いて、やれるだけはやってみましょう」
「ああ、いけません。そんなことをしてはいけません」とわたしはさけんだ。
「それはどういうわけです」
「いいえ、どうかよしてください」
「でもそのほかにしかたがないんですもの」
「ああ、どうぞよしてください」
ミリガン
夫人が両親のことを言いださなかったなら、わたしは親方がくれた十分の時間
以上をさようならを言うために
費したであろう。
「ご両親たちはシャヴァノンにいるんでしょう」とミリガン夫人はたずねた。
それには答えないで、わたしはアーサのほうへ行って、両うでをかれのからだに回して、しばらくはしっかりだきしめていた。それからかれの弱いうでからのがれて、わたしはふり向いてミリガン
夫人に手をさし
延べた。
「かわいそうに」と、かの女はわたしの
額にキッスしながらつぶやいた。
わたしは戸口へかけて行った。
「アーサ、わたしはいつまでもあなたを
愛します」とわたしは言って、こみ上げて来るなみだを飲みこんだ。「おくさん、わたしはけっしてけっしてあなたを
忘れません」
「ルミ、ルミ……」とアーサがさけんだ。その後のことばはもう聞こえなかった。
わたしは手早くドアを
閉じて外に出た。一分間ののち、わたしはヴィタリスといっしょになっていた。
「さあ出かけよう」とかれは言った。
こうしてわたしは
最初の友だちから
別れた。
ふぶきとおおかみ
またわたしは親方のあとについて
痛い
肩にハープを
結びつけたまま、雨が
降っても、日が
照りつけても、ちりやどろにまみれて、旅から旅へ毎日
流浪して歩かなければならなかった。広場であほうの役を
演じて、
笑ったり
泣いたりして見せて、「ご
臨席の
貴賓諸君」のごきげんをとり
結ばなければならなかった。
長い旅のあいだ
再三わたしは、アーサやその母親や白鳥号のことを考えて足が進まないことがあった。きたならしい村にはいると、わたしはあのきれいな
小舟の船室をどんなに思い出したろう。それに
木賃宿のねどこのどんなに
固いことであろう。(もう二度とアーサとも遊べないし、その母親の
優しい声も聞くことはできない)それを考えるだけでもおそろしかった。
これほど深い、しつっこい悲しみの中で、うれしいことには、一つのなぐさめがあった。それは親方がまえよりはずっと優しく、温和になったことであった。
かれのわたしに対する様子はすっかり
変わっていた。かれはわたしの主人というより
以上のものであるように感じた。もうたびたび思い切って、かれにだきつきたいと思うほどのことがあった。それほどにわたしは
愛情を
求めていた。けれどもわたしにはそれをする
勇気がなかった。親方はそういうふうになれなれしくすることを
許さない人であった。
初めは
恐怖がわたしをかれから遠ざけたけれど、このごろはなんとは知れないが、ぼんやりと、いわば
尊敬に
似た
感情がかれとわたしをへだてていた。
わたしがいよいよ村の家を出るじぶんには、ふつうのびんぼうな
階級の人たちと同じように親方を見ていた。わたしは世間なみの人からかれを
区別することができずにいたが、ミリガン
夫人と二か月くらしたあいだに、わたしの目は開いたし、ちえも進んだ。よく気をつけて親方を見ると、
態度でも様子でも、かれにはひじょうに
高貴なところがあるように見えた。かれの様子にはミリガン夫人のそれを思い出させるところがあった。
そんなときわたしは、ばかな、親方はたかが犬やさるの
見世物師というだけだし、ミリガン
夫人は
貴婦人である、それが
似かよったところがあるはずがないと思った。
だがそう思いながら、よくよく見ると、わたしの目がまちがわないことが
確かになった。親方はそうなろうと思えば、ミリガン夫人が貴婦人であると同様に
紳士になることができた。ただちがうことは、ミリガン夫人がいつでも貴婦人であるのに反して、親方がある場合だけ紳士であるということであった。でも一度そうなれば、それはりっぱな紳士になりきって、どんな向こう見ずな、どんな
乱暴な人間でも、その
威勢におされてしまうのであった。
だからもともと向こう見ずでも、乱暴でもなかったわたしは、よけい威勢に打たれて、言いたいことも言い
得ずにしまった。それは向こうから
優しいことばでさそい出してくれるときでもそうであった。
セットをたってからのち、しばらくわたしたちはミリガン
夫人のことや、白鳥号に乗っていたあいだのことを口に出すことをしなかった。けれどもだんだんとそれが話の
種になるようになって、まず親方がいつも話の口を切った。そうしてそれからは一日も、ミリガン夫人の名前の口にのぼらない日はないようになった。
「おまえは
好いていたのだね、あのおくさんを」と親方が言った。「そうだろう、それはわたしもわかっている。あの人は親切であった。まったくおまえには親切であった。その
恩を
忘れてはならないぞ」
そのあとでかれはいつも言い足した。
「だがしかたがなかったのだ」
こう言う親方のことばを、
初めはわたしもなんのことだかわからなかった。するうちだんだんそれは、ミリガン
夫人がそばへ
置きたいという申し出をこばんだことをさして言うのだとわかった。
親方がしかたがなかったと言ったとき、こういう考えになっていたのは
確かであった。そのうえこのことばの中には
後悔に
似た心持ちがふくまれていたように思われた。かれはアーサのそばにわたしを
残しておきたいと思ったのであろう。けれどそれはできないことだったというのである。
でもなぜかれがミリガン
夫人の申し出を
承知することができなかったか、よくはわからなかったし、あのとき夫人がくり返し言って聞かしてくれた説明も、あまりよくはわからずにしまったが、親方が
後悔しているということがわかって、わたしは心の
底に
満足した。
もうこれでは親方も
承知してくれるだろう。そうしてこれはわたしにとって大きな
希望の
目標になった。
それにしても、なぜ白鳥号には出会わないのであろう。
それはローヌ川を上って行くはずであった。そうしてわたしたちはその川の岸に
沿って歩いていた。
それで歩きながらわたしの目は
両側を
限っている
丘や、
豊饒な田畑よりも、よけい水の上に注がれていた。
わたしたちがアルルとか、タラスコンとか、アヴィニオン、モンテリマール、ヴァランス、ツールノン、ヴィエンヌなど、という町に着いたときに、いちばん先にわたしの行ってみるのは、
波止場か橋の上で、そこから川の上流を見たり、下流を見たり、わたしの目は白鳥号を
探した。遠方に半分、深い
霧にかくれてぼんやりした船のかげでも見つけると、それが白鳥号であるかないか、見分けられるほど大きくなるのを待つのであった。
でもそれはいつも白鳥号ではなかった。
ときどきわたしは思い切って船頭に聞いてみた。わたしの
探す美しい船の
模様を話して、そういう船を見なかったかとたずねた。でもかれらはけっしてそういう船の通るのを見たことがなかった。
このごろでは親方も、わたしをミリガン
夫人にわたそうと決心していた。少なくともわたしにはそう
想像されたから、もはやわたしの
素性を
告げたり、バルブレンのおっかあに手紙をやったりされるおそれがなくなった。そのほうの
事件は親方とミリガン夫人との間の
相談でうまくまとめてくれるだろう。そう思って、わたしの子どもらしいゆめでいろいろに事件を
処理してみた。ミリガン夫人はわたしをそばに
置きたいと言うだろう。親方はわたしに対する
権利を
捨てることを
承知してくれるだろう。それでいっさい事ずみだ。
わたしたちは何週間もリヨンに
滞在していた。そのあいだひまさえあればいく度もわたしはローヌ川と、ソーヌ川の
波止場に行ってみた。おかげでエーネー、チルジット、ラ・ギョッチエール、ロテル・デューなどという橋のことは、生えぬきのリヨン人同様によく知っていた。
しかしやはりわからなかった。とうとう白鳥号を見つけることはできなかった。
わたしたちはとうとうリヨンを去らなければならなかった。そしてディジョンに向かった。それでわたしはもうミリガン
夫人に二度と会う
希望を
捨てなければならなかった。それはリヨンでフランス全国の地図を調べてみたが、どうしても白鳥号がロアール川に出るには、これより先へ川を上って行くことのできないことを知ったからであった。船はシャロンのほうへ
別れて行ったのであろう。そう思ってわたしたちはシャロンに着いたが、やはり船を見ることなしにまた進まなければならなかった。これがわたしの
夢想の
結末であった。
いよいよいけなくなったことは、冬がいまや
目近にせまってきたことであった。わたしたちは目も見えないような雨とみぞれの中をみじめに歩き回らなければならなかった。夜になってわたしたちがきたない
宿屋かまたは
物置き
小屋につかれきってたどり着くと、もうはだまで水がしみ通って、わたしたちはとても
笑顔をうかべてねむる元気はなかった。
ディジョンをたってから、コートドールの山道をこえたときなどは、雨にぬれて
骨までもこおる思いをした。ジョリクールなどは、わたしと同様いつも
情けない悲しそうな顔をしていた。よけい意地悪くなっていた。
親方の
目的は少しでも早くパリへ行き着くことであった。それは冬のあいだ
芝居をして回れるのはパリだけであった。わたしたちはもうごくわずかの金しか得られなかったので、汽車に乗ることもできなかった。
道みちの町や村でも、
日和のつごうさえよければ、ちょっとした
興行をやって、いくらかでも
収入をかき集めて、出発するようにした。寒さと雨とで苦しめられながら、でもシャチヨンまではどうにかしてやって来た。
シャチヨンをたってから、
冷たい雨の
降ったあとで、風は北に
変わった。
もういく日かしめっぽい日が
続いたあとでは、わたしたちも顔にかみつくようにぶつかる北風を、いっそ気持ちよく思っていたが、まもなく空は大きな黒い雲でおおわれて、冬の日はすっかりかくれてしまった。大雪の近づいていることがわかっていた。
わたしたちがちょっとした大きな村に着くまではまだ雪にもならなかった。でも親方は、なんでもトルアの町へ早く行こうとあせっていた。そこは大きい町だから、ひじょうに悪い天気で五、六
日逗留しても、少しは
興行を
続けて回る見こみがあった。「早くとこにおはいり」とその
晩宿屋に着くと親方は言った。「あしたはなんでも早くからたつのだ……だが雪に
降りこめられてはたまらないなあ」
でもかれはすぐにはとこにはいらなかった。台所の
炉のすみにこしをかけて、
寒さでひどく弱っているジョリクールを
暖めていた。さるは
毛布にくるまっていても、やはり苦しがって、うめき声をやめなかった。
あくる日の朝、わたしは言いつけられたとおり早く起きた。まだ夜が明けてはいなかった。空はまっ暗な雲が
低く
垂れて、星のかげ一つ見えなかった。ドアを開けると、はげしい風がえんとつにふき入って、
危なくゆうべ
灰の中にうずめたほだ火をまい上げそうにした。
宿屋の
亭主は親方の顔を見て、
「わたしがあなただったら、きょうは出るどころではありません。いまにひどいふぶきになりますぜ」
「わたしは急いでいるのだ」と親方は答えた。「その大ふぶきの来るまえにトルアまで行きたいと思っている」
「六、七里(約二十四~二十八キロ)もありますよ。一時間やそこらで行けるものですか」
でもかまわずわたしたちは出発した。
親方はジョリクールをしっかりからだにだきしめて、自分の温かみを少しでも分けてやろうとした。犬は
固いこちこちな道を歩くのをうれしがって、先に立ってかけた。親方はデイジョンでわたしにひつじの毛皮服を買ってくれたので、わたしは毛を裏にしてしっかり着こんだ。これがこがらしでべったりからだにふきつけられていた。
わたしたちは口を開くのがひどくふゆかいだったので、だまりこんで歩きながら、少しでも
暖まろうとして急いだ。
もう夜明けの時間をよほど
過ぎていたが、空はまだまっ暗であった。東のほうに白っぽい
帯のようなものが雪の間に流れてはいたが、太陽は出て来そうもなかった。
野景色を見わたすと、いくらか物がはっきりしてきた。葉をふるった木も見えるし、
灌木や小やぶの中でかれっ葉ががさがさ風に鳴っていた。
往来にも畑にも出ている人はなかった。車の音も聞こえないし、むちの鳴る音も聞こえなかった。
ふと北の空に青白い
筋が見えたが、だんだん大きくなってこちらのほうへ向かって来た。そのときわたしたちはきみょうながあがあいうささやき声のような音を聞いた。それは
がんか野の白鳥のさけび声であったろう。この気ちがいじみた鳥の
群れは、わたしたちの頭の上を
飛んだと思うと、もう北から南のほうへおもしろそうにかけって行った。かれらが遠い空の中に見えなくなると、やわらかな
雪片が
静かに落ちて来た。それは空中を遊び歩いているように見えた。
わたしたちが通って行く道は
喪中のようにしずんでさびしかった。あれきって
陰気な野原の上にただ北風のはげしいうなり声が聞こえた。雪片が小さなちょうちょうのように目の前にちらちらした。
絶えずくるくる回って、地べたに着くことがなかった。
わたしたちはまた少ししか歩いてはいなかった。雪の
降るまえにトルアに着くということは、むずかしいことに思われた。けれどわたしは心配しなかった。雪が降りだせば風がやんで、かえって寒さもゆるむだろうと思った。
わたしはまだ雪風というものがどんなものだかよく知らなかった。
しかしまもなくそれがほんとうにわかった。しかもわたしにはけっして
忘れることのできないものであった。
雲が東北からむくむく集まって来た。そこの空にかすかな明るみが見えたと思うと、やがて雲のふところが開いて、どんどん大きな雪のかたまりが落ちて来た。もう空中をちょうちょうのようにはまわなかった。ふんぷんとすばらしい
勢いで
降って来て、わたしたちの目鼻を開けられないようにした。
「とてもトルアまではだめだ。なんでもうちを見つけしだい休むことにしよう」と親方が言った。
わたしは親方がそう言うのを聞いてうれしかったけれども、いったいうまく休むうちが見つかるであろうか。まだそこらが白くならないまえにわたしが見ておいたかぎりでは、一けんもうちは見えなかった。そればかりではない。おいおい村に近づいているという気配も見えなかった。
わたしたちの前には
底知れぬ黒い森が横たわっていた。わたしたちを
包んでいる
両側の
丘陵もやはり深い森であった。
雪はいよいよはげしく
降ってきた。わたしたちはだまって歩いた。親方はおまけにひつじの毛皮服を持ち上げて、ジョリクールが楽に息のできるようにしてやった。ただときどき首を左右に動かさなければ息ができなかった。
犬たちももう先に立ってかけることができなかった。かれらはわたしたちのかかとについて歩いて、早く休むうちを
求めたがっているような顔をしていたが、それをあたえてやることができなかった。
道はいっこうにはかどらなかった。わたしたちはとぼとぼ
骨を
折って歩いた。目を開けてはいられなかった。じくじくぬれた着物がこおりついたまま歩いて行った。もう深い森の中にはいっていたが、まっすぐな道で、わたしたちはさえぎるもののないあらしにふきさらされていた。そのうち風はいくらか
静まったが、雪のかたまりはますます大きくなって、みるみる
積もった
わたしは親方がなにか
探し
物をするように、おりおり左のほうへ目を注ぐのを見たが、かれはなにも言わなかった。なにをかれは見つけようとするのであろう。
わたしは長い道の向こうばかりまっすぐに見ていた。この森がもうほどなくおしまいになって、人家が
現れてきはしないかという
望みをかけていた。
だが目の
届く
限り
両側は雪にうずまった林であった。前はもう二、三間(四~五メートル)先が雪でぼんやりくもっていた。
わたしはこれまで
暖かい台所の
窓ガラスに雪の
降るところを見ていた。その暖かい台所がどんなにかはるか遠いゆめの世界のように思われることであろう。
でもやはり行くだけは行かなければならなかった。わたしたちの足はだんだん深く雪の中にもぐりこんだ。そのときふと、なにも言わずに親方が左手を指さした。なるほど、わたしはぼんやりと、空き地の中に
堀立小屋のようなものを見た。
わたしたちはその小屋に通う道を
探さなければならなかった。でも雪がもう深くなって、道という道をうずめてしまったので、これは
困難な仕事であった。わたしたちはやぶの中をかけ回って、みぞをこえて、やっとのことで小屋へ行く道を見つけて中へはいることができた。
その小屋は
丸太やしばをつかねて
造ったもので、屋根も木のえだのたばを
積み重ねて、雪が間から流れこまないように
固くなわでしめてあった。
犬たちはうれしがって、元気よく先に立ってかけこんだ、ほえながらたびたびかわいた土の上をほこりを立てて
転げ
回っていた。
わたしたちの
満足もかれらにおとらず大きかった。
「こういう森の中の木を切ったあとには、きこりの小屋があるはずだと思っていた」と親方が言った。「もういくら雪が
降ってもかまわないぞ」
「そうですとも。雪なんかいくらでも降れだ」とわたしは大いばりで言った。
わたしは戸口――というよりも小屋に
出入する
穴というほうが
適当で、そこにはドアも
窓もなかったが――そこまで行って、わたしは上着とぼうしの雪をはらった。せっかくのかわいた
部屋をぬらすまいと思ったからである。
わたしたちの
宿の
構造はしごく
簡単であった。
備えつけの家具も同様で、土の山と、二つ三つ大きな石がいすの代わりに
置いてあるだけであった。それよりもありがたかったのは、部屋のすみに赤れんがが五、六
枚、かまどの形に
積んであったことである。なによりもまず火を
燃やさなければならぬ。
なによりも火がいちばんのごちそうだ。
さてまきだが、このうちでそれを見つけることは
困難ではなかった。
わたしたちはただかべや屋根からまきを引きぬいて来ればよかった。それはわけなくできた。
まもなくたき火の赤いほのおがえんえんと立った。むろん小屋はけむりでいっぱいになったが、そんなことはいまの場合かまうことではなかった。わたしたちの
欲しているのは火と
熱であった。
わたしは両手をついて、
腹ばいになって火をふいた。犬は火のぐるりをゆうゆうと取り
巻いて、首をのばして、ぬれた
背中を火にかざしていた。
ジョリクールはやっと親方の上着の下からのぞくだけの元気が出て、用心深く鼻の頭を外に向けてそこらをながめ回した。安全な場所であることを
確かめて
満足したらしく、急いで地べたにとび下りて、たき火の前のいちばん上等な場所を
占領して、二本の小さなふるえる手を火にかざした。
親方は用心深い、
経験に
積んだ人であるから、その朝わたしが起き出すまえに道中の
食料を
包んでおいた。パンが一本とチーズのかけであった。わたしたちはみんな食物を見て
満足した。
情けないことにわたしたちはごくわずかしか分けてもらえなかった。それはいつまでここにいなければならないかわからないので、親方がいくらか
晩飯に
残しておくほうが
確実だと考えたからであった。
わたしはわかったが、しかし犬にはわからなかった。それでかれらはろくろく食べもしないうちにパンが
背嚢に
納められるのを見ると、前足を主人のほうに向けて、そのひざがしらを引っかいた。目をじっと背嚢につけて、中の物をぜひ開けさせようといろいろの身ぶりをやった。けれども親方はまるでかまいつけなかった。
背嚢はとうとう開かれなかった。犬はあきらめてねむる決心をした。カピは
灰の中に鼻をつっこんでいた。わたしもかれらの
例にならおうと考えた。けさは早かった。いつやむか、見当のつかない雪を見てくよくよしているよりも、白鳥号に乗って、ゆめの国にでも遊んだほうが気が
利いている。
わたしはどのくらいねむったか知らなかった。目が
覚めると雪がやんでいた。わたしは外をながめた。雪はひじょうに深かった。
無理に出て行けばひざの上までうずまりそうであった。
何時だろう。
わたしはそれを親方にたずねることができなかった。なぜなら
例のカピが時間を
示した大きな銀時計は売られてしまった。かれは
罰金や
裁判の
費用をはらうためにありったけの金を使ってしまった。そしてディジョンでわたしの毛皮服を買うときに、その大きな時計も売ってしまったのであった。
時計を見ることができないとすれば、日の
加減で知るほかはないが、なにぶんどんよりしているので、何時だか時間を
推量するのが
困難であった。
なんの物音も聞こえなかった。雪はあらゆる生物の活動をそれなりこおらせてしまったように思われた。
わたしは小屋の入口に立っていると、親方の
呼ぶ声が聞こえた。
「これから出て行けると思うかな」とかれはたずねた。
「わかりません。あなたのいいようにしたいと思います」
「そうか、わたしはここにいるほうがいいと思う。まあまあ屋根はあるし、たき火もあるのだから」
それはほんとうであったが、同時にわたしは食物のないことを思い出した。けれどもわたしはなにも言わなかった。
「どうせまた雪は
降ってくるよ。とちゅうで雪に会ってはたまらない。夜はよけい寒くなる。今夜はここでくらすほうが
無事だ。足のぬれないだけでもいいじゃないか」
そうだ。わたしたちはこの小屋に
逗留するほかはない。
胃ぶくろのひもを
固くしめておく、それだけのことだ。
夕飯に親方が
残りのパンを分けた。おやおや、もうわずかしかなかった。すぐに食べられてしまった。わたしたちはくずも
残さず、がつがつして食べた。このつましい
晩食がすんだとき、犬はまたさっきのようにあとねだりをするだろうと思っていたが、かれらはまるでそんなことはしなかった。今度もわたしは、どのくらいかれらがりこうであるか知った。
親方がナイフをズボンのかくしにしまうと、これは食事のすんだ知らせであったから、カピは立ち上がって、食物を入れたふくろのにおいをかいだ。それから前足をふくろにのせてこれにさわってみた。この二重の
吟味で、もうなにも食物の
残っていないことがわかった。それでかれはたき火の前の自分の
席に帰って、ゼルビノとドルスの顔をながめた。その顔つきはあきらかにどうもしんぼうするほかはないよという意味を
示していた。そこでかれはあきらめたというように、ため息をついて全身を長ながとのばした。
「もうなにもない。ねだってもだめだよ」かれはこれを大きな声で言ったと同様、はっきりと
仲間の犬たちに
会得さしていた。
かれの
仲間はこのことばを
理解したらしく、これもやはりため息をつきながらたき火の前にすわった。けれどゼルビノのため息はけっしてほんとうにあきらめたため息ではなかった。おなかの
減っているうえに、ゼルビノはひじょうに大食らいであった。だからこれはかれにとっては大きな
犠牲であった。
雪がまたずんずん
降りだしていた。ずいぶんしつっこく降っていた。わたしたちは白い地べたのしき物が高く高くふくれ上がって、しまいに、小さな
若木や
灌木がすっかりうずまってしまうのを見た。夜になっても、大きな
雪片がなお暗い空からほの明るい地の上にしきりなしに落ちていた。
わたしたちはいよいよここへねむるとすれば、なによりいちばんいいことは、できるだけ早くねつくことであった。わたしは昼間火でかわかしておいた毛皮服にくるまってまくらの代わりにした。平ったい石に頭をのせて、たき火の前に横になった。
「おまえはねむるがいい」親方が言った。「わたしのねむる番になればおまえを起こすから。この小屋ではけものもなにも心配なことはないが、二人のうち一人は起きていて、火の消えないように番をしなければならない。用心してかぜをひかないように気をつけなければいけない。雪がやむとひどい寒さになるからな」
わたしはさっそくねむった。親方がまたわたしを起こしたときには、夜はだいぶふけていた。たき火はまだ
燃えていた。雪はもう
降ってはいなかった。
「今度はわたしのねむる番だ」と親方が言った。「火が消えたら、ここへこのとおりたくさん
採っておいたまきをくべればいい」
なるほどかれはたき火のわきに小えだをたくさん
積み上げておいた。わたしよりずっと少ししかねむれない親方は、わたしがいちいちかべからまきをぬくたんびに音を立てて目を
覚まさせられることをいやがった。それでわたしはかれのこしらえておいてくれたまきの山から取っては、そっと音を立てずに火にくべれはよかった。
たしかにこれはかしこいやり方ではあったけれど、
情けないことに親方は、これがどんな意外な
結果を生むかさとらなかった。
かれはいまジョリクールを自分の外とうですっかりくるんだまま、たき火の前にからだをのばした。まもなくしだいに高く、しだいに
規則正しいいびきで、よくねいったことが知れた。
そのときわたしはそっと立ち上がって、つま先で歩いて、外の様子がどんなだか、入口まで出て見た。
草もやぶも木もみんな雪にうまっていた。日の
届くかぎりどこも目がくらむような白色であった。空にはぽつりぽつり星の光がきらきらしていた。それはずいぶん明るい光ではあったが、木の上に青白い光を投げているのは雪の明かりであった。もうずっと寒くなっていた。ひどくこおっていた。すきまからはいる空気は氷のようであった。
喪中にいるような
静けさの中に、雪の表面のこおりつく音がいく度となく聞こえた。
「ああ、この森のおくで雪の中にうめられてわたしたちはどうすればいいのだ。この雪と寒さの中で、この小屋でもなかったらどうなったであろう」
わたしはそっと音のしないように出たのであったが、やはり犬たちを起こしてしまった。中でもゼルビノは起き上がってわたしについて来た。夜の
荘厳はかれにとってなんでもなかった。かれはしばらく
景色をながめたが、やがてたいくつして外へ出て行こうとした。
わたしはかれに中にはいるように
命令した。ばかな犬よ。このおそろしい寒さの中でうろつき回るよりは、
暖かいたき火のそばにおとなしくしていたほうがどのくらいいいか知れない。かれは
不承不承にわたしの言うことを聞いたが、しかしひどくふくれっ
面をして、目をじっと入口に向けていた。よほどしつっこい、いったん思い立ったことを
忘れない犬であった。
わたしは、まっ白な夜をながめながらまだ二、三分そこに立っていた。それは美しい
景色ではあったし、おもしろいと思ったが、なんとも言えないさびしさを感じた。むろん見まいと思えば目をふさいで中にはいって、そのさびしい景色を見ずにいることはできるのだが、白いふしぎな景色がわたしの心をとらえたのであった。
とうとうわたしはまたたき火のそばへ帰って、二、三本まきをたがいちがいに火の上に組み合わせて、まくらの代わりにした石の上にこしをかけた。
親方はおだやかにねむっていた。犬たちとジョリクールもまたねむっていた。ほのおが火の中から上って、ぴかぴか火花を
散らしながら屋根のほうまで
巻き上がった。ぱちぱちいうたき火のほのおの音だけが夜の
沈黙を
破るただ一つの音であった。
長いあいだわたしは火をながめていたけれど、だんだん
我知らずうとうとし始めた。わたしが外へ出てまきをこしらえる仕事でもしていたら、日を
覚ましていられたかもしれなかったが、なにもすることもなくって火にあたっているので、たまらなくねむくなってきた。そのくせしょっちゅう自分ではいっしょうけんめい目を
覚ましているつもりになっていた。
ふとはげしいほえ声にわたしは目が覚めて、とび上がった。まっ暗であった。わたしはかなり長いあいだねむったらしく、火はほとんど
消えかかっていた。もう小屋の中にほのおが光ってはいなかった。
カピはけたたましくほえたてていた。けれどふしぎなことにゼルビノの声もドルスの声もしなかった。
「どうした。どうした」と親方が目を
覚ましてさけんだ。
「知りません」
「おまえはねむっていたのだな。火も消えている」
カピは入口までかけ出して行ったが、外へとび出そうとはしなかった。出口でウウ、ウウ、ほえていた。
「どうした。どうしたというんだろう」わたしは今度は自分にたずねた。
カピのほえ声に答えて、二声三声、すごい悲しそうなうなり声が聞こえた。それはドルスの声だとわかった。そのうなり声は小屋の後ろから、しかもごく近い
距離から聞こえて来た。
わたしは外へ出ようとした。けれど親方はわたしの
肩に手をのせて引き止めた。
「まあまきをくべなさい」かれは
命令の調子で言った。
言いつけられたとおりにわたしがしていると、かれは火の中から一本小えだを引き出して、火をふき消して、
燃えている先を
吹いた。
かれはそのたいまつを手に持った。
「さあ、行って見て来よう」とかれは言った。「わたしのあとについておいで。カピ、先へ行け」
外へ出ようとすると、はげしいほえ声が聞こえた。カピはこわがって、あとじさりをして、わたしたちの間に身をすくめた。
「おおかみだ。ゼルビノとドルスはどこへ行ったろう」
なにをわたしが言えよう。二ひきの犬はわたしのねむっているあいだに出て行ったにちがいない。ゼルビノはわたしがねつくのを待って、ぬけ出して行った。そしてドルスが、そのあとについて行ったのだ。
おおかみがかれらをくわえたのだ。親方が犬のことをたずねたとき、かれの声にはその
恐怖があった。
「たいまつをお持ち」とかれは言った。「あれらを助けに行かなければならない」
村でわたしはよくおおかみのおそろしい話を開いていた。でもわたしはちゅうちょすることはできなかった。わたしはたいまつを取りにかけて帰って、また親方のあとに
続いた。
けれども外には犬も見えなければおおかみも見えなかった。雪の上にただ二ひきの犬の足あとがぽつぽつ
残っていた。わたしたちはその足あとについて小屋の回りを歩いた。するとややはなれて雪の中でなにかけものが
転がり回ったようなあとがあった。
「カピ、行って見て来い」と親方は言った。同時にかれはゼルビノとドルスを
呼び
寄せる
呼び
子をふいた。
けれどこれに答えるほえ声は聞こえなかった。森の中の重苦しい
沈黙を
破る物音はさらになかった。カピは言いつけられたとおりにかけ出そうとはしないで、しっかりとわたしたちにくっついていた。いかにも
恐怖にたえない様子であった。いつもはあれほど
従順でゆうかんなカピが、もう足あとについてそれから先へ行くだけの
勇気がなかった。わたしたちの回りだけは雪がきらきら光っていたが、それから先はただどんよりと暗かった。
もう一度親方は
呼び
子をふいて、
迷い
犬を呼びたてた。でもそれに答える声はなかった。わたしは気が気でなかった。
「ああ、かわいそうなドルス」親方はわたしの心配しきっていることをすっぱり言った。
「おおかみがつかまえて行ったのだ。どうしてあれらを放してやったのだ」
そう、どうして――そう言われて、わたしは答えることばがなかった。
「行って
探して来なければ」とわたしはしばらくして言った。
わたしは先に立って行こうとしたけれど、かれはわたしを引き止めた。
「どこへ探しに行くつもりだ」とかれはたずねた。
「わかりません、ほうぼうを」
「この暗がりでは、どこに行ったかわかるものではない。この雪の深い中で……」
それはほんとうであった。雪がわたしたちのひざの上まで
積もっていた。わたしたちの二本のたいまつをいっしょにしても、暗がりを
照らすことはできなかった。
「ふえをふいても答えないとすると、遠方へ行ってしまっているのだ」とかれは言った。
「わたしたちは、むやみに進むことはならない。おおかみはわれわれにまでかかって来るかもしれない。今度は自分を守ることができなくなる」
かわいそうな犬どもを、その
運命のままに
任せるということは、どんなに
情けないことであったろう。
――われわれの二人の友だち、それもとりわけわたしにとっての友だちであった。それになにより
困ったことは、それがわたしの
責任だということであった。わたしはねむりさえしなかったら、かれらも出て行きはしなかった。
親方は小屋に帰って行った。わたしはそのあとに
続きながら、一足ごとにふり返っては、立ち止まって耳を立てた。
雪のほかにはなにも見えなかった。なんの声も聞こえなかった。
こうしてわたしたちが、小屋にはいると、もう一つびっくりすることがわたしたちを待っていた。火の中に投げこんでおいたえだは
勢いよく
燃え上がって、小屋のすみずみの暗い所まで
照らしていた。けれどもジョリクールはどこへ行ったか見えなかった。かれの着ていた
毛布はたき火の前にぬぎ
捨ててあった。けれどかれは小屋の中にはいなかった。親方もわたしも
呼んだ。けれどかれは出て来なかった。
親方の言うには、かれの目を
覚ましたときには、さるはわきにいた。だからいなくなったのは、わたしたちが出て行ったあとにちがいなかった。
燃えているたいまつを雪の
積もった地の上にくっつけるようにして、その足あとを見つけ出そうとした。でもなんの手がかりもなかった。
どこかたばねたまきのかげにでもかくれているのではないかと思って、わたしたちはまた小屋へ帰って、しばらく
探し回った。いく度もいく度も同じすみずみを探した。
わたしは親方の
肩に上って、屋根に
葺いてあるえだたばの中を探してみた。二度も三度も
呼んでみた。けれどもなんの返事もなかった。
親方はぷりぷりかんしゃくを起こしているようであった。わたしはがっかりしていた。
わたしは親方に、おおかみがかれまでも取って行ったのではないかとたずねた。
「いいや」とかれは言った。「おおかみは小屋の中までははいっては来なかっただろう。ゼルビノとドルスは外へ出たところをくわえられたかと思うが、この中までははいって来られまい。たぶんジョリクールはこわくなって、わたしたちの外に出ているあいだにどこへかかくれたにちがいない。それをわたしは心配するのだ。このひどい寒さでは、きっとかぜをひくであろう。寒さがあれにはなにより
効くのだから」
「じゃあどんどん
探してみましょうよ」
わたしたちはまたそこらを歩き回った。けれどまるでむだであった。
「夜の明けるまで待たなければならない」と親方が言った。
「どのくらいで明けるでしょう」
「二時間か三時間だろう」
親方は両手で頭をおさえてたき火の前にすわっていた。
わたしはそれをじゃまする
勇気がなかった、わたしはかれのわきにつっ立って、ただときどき火の中にえだをくべるだけであった。一、二度かれは立ち上がって戸口へ行って、空をながめてはじっと耳をかたむけたが、また帰って来てすわった。
わたしはかれがそんなふうにだまって悲しそうにしていられるよりも、かまわずわたしにおこりつけてくれればいいと思った。
三時間はのろのろ
過ぎた。その長いといったら、とても夜がおしまいになる時がないのかと思われた。
でも星の光がいつか空からうすれかけていた。空がだんだん明るく、夜が明けかかっていた。けれども明け方に近づくに
従って、寒さはいよいよひどくなった。戸口からはいって来る風が
骨までこおるようであった。
これでジョリクールを見つけたとしても、かれは生きているだろうか。
見つけ出す
希望がほんとにあるだろうか。
きょうもまた雪が
降りださないともかぎらない。
でも雪はもう来なかった。そして空にばら色の光がさして、きょうの
好天気を
予告するようであった。
すっかり明るくなって、
樹木の形がはっきり見えるようになった。親方もわたしもがっかりして、
棒をかかえて小屋を出た。
カピはもうゆうべのようにびくついてはいないようであった。目をしっかり親方にすえたまま、いつでも合図しだいでかけ出す仕度をしていた。
わたしたちが下を向いてジョリクールの足あとを
探し回っていると、カピが首を上に上げてうれしそうにほえ始めた。かれはわたしたちに地べたではなく、上を見ろといって合図をしたのであった。
小屋のわきの大きなかしの木のまたで、わたしたちはなにか黒い小さなもののうごめく
姿を見つけた。
これがかわいそうなジョリクールであった。夜中に犬のほえる声におびえて、かれはわたしたちが出ているまに、小屋の屋根によじ上った。そしてそこから一本のかしの木のてっべんに登って、そこを安全な場所と思って、わたしたちの
呼ぶ声にも答えず、じっとからだをかがめてすわっていたのであった。
かわいそうな弱い動物。かれはこごえてしまったにちがいない。
親方がかれを
優しく
呼んだ。かれは動かなかった。わたしたちはかれがもう死んでいると思った。
数分間親方はかれを
続けさまに呼んだ。けれどさるはもう生きているもののようではなかった。
わたしの
心臓は
後悔で
痛んだ。どれほどひどく
罰せられたことだろう。
わたしはつぐないをしなければならない。
「登ってつかまえて来ましょう」とわたしは言った。
「
危ないよ」
「いいえ、だいじょうぶです。わけなくできますよ」
それはほんとうではなかった。それは
危険でむずかしい仕事であった。大きなこの木は氷と雪をかぶっているので、それはずいぶん
困難な仕事であった。
わたしはごく小さかったじぶんから木登りをすることを習った。それでこの
術には
熟練していた。わたしはとび上がって、いちばん下のえだにとびついた。そして木のえだをすけて雪が落ちて日の中にはいって来たが、でもどうやら木の
幹をよじて、いちばんしっかりしたえだに手がかかった。ここまで登れば、あとは足をふみはずさないように気をつければよかった。
わたしは登りながら、
優しくジョリクールに話しかけた。かれは動かないで、目だけ光らせてわたしを見ていた。
わたしはほとんど手の
届く所へ来て、手をのばしてつかまえようとした。するとひょいとかれはほかのえだにとびついてしまった。
わたしはそのえだまでかれを追っかけたけれど、人間の
情けなさ、子どもであっても、木登りはさるにはかなわなかった。
これでさるの足が雪でぬれていなかったら、とてもかれをつかまえることはできそうもなかった。かれは足のぬれることを
好まなかった。それでじきにわたしをからかうのがいやになって、えだからえだへととび下りて、まっすぐに主人の
肩にとび下りた。そして上着の
裏にかくれた。
ジョリクールを見つけるのはたいへんなことであったがそれだけではすまなかった。今度は犬を
探さなければならなかった。
もうすっかり昼になっていた。わけなくゆうべの出来事のあとをたどることができた。雪の中でわたしたちは犬の死んだことがわかった。
わたしたちは十
間(約十八メートル)ばかりかれらの足あとをつけることができた。かれらは
続いて小屋からぬけ出した。ドルスが、ゼルビノのあとに
続いた。
それからほかのけものの足あとが見えた。一方にはおおかみどもは犬にとびかかって、はげしく
戦ったしるしが
残っていた。こちらにはおおかみがえものをつかんでゆっくり食べて歩いて行った足あとが残っていた。もうそこには、そこここに赤い血が雪の上にこぼれているほかには、犬のあとはなにも残っていなかった。
かわいそうな二ひきの犬は、わたしのねむっているあいだに死にに行ったのであった。
でもわたしたちはできるだけ早く帰って、ジョリクールを温めてやらなければならなかった。わたしたちは小屋へ帰った。親方がさるの足と手を持って、赤んぼうをおさえるようにして、たき火にかざすと、わたしは
毛布を温めて、その中へ
転がす仕度をした。けれども毛布ぐらいでは足りなかった。かれは湯たんぽと温かい飲み物を
求めていた。
親方とわたしはたき火のそばにすわって、だまってまきの
燃えるのをながめた。
「かわいそうに、ゼルビノは。かわいそうに、ドルスは」
わたしたちは代わりばんこにこんなことばをつぶやいた。
初めに親方が、つぎにはわたしが。
あの犬たちは、楽しいにつけ苦しいにつけ、わたしたちの友だちであり、
道連れであった。そしてわたしにとっては、わたしのさびしい身の上にとっては、このうえないなぐさめであった。
わたしがしっかり
見張りをしなかったことは、どんなにくやしいことだったろう。おおかみはそうすれば小屋までせめては来なかったろうに。火の光におそれて遠方に小さくなっていたであろうに。
どうにかしていっそ親方がひどくわたしをしかってくれればよかった。かれがわたしを打ってくれればよかった。
けれどかれはなにも言わなかった。わたしの顔を見ることすらしなかった。かれは火の上に首をうなだれたまま、おそらく犬がなくなって、これからどうしようか考えているようであった。
ジョリクール
氏
夜明けまえの
予告はちがわなかった。
日がきらきらかがやきだした。その光線は白い雪の上に落ちて、まえの
晩あれほどさびしくどんよりしていた森が、きょうは目がくらむほどのまばゆさをもってかがやき始めた。
たびたび親方はかけ物の下に手をやって、ジョリクールにさわっていたが、このあわれな小ざるはいっこうに温まってこなかった。わたしがのぞきこんでみると、かれのがたがた身ぶるいをする音が聞こえた。
かれの
血管の中の血がこおっていたのである。
「とにかく村へ行かなければならない。さもないとジョリクールは死ぬだろう。すぐたつことにしよう」
毛布はよく温まっていた。それで小ざるはその中にくるまれて、親方のチョッキの下のすぐ
胸に当たる所へ入れられた。わたしたちの仕度ができた。
小屋を出て行こうとして、親方はそこらを見回しながら言った。
「この小屋にはずいぶん高い
宿代をはらった」
こう言ったかれの声はふるえた。
かれは先に立って行った。わたしはその足あとに
続いた。わたしたちが二、三
間(四~六メートル)行くと、カピを
呼んでやらなければならなかった。かわいそうな犬。かれは小屋の外に立ったまま、いつまでも鼻を、
仲間がおおかみにとられて行った場所に向けていた。
大通りへ出て十分間ほど行くと、とちゅうで馬車に会った。その
御者はもう一時間ぐらいで村に出られると言った。これで元気がついたが、歩くことは
困難でもあり苦しかった。雪がわたしのこしまでついた。
たびたびわたしは親方にジョリクールのことをたずねた。そのたんびにかれは、小ざるはまだふるえていると言った。
やっとのことでわたしたちはきれいな村の白屋根を見た。わたしたちはいつも上等な
宿屋にとまったことはなかった。たいてい行っても追い出されそうもない、
同勢残らずとめてくれそうな
木賃宿を選んだ。
ところが今度は親方がきれいな
看板のかかっている宿屋へはいった。ドアが開いていたので、わたしはきらきら光る
赤銅のなべがかかって、そこから湯気のうまそうに上っている大きなかまどを見ることができた。ああ、そのスープが
空腹な旅人にどんなにうまそうににおったことであろう。
親方は
例のもっとも『
紳士』らしい
態度を用いて、ぼうしを頭にのせたまま、首を後ろにあお向けて、
宿屋の
亭主にいいねどこと
暖かい火を
求めた。
初めは宿屋の亭主もわたしたちに目をくれようともしなかった。けれども親方のもっともらしい様子がみごとにかれを
圧迫した。かれは女中に言いつけて、わたしたちを
一間へ通すようにした。
「早くねどこにおはいり」と親方は女中が火をたいている
最中わたし言った。わたしはびっくりしてかれの顔を見た。なぜねどこにはいるのだろう。わたしはねどこなんかにはいるよりも、すわってなにか食べたほうがよかった。
「さあ早く」
でも親方がくり返した。
服従するよりほかにしかたがなかった。
寝台の上には鳥の毛のふとんがあった。親方がそれをわたしのあごまで深くかけた。
「少しでも温まるようにするのだ」とかれは言った。「おまえが温まれば温まるほどいいのだ」
わたしの考えでは、ジョリクールこそわたしなんぞよりは早く温まらなければならない。わたしのほうは、いまではもうそんなに寒くはなかった。
わたしがまだ毛のふとんにくるまってあったまろうと
骨を
折っているとき、親方はジョリクールを
丸くして、まるで
蒸し
焼きにして食べるかと思うほど火の上でくるくる回したので、女中はすっかりびっくりした。
「あったまったか」と親方はしばらくしてわたしにたずねた。
「むれそうです」
「それでいい」かれは急いで
寝台のそばに来て、ジョリクールをねどこにつっこんで、わたしの
胸にくっつけて、しっかりだいているようにと言った。かわいそうな小ざるは、いつもなら自分のきらいなことをされると
反抗するくせに、もういまはなにもかもあきらめていた。かれは見向きもしないで、しっかりだかれていた。けれどもかれはもう
冷たくはなかった。かれのからだは
焼けるようだった。
台所へ出かけて行った親方は、まもなくあまくしたぶどう酒を一ぱい持って帰って来た。かれはジョリクールに二さじ三さじ飲ませようと
試みたけれど、小ざるは
歯を食いしばっていた。かれはぴかぴかする目でわたしたちを見ながら、もうこのうえ自分を
責めてくれるなとたのむような顔をしていた。それからかれはかけ物の下から
片うでを出して、わたしたちのほうへさし
延べた。
わたしはかれの思っていることがわからなかった。それでふしぎそうに親方の顔を見ると、こう
説明してくれた。
わたしがまだ来なかったじぶん、ジョリクールは
肺炎にかかったことがあった。それでかれのうでに
針をさして出血させなければならなかった。今度病気になったのを知ってかれはまた
刺絡(血を出すこと)してもらって、
先のようによくなりたいと思うのであった。
かわいそうな小ざる。親方はこれだけの
所作で深く感動した。そしてよけい心配になってきた。ジョリクールが病気だということはあきらかであった。しかもひじょうに悪くって、あれほど
好きな
砂糖入りのぶどう酒すらも受けつけようとはしないのであった。
「ルミ、ぶどう酒をお飲み。そしてとこにはいっておいで」と親方が言った。「わたしは医者を
呼んで来る」
わたしもやはり砂糖入りのぶどう酒が好きだということを
白状しなければならない。それにわたしはたいへん
腹が
減っていた。それで二度と言いつけられるまも待たず、一息にぶどう酒を飲んでしまうと、また毛ぶとんの中にもぐりこんだ。からだの温かみに、酒まではいって、それこそほとんど息がつまりそうであった。
親方は遠くへは行かなかった。かれはまもなく帰って来た。金ぶちのめがねをかけた
紳士――お医者を
連れて来た。さるだと聞いては医者が来てくれないかと思って、ヴィタリスは病人がなんだということをはっきり言わなかった。それでわたしがとこの中にはいって、トマトのような赤い顔をしていると、医者はわたしの額が手を当てて、すぐ「
充血だ」と言った。
かれはよほどむずかしい病人にでも向かったようなふうで首をふった。
うっかりしてまちがえられて、血でも取られてはたいへんだと思って、わたしはさけんだ。
「まあ、ぼくは病人ではありません」
「病人でない。どうして、この子はうわごとを言っている」
わたしは少し
毛布を上げて、ジョリクールを見せた。かれはその小さな手をわたしの首に
巻きつけていた。
「病人はこれです」とわたしは言った。
「さるか」とかれはさけんで、おこった顔をして親方に向かった。「きみはこんな日にさるをみせにわたしを
連れ出したか」
親方はなかなか
容易なことでまごつくような、まのぬけた男ではなかった。ていねいにしかも
例の
大ふうな様子で、医者を引き止めた。それからかれは
事情を
説明して、ふぶきの中に
閉じこめられたことや、おおかみにこわがってジョリクールがかしの木にとび上がったこと、そこで死ぬほどこごえたことを話した。
「病人はたかがさるにすぎないのですが、しかしなんという天才でありますか。われわれにとってどれほどだいじな友だちであり、
仲間でありますか。どうしてこれほどのふしぎな
才能を持った動物をただの
獣医やなどに
任されるものではない。村の獣医というものはばかであって、その代わりどんな小さな村でも、医師といえば学者だということはだれだって知っている。医師の
標札の出ているドアの
呼びりんをおせば、
知識があり
慈愛深い人にかならず会うことができる。さるは動物ではあるが、
博物学者に
従えば、かれらはひじょうに
人類に近いので、病気などは人もさるも同じようにあつかわれると聞いている。のみならず学問上の立場から見ても、人とさるがどうちがうか、研究してみるのも
興味のあることではないでしょうか」
こういうふうに
説かれて、医者は行きかけていた戸口からもどって来た。
ジョリクールはたぶんこのめがねをかけた人が医者だということをさとったとみえて、またうでをつき出した。
「ほらね」と親方がさけんだ。「あのとおり
刺絡していただくつもりでいます」
これで医者の足が止まった。
「ひじょうにおもしろい。なかなかおもしろい
実験だ」とかれはつぶやいた。
一とおり
診察して、医者はかわいそうなジョリクールが今度もやはり
肺炎にかかっていることを
告げた。医者はさるの手を取って、その
血管に少しも苦しませずにランセット(針)をさしこんだ。ジョリクールはこれできっと
治ると思った。
刺絡をすませて、医者はいろいろと
薬剤にそえて注意をあたえた。わたしはもちろんとこの中にはいってはいなかった。親方の言いつけに
従って、
看護婦を
務めていた。
かわいそうなジョリクール。かれは自分を看護してくれるのでわたしを
好いていた。かれはわたしの顔を見てさびしく
笑った。かれの顔つきはひじょうに
優しかった。
いつもあれほど、せっかちで、かんしゃく持ちで、だれにもいたずらばかりしていたかれが、それはもうおとなしく
従順であった。
その後毎日、かれはいかにわたしたちをなつかしがっているかを
示そうと
努めた。それはこれまでたびたびかれのいたずらの
犠牲であったカピに対してすらそうであった。
肺炎のふつうの
経過として、かれはまもなくせきをし始めた、この
発作のたびごとに小さなからだがはげくふるえるので、かれはひどくこれを苦しがった。
わたしの持っていたありったけの五スーで、わたしはかれに
麦菓子を買ってやった。けれどこれはよけいかれを悪くした。
かれのするどい
本能で、かれはまもなくせきをするたんびにわたしが麦菓子をくれることに気がついた。かれはそれをいいことにして、自分のたいへん
好きな薬をもらうために、しじゅうせきをした。それでこの薬はかれをよけい悪くした。
かれのこのくわだてをわたしが
見破ると、もちろん
麦菓子をやることをやめたが、かれは弱らなかった。まずかれは
哀願するような目つきでそれを
求めた。それでくれないと見ると、かれはとこの上にすわって両手を
胸の上に当てたまま、からだをゆがめて、ありったけの力でせきをした。かれの
額の
青筋がにょきんととび出して、なみだが目から流れた。そしてのどのつまるまねをするのが、しまいには本物になって、もう自分でおさえることができないほどはげしくせきこんだ。
わたしはいつも親方が一人で出て行ったあと、ジョリクールといっしょに
宿屋に
残っていた。ある朝かれが帰って来ると、
宿の
亭主がとどこおっている
宿料を
要求したことを話した。かれがわたしに金の話をしたのはこれが
初めてであった。かれがわたしの毛皮服を買うために時計を売ったということはほんのぐうぜんにわたしの聞き出したことであって、そのほかにはかれのふところ具合がどんなに苦しいか、ついぞ打ち明けてもらったことはなかったが、今度こそかれはもうわずか五十スーしかふところに
残っていないことを話した。
こうなってただ一つ
残った手だてとしては、今夜さっそく一
興行やるほかにないとかれは考えていた。
ゼルビノもドルスもジョリクールもいない興行。まあ、そんなことができることだろうか、とわたしは思った。
それができてもできなくても、どう少なく
見積もってもすぐ四十フランという金をこしらえなければならないとかれは言った。ジョリクールの病気は
治してやらなければならないし、
部屋には火がなければならないし、薬も買わなければならないし、
宿にもはらわなければならない。いったん
借りている物を返せば、あとはまた
貸してもくれるだろう。
この村で四十フラン。この寒空といい、こんなあわれない
一座でなにができよう。
わたしが、ジョリクールといっしょに
宿に待っているあいだに親方がさかり場で一けん見世物小屋を見つけた。なにしろ
野天で
興行するなんということはこの寒さにできない
相談であった。かれは
広告のびらを書いて、ほうぼうにはり出したり、二、三
枚の板でかれは
舞台をこしらえたりした。そして思い切って
残りの五十スーでろうそくを買うと、それを半分に切って、明かりを二
倍に使うくふうをした。
わたしたちの
部屋の
窓から見ていると、かれは雪の中を行ったり来たりしていた。わたしはどんな番組をかれが作るか、心配であった。
わたしはすぐにこの問題を
解くことができた。というのは、そのとき村の
広告屋が赤いぼうしをかぶってやって来て、
宿屋の前に止まった。たいこをそうぞうしくたたいたあとで、かれはわれわれの番組を読み上げた。
その
口上を聞いていると、よくもきまりが悪くないと思われるほど親方は思い切って大げさなふいちょうをした。なんでも世界でもっとも高名な
芸人が出る――それはカピのことであった――それから『
希世の天才なる少年歌うたい』が出る。その天才はわたしであった。
それはいいとして、この
山勘口上で第一におもしろいことは、この
興行に決まった
入場料のなかったことであった。われわれは見物の
義侠心に
信頼する。見物は
残らず見て聞いてかっさいをしたあとで、いくらでもお
志しだいにはらえばいいというのである。
これがわたしにはとっぴょうしもなくだいたんなやり方に思われた。だれがわたしたちをかっさいする者があろう。カピはたしかに高名になってもいいだけのことはあったけれど、わたしが……わたしが天才だなどとは、どこをおせばそんな
音が出るのだ。
たいこの音を聞くと、カピはほえた。ジョリクールはちょうどひじょうに悪かった
最中であったが、やはり起き上がろうとした。たいこの音とカピのほえ声を聞くと、
芝居の始まる知らせであるということをさとったようであった。
わたしは
無理にかれをねどこにおしもどさなければならなかった。するとかれは
例のイギリスの
大将の
軍服――
金筋のはいった赤い上着とズボン、それから
羽根のついたぼうしをくれという合図をした。かれは両手を合わせてひざをついて、わたしにたのみ始めた。いくらたのんでも、なにもしてもらえないとみると、かれはおこって見せた。それからとうとうしまいにはなみだをこぼしていた。かれに向かって、今夜
芝居するなんという考えを
捨てなければならないことを
納得させるには、たいへんな手数のかかることがわかっていた。それよりもかくれて出て行くほうがいいとわたしは思った。
親方が帰って来ると、かれはわたしにハープをしょったり、いろいろ
興行に入りようなものを用意するように言いつけた。それがなんの意味だということを知っているジョリクールは、今度は親方に向かって
請求を始めた。かれは自分の
希望を表すために苦しい声をしばり出したり、顔をしかめたり、からだを曲げたりするよりいいことはなかった。かれのほおにはほんとうになみだが流れていたし、親方の手におしつけたのは心からのキッスであった。
「おまえも
芝居がしたいのか」と親方はたずねた。
「そうですとも」とジョリクールのからだ全体がさけんでいるように思われた。かれは自分がもう病人でないことを
示すために、とび上がろうとした。でもわたしたちは外へかれを
連れ出せば、いよいよかれを
殺すほかはないことをよく知っていた。
わたしたちはもう出て行く
時刻になった。出かけるまえにわたしは長く持つようにいい火をこしらえて、ジョリクールを
毛布の中にすっかりくるんだ。かれはまたさけんで、できるだけの力でわたしをだきしめた。やっとわたしたちは出発した。
雪の中を歩いて行くと、親方はわたしに今夜はしっかりやってもらいたいということを話した。もちろん
一座の
主な役者たちがいなくなっていては、いつものようにうまくいくはずはなかったが、カピとわたしとでおたがいにいっしょうけんめいにやれるだけはやらなければならなかった。なにしろ四十フラン集めなければならなかった。
四十フラン。おそろしいことであった。できない
相談であった。
親方はいろいろなことを用意しておいたので、わたしたちがすべきいっさいのことはろうそくの火をつけることであった。けれどこれはむやみにつけてしまうこともできない。見物がいっぱいになるまではひかえなければならない。なにしろ
芝居のすむまでに明かりがおしまいになるかもしれないのであった。
わたしたちがいよいよ芝居小屋にはいったとき、
広告屋はたいこをたたいて、
最後にもう一度村の
往来を一めぐりめぐり歩いていた。
カピとわたしの仕度ができてから、わたしは外へ出て、柱の後ろに立って見物の来るのを待っていた。
たいこの音はだんだん高くなった。もうそれはさかり場に近くなって、ぶつぶつ言う人の声も聞こえた。たいこのあとからは子どもがおおぜい調子を合わせてついて来た。たいこを打ちやめることなしに、
広告屋は
芝居小屋の入口にともっている二つの大きなかがり火のまん中に
位置をしめた。こうなると見物はただ、中にはいって
場席を取れば、
芝居は始められるのであった。
おやおや、いつまで見物の行列は手間を取ることであろう。それでも戸口のたいこはゆかいそうにどんどん鳴り
続けていた。村じゅうの子どもは
残らず集まっているにちがいなかった。けれど四十フランの金をくれるものは子どもではなかった、ふところの大きい、物おしみをしない
紳士が来てくれなければならなかった。
とうとう親方は始めることに決心した。でも小屋はとてもいっぱいになるどころではなかった。それでもわたしたちはろうそくというやっかいな問題があるので、このうえ長くは待てなかった。
わたしはまずまっ先に
現れて、ハープにつれて二つ三つ歌を歌わなければならなかった。正直に言えばわたしが受けたかっさいはごく
貧弱だった。わたしは自分を
芸人だとはちっとも思ってはいなかったけれど、見物のひどい
冷淡さがわたしをがっかりさせた。わたしがかれらをゆかいにしえなかったとすると、かれらはきっとふところを開けてはくれないであろう。わたしはわたしが歌った
名誉のためではなかった。それはあわれなジョリクールのためであった。ああ、わたしはどんなにこの見物を
興奮させ、かれらを
有頂天にさせようと
願っていたことだろう……けれども
見物席はがらがらだったし、その少ない見物すら、わたしを『
希世の天才』だと思っていないことは、わかりすぎるほどわかっていた。
でもカピは
評判がよかった。かれはいく度もアンコールを受けた。カピのおかげで
興行が
割れるようなかっさいで終わった。かれらは両手をたたいたばかりでなく、
足拍子をふみ鳴らした。
いよいよ勝負の決まるときが来た。カピはぼうしを口にくわえて、見物の中をどうどうめぐりし始めた。そのあいだわたしは親方の
伴奏でイスパニア
舞踏をおどった。カピは四十フラン集めるであろうか。見物に向かってはありったけのにこやかな
態度を示しながら、この問題がしじゅうわたしの
胸を打った。
わたしは息が切れていた。けれどカピが帰って来るまではやめないはずであったから、やはりおどり
続けた。かれはあわてなかった。一
枚の
銀貨ももらえないとみると、前足を上げてその人のかくしをたたいた。
いよいよかれが帰って来そうにするのを見て、もうやめてもいいかと思ったけれど、親方はやはりもっとやれという目くばせをした。
わたしはおどり
続けた。そして二足三足カピのそばへ行きかけて、ぼうしがいっぱいになっていないことを見た。どうしていっぱいになるどころではなかった。
親方はやはりみいりの少ないのを見ると、立ち上がって、見物に向かって頭を下げた。
「
紳士ならびに
貴女がた。じまんではございませんが、
本夕はおかげさまをもちまして、番組どおりとどこおりなく
演じ終わりましたとぞんじます。しかしまだろうそくの火も
燃えつきませんことゆえ、みなさまのお
好みに
任せ、今度は一番てまえが歌を歌ってお聞きに入れようと思います。いずれ
一座のカピ
丈はもう一度おうかがいにつかわしますから、まだご
祝儀をいただきませんかたからも、今度はたっぷりいただけますよう、まえもってご用意を
願いたてまつります」
親方はわたしの先生ではあったが、わたしはまだほんとうにかれの歌うのを開いたことはなかった。いや、少なくともその
晩歌ったように歌うのを開いたことがなかった。かれは二つの歌を
選んだ。一つはジョセフの物語で、一つはリシャール
獅子王の歌であった。
わたしはほんの子どもであったし、歌のじょうずへたを聞き分ける力がなかったが、親方の歌はみょうにわたしを動かした。かれの歌を聞いているうちに、目にはなみだがいっぱいあふれたので、
舞台のすみに引っこんでいた。
そのなみだの
霧の中から、わたしは、前列のこしかけにすわっていた
若いおくさんがいっしょうけんめい手をたたいているのを見た。わたしはまえから、この人が一人、今夜小屋に集まった
百姓たちとちがっていることを見つけた。かの女は
若い美しい
貴婦人で、そのりっぱな毛皮の上着だけでもこの村一番の金持ちにちがいないとわたしは思った。かの女はいっしょに子どもを
連れていた。その子もむちゅうでカピにかっさいしていた。ひじょうによく
似ているところを見れば、それはかの女のむすこであった。
初めの歌がすむと、カピはまたどうどうめぐりをした。ところがそのおくさんはぼうしの中になにも入れなかったのを見て、わたしはびっくりした。
親方が第二の曲をすませたとき、かの女は
手招きをしてわたしを
呼んだ。
「わたし、あなたの親方さんとお話ししたいんですがね」とかの女は言った。
わたしはびっくりした。(そんなことよりもなにかぼうしの中へ入れてくれればいい)とわたしは思った。カピはもどって来た。かれは二度目のどうどうめぐりでまえよりももっとわずか集めて来た。
「あの
婦人がなにか用があると言うのか」と親方がたずねた。
「あなたにお話がしたいそうです」
「わたしはなにも話すことなんかない」
「あの人はなにもカピにくれませんでした。きっといまそれをくれようというんでしょう」
「じゃあ、カピをやってもらわせればいい。わたしのすることではない」
そうは言いながら、かれは行くことにして、犬を
連れて行った。わたしもかれらのあとに
続いた。そのとき一人の
僕(下男)が出て来て、ちょうちんと
毛布を持って来た。かれは
婦人と子どものわきに立っていた。
親方は
冷淡に
婦人にあいさつをした。
「おじゃまをしてすみませんでした。けれどわたくし、お
祝いを申し上げたいと思いました」
でも親方は一
言も言わずに、ただ頭を下げた。
「わたくしも音楽の道の者でございますので、あなたの
技術の天才にはまったく感動いたしました」
技術の天才。うちの親方が。大道の歌うたい、犬使いの
見世物師が。わたしはあっけにとられた。
「わたしのような
老いぼれになんの
技術がありますものか」とかれは
冷淡に答えた。
「うるさいやつとおぼしめすでしょうが」と
婦人はまた始めた。
「なるほどあなたのようなまじめなかたの
好奇心を
満足させてあげましたことはなによりです」とかれは言った。「犬使いにしては少し歌が歌えるというので、あなたはびっくりしておいでだけれど、わたしはむかしからこのとおりの人間ではありませんでした。これでも
若いじぶんにはわたしは……いや、ある大音楽家の
下男でした。まあおうむのように、わたしは主人の口まねをして
覚えたのですね。それだけのことです」
婦人は答えなかった。かの女は親方の顔をまじまじと見た。かれもつぎほのないような顔をしていた。
「さようなら、あなた」とかの女は外国なまりで言って、「あなた」ということばに力を入れた。
「さようなら。それからもう一度今夜味わわせていただいた、このうえないゆかいに対してお礼を申し上げます」こう言ってカピのほうをのぞいて、ぼうしに
金貨を一
枚落とした。
わたしは親方がかの女を戸口まで送って行くだろうと思ったけれど、かれはまるでそんなことはしなかった。そしてかの女がもう答えない所まで遠ざかると、わたしはかれがそっとイタリア語で、ぶつぶこごとを言っているのを聞いた。
「あの人はカピに一ルイくれましたよ」とわたしは言った。そのときかれは
危なくわたしにげんこを一つくれそうにしたけれど、上げた手をわきへ
垂らした。
「一ルイ」とかれはゆめからさめたように言った。「ああ、そうだ、かわいそうに、ジョリクールはどうしたろう。わたしは
忘れていた。すぐ行ってやろう」
わたしはそうそうに切り上げて、
宿へ帰った。
わたしはまっ先に
宿屋のはしごを上がって
部屋へはいった。火は消えてはいなかったが、もうほのおは立たなかった。
わたしは手早くろうそくをつけた。ジョリクールの声がちっともしないので、わたしはびっくりした。
やがてかれが
陸軍大将の
軍服を着て、手足をいっぱいにつっぱったまま、
毛布の上に横になっているのを見た。かれはねむっているように見えた。
わたしはからだをかがめて、
優しくかれの手を取って引き起こそうとした。
その手はもう
冷たかった。
親方がそのとき部屋にはいって来た。
わたしはかれのほうを見た。
「ジョリクールが
冷たいんですよ」とわたしは言った。
親方はそばへ来て、やはりとこの上にのぞきこんだ。
「死んだのだ」とかれは言った。「こうなるはずであった。ルミや、おまえをミリガン
夫人の所から
無理に
連れて来たのは悪かった。わたしは
罰せられたのだ。ゼルビノ、ドルス、それから今度はジョリクール……だがこれだけではすむまいよ」
パリ入り
まだパリからはよほどはなれていた。
わたしたちは雪でうずまった道をどこまでも歩いて行かなければならなかった。朝から
晩まで北風に顔を打たれながら、とぼとぼ歩いて行かなければならなかった。
この長いさすらいの旅はどんなにつらかったろう。親方が先に立って歩く。
続いてわたし、その後からカピがついて来た。こうして一列になって、わたしたちは何時間も、何時間も、ひと言も口をきかずに、寒さで血の
気のなくなった顔をして、ぬれた足と空っぽな
胃ぶくろをかかえて歩き
続けた。とちゅうで行き会う人はふり返って、わたしたちの
姿が見た。まさしくかれらはきみょうに思ったらしかった。このじいさんは、子どもと犬をどこへ
連れて行くのであろう。
沈黙はわたしにとって、つらくもあり悲しくも思われた。わたしはしきりと話をしたかったけれど、やっと口を切ると、親方はぷっつり手短に答えて、顔をふり向けもしなかった。うれしいことにカピはもっと人づき(人づき合い)がよかった。それでわたしが足を引きずり引きずり歩いて行くと、ときどきかれのぬくい
舌が手にさわった。かれはあたかもお友だちのカピがここについていますよというように、
優しくなめてくれた。そこでわたしもさすり返してやった。わたしたちはおたがいに心持ちをさとり合った。おたがいに
愛し合っていた。
わたしにとっては、これがなによりのたよりであったし、カピもそれをせめてものなぐさめとしているらしかった。物に感ずる心は犬の心も子どもの心もさしてちがいがなかった。
こうしてわたしがカピをかわいがってやると、カピもそれになぐさめられて、いくらかずつ
仲間をなくした悲しみをまぎらしてゆくようであった。でも
習慣の力はえらいもので、ときどき立ち止まっては、
一座の
仲間が後から来るのを待ちうけるふうであった。それはかれが
以前一座の部長であったとき、座員を前にやり
過ごして、いちいち
点呼する
習慣があったからである。けれどそれもほんの数秒時間のことで、すぐ思い出すと、もうだれも後から来るはずがないと思ったらしく、すごすご後から追い着いて来て、ドルスもゼルビノも来ませんが、それでやはりちがってはいないのですというように親方をながめるのであった。その目つきには
感情とちえがあふれていて、見ていると、こちらも引き入れられるように思うのであった。
こんなことは、ちっとも旅行をゆかいにするものではなかったが、わたしたちの気をまぎらす
種にはなった。
行く先ざきの
野面はまっ白な雪でおおわれて、空には日の光も見えなかった。いつも青白い
灰色の空であった。
畑をうつ
百姓のかげも見えなかった。馬のいななきも聞こえなければ、牛のうなりも聞こえなかった。ただ食に
飢えたからすが、こずえの上で虫を
探しあぐねて悲しそうに鳴いていた。村で戸を開けているうちはなくって、どこもしんと
静まり返っていた。なにしろ寒気がひどいので、人間は
炉のすみにちぢかまっているか、牛小屋や
物置き
小屋でこそこそ仕事をしていた。
でこぼこな、やたらにすべる道をまっしぐらにわたしたちは進んで行った。
夜はうまややひつじ小屋で一きれのパン、
晩飯にはじつに少ない一きれのパンを食べてねむった。その一きれが昼飯と晩飯をかねていた。
ひつじ小屋に明かすことのできるのは、中での楽しい
晩であった。ちょうど
雌ひつじが子どもに
乳を飲ませる
時節で、ひつじ
飼いのうちには、ひつじの乳をかってにしぼって飲むことを
許してくれる者もあった。でもわたしたちはひつじ飼いに向かっていきなり、
腹が
減って死にそうだとも話しえなかったけれど、親方は
例のうまい口調でそれとなしに、「この子どもはたいへんひつじの
乳が
好きなのですよ。それというのが赤子のじぶん飲みつけていたものですから、それでよけい子どものじぶんが思い出されるとみえます」というように言うのであった。この作り話の
効き
目がいつもあるわけではなかったが、たまにそれが当たるといい
一晩が
過ごされた。そうだ、わたしはほんとにひつじの
乳を
好いていた。だからこれがもらえると、そのあくる日はずっと、元気になったように感じた。
パリに近づくにしたがって、いなか道がだんだん美しくなくなるのが、きみょうに思われた。もう雪も白くはないし、かがやいてもいなかった。わたしはどんなにかパリをふしぎな国のように言い聞かされていたことであろう。そしてなにかとっぴょうしもないことが始まると思っていた。それがなんであるか、はっきりとは知らなかった。わたしは黄金の木や、大理石の町や玉でかざったご
殿がそこにもここにも
建っていても、ちっともおどろきはしなかったであろう。
われわれのようなびんぼう人がパリへ行って、いったいなにができるのであろう。わたしはしじゅうそれが気になりながら、それを親方に聞く
勇気がなかった。かれはずいぶんしずみきってふきげんらしかった。
けれどある日とうとうかれのほうからわたしのほうへ近づいて来た。そしてかれのわたしを見る目つきで、このごろしじゅう知りたいと思っていたことを知ることができそうだと感じた。
それはある大きな村から遠くない
百姓家にとまった朝のことであった。その村はブアシー・セン・レージェという名であることは、
往来の
標柱でわかった。
さてわたしたちは日の出ごろ
宿をたって、
別荘のへいに
沿って、そのブアシー・セン・レージェの村を通りぬけて、とある坂の上にさしかかった。その坂のてっぺんから見下ろすと、目の前には
果てしもなく大きな町が開けて、いちめんもうもうと立ち上がった黒けむりの中に、所どころ
建物のかげが見えた。
わたしはいっしょうけんめい目を
見張って、けむりやかすみの中にぼやけている屋根や
鐘楼や
塔などのごたごたした正体を見きわめようと
努めていたとき、ちょうど親方がやって来た。ゆるゆると歩いて来ながら、いままでの話のあとを
続けるというふうで、
「これからわたしたちの身の上も
変わってくるよ。もう四時間もすればパリだから」と言った。
「へえ、ではあすこに遠く見えるのが、パリなんですか」とわたしは問うた。
「うん」
親方がそう言って指さしをしたとき、ちょうど日がかっとさして、ちらりと
金色にかがやく光が目にはいったように思った。
まったくそのとおりであった。やがて黄金の木を見つけるであろう。
「わたしたちはパリへ行ったら
別れようと思う」とかれはとつぜん言った。
すぐに空はまた
暗くなった。黄金の木は見えなくなった。わたしは親方に目を向けた。かれもまたわたしを見た。わたしの青ざめた顔色とふるえるくちびるとは、わたしの心の中のあらしをはっきりと
現していた。
「おまえ、心配しているとみえるね。悲しいか。わたしにはわかっているよ」
「
別れるんですって」わたしはやっとつぶやいた。
「ああそうだよ。別れなければね」
こう言ったかれの調子がわたしの目になみだをさそった。もう
久しくわたしはこんな
優しいことばを聞かなかった。
「ああ、あなたはじつにいい人です」とわたしはさけんだ。
「いや、いい子はおまえだよ。じつに親切ないい子だ。人間は一生にしみじみ人の親切を感ずるときがあるものだ。何事もよくいっているときには、だれが自分といっしょにいるか、ろくろく考えることなしに世の中を通って行く。けれど物事がちょいちょいうまくいかなくなり、悪いはめには落ちてくるし、とりわけ人間が年を取ってくると、だれかにたよりたくなるものだ。わたしがおまえにたよると聞いたら、びっくりするかもしれないが、でもそれはまったくだよ。ただおまえがわたしのことばを聞き、わたしをなぐさめてくれて、なみだを流してくれると、わたしはたまらないほどうれしい。わたしも
不幸せな人間であったよ」
わたしはなんと言っていいかわからなかった。わたしはただかれの手をさすった。
「しかも
不幸なことには、わたしたちはおたがいのあいだがだんだん近づいてこようというじぶんになって、
別れなければならないのだ」
「でもあなたはわたしをたった一人パリへ
捨てて行くのではないでしょう」とわたしはこわごわたずねた。
「いいや、けっしてそんなことはない。おまえはこの大きな町で自分一人なにができよう。わたしはおまえを捨てる
権利がないのだ。それは
覚えておいで。わたしはあの
優しいおくさんが、おまえを引き取って自分の子にして育てようというのを、聞かなかった。あの日からわたしはおまえのためにできるだけつくしてやる
義務ができたのだ。だがわたしはいまの場合、なにもしてやることができない。それでわたしは
別れるのがいちばんいいと考えたわけだ。それもほんのしばらくのあいだだ。わたしたちはこの
時候の悪い二、三か月だけも
別れているほうがいいのだ。カピのほかみんないなくなってしまった
一座では、パリにいてもなにができよう」
かれの名が出ると、かわいいカピはわたしたちのそばへやって来た。かれは前足を右の耳の所へ上げて、
軍隊風の
敬礼をして、それを
胸に
置いて、あたかもわたしたちはかれの
誠実に
信頼することができるというようであった。親方は犬の頭に
優しく手を当てそれをおさえた。
「そうだよ。おまえは
善良な
忠実な友だちだ。けれど
情けないことにはほかのものがいないでは、もうたいしたことはできないのだ」
「でもわたしのハープは……」
「わたしもおまえのような子どもが二人あれば、うまくゆくのだ。けれど
老人がたった一人、男の子を
連れたのでは、ろくなことはない。わたしはまだ
老いくちたというのでもない。まあいっそめくらになるか、足の
骨でも
折れてくれればいいのだ。だがまだわたしは人びとの足を止めさせ、目をつけさせるほど
情けないありさまにもなってはいない。それにお
上の
救助を受けるようなはずかしいことはできない。そこでわたしはおまえを冬の終わりまで、ある親方の所へやろうと心を決めた。親方はおまえをほかの子どもたちの
仲間に入れてくれるだろう。そこでおまえはハープをひけばいいのだ」
「そうしてあなたは」とわたしはたずねた。
「わたしはパリでは顔を知られている。たびたびこちらへは来ていたことがある。このまえおまえの村へ行ったときも、パリから行ったのだ。大道でハープやヴァイオリンをひくイタリアの子どもらにけいこをしてやる。わたしはただ
広告をさえすれば
欲しいだけの
弟子は集まるのだ。そこでそのあいだにゼルビノとドルスの代わりになる犬を二ひきしこもうと思う。それから春になってルミ、またいっしょに出かけようよ。まあ当分は
勇気と
忍耐が
必要だ。わたしたちはこれまでちょうどつごうの悪い、
間の
時節ばかり通って来た。春になればだんだん
境遇も楽になる。そこでわたしはおまえを
連れて、ドイツとイギリスを回るつもりだ。そのうちおまえも大きくなるし、考えも進んでくる。わたしはおまえにたくさんのことを教えて、りっぱな人間にしてやる。わたしはそれをミリガン
夫人とやくそくした。おまえにイギリス語を教えだしたのもそのわけだ。おまえはフランス語とイタリア語を話すことができる。これはおまえの年ごろの子どもとしてはえらいことだ。おまえはからだもじょうぶだし、どうしてこの先、運の開ける
望みはじゅうぶんある」
たぶん親方がこう言ってわたしのために計画してくれたことは、みんないちばんいいことにちがいなかった。けれどそのときにはわたしはただ二つのことだけしか考えられなかった。
わたしたちは
別れなければならない。そしてわたしはよその親方の所へ行かなければならない。
流浪のあいだにわたしはいくたりかの親方に会ったが、いつもほうぼうからやとい入れて使っている子どもたちをひどく打ったりたたいたりする者が多かった。かれらはひじょうに
残酷であった。ひどく口ぎたなかったり、いつも
酔っぱらっていた。わたしはそういうおそろしい人間の一人に使われなければならないのであろうか。
それでもし運よく親切な親方に当たるとしても、これはまた一つの
変化であった。
初めが
養母、それから親方、それからまた一人――それはいつでもこうなのであろうか。わたしはいつまでもその人を
愛して、その人といっしょにいることのできる
相手を見つけることができないのであろうか。
だんだんわたしは親方に引きつけられるようになっていた。かれはほとんど父親というものはこんなものかとわたしに思わせた。
でもわたしはほんとうの父親を持つことがないのだ。うちを持つことがないのだ。この広い世界に、いつも
独りぼっちなのだ。だれの子でもないのだ。
わたしにも言うことはあった。だが親方は「
勇気を持て」とわたしに
求めた。わたしはこのうえかれに
苦労を
加えることを
望まなかった。けれどつらいことであった。かれと
別れるのはまったくつらいことであった。
かれも重ねてわたしに
泣きつかれるのがうるさいと思ったように、かまわずどんどん歩きだした。わたしは引きずられるようにして後に
続いた。
わたしはその後について行くと、まもなく橋をわたって川をこした。その橋はこのうえなくきたなくって、どろが深く
積もっていた。その上を黒い石炭くずのような雪がかぶさって、そこにふみこむとくるぶしまでずぶりとはいった。
橋のたもとからは、村
続きでせまい
宿場があった。村がつきると、また野原になって、野原にはこぎたない家が
散らばっていた。
往来には荷車がしじゅう行ったり来たりしていた。わたしは、親方の右手に
寄りそって歩いた。カピは後からついて来た。
いよいよ野原がおしまいになって、わたしたちは
果てしのない長い町の中にはいった。
両側には見わたすかぎり家が
建てこんでいた。それもボルドーや、ツールーズや、リヨンなどに
比べては、ずっとびんぼうらしいあわれな
小家ばかりであった。
雪がほうぼうにうず高く
積み上げられていて、黒く
固まったかたまりの上に、
灰やくさった
野菜や、いろいろのきたない
廃物が投げ
捨てられてあった。空気はいやなにおいにむせるようであった。その中を荷車がごろごろ通って行くが、人びとはそれをうまくかわしかわし歩いていた。
「ここはどこです」とわたしは言った。
「パリだよ」
どこに大理石のうちがあるか。それから黄金の木が。そしてりっぱに着かざった人たちが。これが見たい見たいとあこがれていたパリであったか。わたしはこんな場所で、親方に
別れて……カピに別れて、この冬じゅうくらさなければならなかったのか。
ルールシーヌ
街の親方
いま、わたしのぐるりを
取り
巻いているものは、気味の悪いものばかりであったが、わたしはいっしょうけんめい
好奇のの目を
見張って新しい
周囲を見回した。そのためにいまの身の上にさしせまっただいじのことは
忘れるくらいであった。
パリの町の中に深くはいればはいるほど、見るものごとにわたしの
幼い
夢想とだんだんへだたるようになった。こおりついたみぞからは、なんともいえないくさいいきれが立っていた。雪と氷がいっしょにとけて
固まったいうす黒いどろが、荷車の
輪にはねとばされて、そこらの小店のガラス戸に
厚板のようにへばりついていた。
確かにパリはボルドーにもおよばなかった。
これまで通って来た町に
比べては、だいぶんりっぱな広い町で、いくらかきれいな店もならんだ通りを長いこと歩いて、親方はついと右へ曲がると、急にみすぼらしい町に出た。高い黒い家のならんだまん中に、
例のいやなにおいのするどぶがあった。たくさんある
居酒屋の店先で、おおぜいの男女ががやがや言いながら、お酒を飲んでいた。
町の角には、ルールシーヌ
街と書いた
札が打ってあった。
親方は
案内を知っているらしくせまい通りにこみ合う
往来の人の
群れを分けて進んだ。わたしはそのそばに
寄りそって歩いた。
「おい、気をつけて、わたしの
姿を
見失わないように」と親方が注意した。けれどかれの注意は
必要がなかった。なぜといって、わたしはかれの後にくっついて歩いたうえ、おまけにかれの上着のすそをしっかりとおさえていたのであった。
わたしたちは大きな路地をつっ切って、もう一日じゅう日の光がけっしてもれたことのないような、きたならしい、じめじめした一けんの家にはいった。それはこれまでわたしの見たかぎりのいちばんひどい家であった。
「ガロフォリさんはいるかね」と親方が、ランプの光で、
ぼろをドアにぶら下げていた男にたずねた。
「知らねえや。上がって見て来い」とその男はうなった。「はしごだんのいちはんてっぺんだ。それおまえの鼻っ先に見えてるじゃないか」
「ガロフォリというのは、ルミ、おまえに話した親方だよ。ここが住まいだ」
階段を上がりながら親方はこう言った。その
階段は
厚いどろがこちこちに
積もって、ややもするとすべって足を取られそうになった。
街といい、家といい、はしご
段といい、いよいよわたしを安心させる
性質のものではなかった。いったい今度の親方というのはどんな男であろう。
四階のてっぺんに上がって、ドアをたたくことなしに親方はすぐ前のドアをおし開けて、
穀物倉のような大きな
屋根裏の
部屋にはいった。部屋のまん中はがらんとしていて、四方のかべにぐるりと
寝台みんなで十二ならべてあった。一度は白かったことのあるかべと天井が、いまではけむりとすすとちりでよごれきって、なんとも知れない色をしていた。かべの上にはすみで人間の首だの、花や鳥だのが落書きしてあった。
「ガロフォリさん、いるのかい」と親方がたずねた。「あんまり暗くってだれも見えない。ヴィタリスだよ」
かべにかけたうす暗いランプの明かりですかすと、
部屋にはだれもいないらしかった。すると弱いのろのろした声が、親方のことばに答えた。
「ガロフォリさんは出かけましたよ。二時間ほどしなければ帰りませんよ」
こう言いながら十三ばかりの子どもが出て来た。わたしはその子のきみょうな様子におどろいた。いまでもそのとき見たとおりを目にうかべることができる。いわば
胴体がなくって、足からすぐ首が生えているように見えた。その大きな頭は、まるでつり合いもなにもとれていなかった。そんなふうなからだつきでけっしてりっぱとは言えなかったが、その顔にはしかしきみょうに人をひきつけるものがあった。悲しみと
優しみの
表情、そしてそれから……たよりなげな表情であった。かれの大きな目は
同情をふくんで、
相手の目をひきつけずにはおかないのであった。
「
確かに二時間すれば帰って来るのかね」と親方がたずねた。
「確かですよ。もう
昼飯の時間ですからね。ここで食べるのはガロフォリさんばかりですから」
「そうかい。もしそのまえに帰って来たら、ヴィタリスという人が来て、二時間たつとまた来ると言って帰ったと言ってください」
「かしこまりました」
わたしも親方について行こうとすると、かれはわたしを止めた。
「おまえはここにおいで」とかれは言った。「少し休んでいるがいい」
「…………」
「おお、わたしは帰って来るよ」とかれはわたしの心配そうな顔つきを見て安心させるようにまた言った。わたしは
例の
服従の
習慣から、それをいやとは言えなかった。
「きみはイタリア人かい」
親方の重い足音がもうはしご
段の上に聞こえなくなったときに、イタリア語で子どもがたずねた。親方といっしょにいるあいだにわたしはイタリア語がぽつぽつわかっていたが、まだ自由には使えなかった。
「いいえ」と、わたしはフランス語で答えた。
「おやおや、つまらないなあ。きみがイタリアだといいんだがなあ」とかれは大きな目で見ながら、ほんとにつまらなそうに言った。
「きみはどこ」
「リュッカだよ。きみもそうだと、いろいろ聞きたいと思ったのだ」
「ぼくはフランス人です」
「そう、それはいいね」
「おや、きみはイタリア人よりも、フランス人のほうが
好きなの」
「おお、そうじゃない。ぼくがそれはいいねと言ったのは、きみのことを考えて言ったのだ。だってきみがイタリア人だったら、きっとガロフォリ親方に使われにここへやって来たのだろうから、そうすると気のどくだと思ってね」
「じゃあ、あの人悪い人なんですか」
子どもは答えなかった。けれどわたしにあたえた目つきはことばよりも多くを語った。かれはこの話を
続けるのを
好まないように
炉のほうへ行った。炉のたなの上に大きななべがあった。わたしは火に当たろうと思ってそばへ
寄ると、このなべがなんだか
変わった形をしているのに気がついた。なべのふたにはまっすぐな
管がつき出して、
蒸気がぬけるようになっていた。そのふたはちょうつがいになっていて、一方には
錠がかかっていた。
「なぜ錠ががかっているの」と、わたしはふしぎそうにたずねた。
「ぼくがスープを飲まないようにさ。ぼくはなべの番を言いつかっているけれど、親方はぼくを
信用しないのだ」
わたしはほほえまずにはいられなかった。
するとかれは悲しそうに言った。
「きみは
笑うね。ぼくが食いしんぼだと思うからだろう。でもきっときみがぼくの
境遇だったら、ぼくと同じことをしたかもしれないよ。ぼくはぶたではないけれど、
腹が
減っている。だからなべの口からスープのにおいがたてば、ますます腹が減ってくるのだ」
「ガロフォリさんはきみにじゅうぶん食べるものをくれないの」
「ああ、それが
罰なんだ…」
「まあ……」
「そうだ。それにこれだけのことは話してもいい」と少年は
続けた。「きみももしあの人を親方に持つんだったら、
心得になることだからね。ぼくの名前はマチアと言うよ。ガロフォリはぼくのおじさんだ。ぼくの母さんはいるが、六人の子どもをかかえているし、たいへんびんぼうでくらしがたたないでいる。ガロフォリが去年来たとき、ぼくをいっしょに
連れて帰ったのさ。いったいぼくよりはつぎの弟のレオナルドを連れて行きたかったのだ。レオナルドはぼくとちがって
器量がいいのだからね。お金をもうけるには
不器量ではだめだよ。ぶたれるか、ひどく悪口を言われるだけだ。でもぼくの母さんはレオナルドが
好きで手ばなさないから、やはりぼくが来ることになったのだ。ああ、うちをはなれて、親兄弟や、小ちゃな妹に
別れるのはどんなにつらかったろう。
ガロフォリ親方はこのうちへ子どもをたくさん
置いてあって、中にはえんとつそうじもあれば、紙くず拾いもある。
働くだけの力のない者は町で歌を歌ったりこじきをしている。ガロフォリはぼくに二ひき小さな白いはつかねずみをくれて、それを
往来で見世物に出させて、
毎晩三十スー持って帰って来なければならないと言いわたした。三十スーに一スーでも
不足があれば、不足だけむちでぶたれるのだ。きみ、三十スーもうけるにはずいぶん
骨が
折れる。けれどぶたれるのはもっとつらい。とりわけガロフォリが自分で手を下ろすときはよけい
痛いのだ。それでぼくは金を取るためいろんなことをしてみるが、よく不足なことがあった。たいていほかの子どもたちが夜帰って来て、決められた金を持って来たとき、ぼくは自分の分に足りないとガロフォリは気ちがいのようにおこった。もう一人
仲間にやはりはつかねずみの見世物を出す子どもがある。このほうは四十スーと決められているのだが、
毎晩きっとそれだけの金を持って帰る。そんなときぼくはその子がどんなふうにして金をもうけるか見たいと思って、いっしょについて行った……」
かれはことばを切った。
「それで」とわたしはたずねた。
「おお、見物のおくさんたちは決まってこう言うのだ。きれいな子のほうへおやりよ。みっともない子どものほうでなく、と。そのみっともない子どもというのはむろんぼくだった。そこでぼくはもうその子とは行かないことにした。ぶたれるのは
痛いけれど、そんなことをしかもおおぜいの人の前で言われるのはもっとつらい。きみはだれからも、おまえはみにくいと言われたことがないから知るまい。だがぼくは……さてとうとうガロフォリは、ぶってもたたいてもぼくには
効き
目がないのをみて、ほかのしかたを考えた。それは
毎晩ぼくの
晩飯のいもを
減らすのだ。きさまの皮はいくらひっぱたいても平気で
固いが、
胃ぶくろはひもじいだろうと言った。それはつらいが、でもぼくのねずみの見世物を見ている
往来の人に向かって、どうか一スーください、くださらないと、今夜はおいもが食べられませんとは言われない。人はそんなことを言ったって、なにもくれるものではないよ」
「じゃあ、どうするとくれるの」
「それはきみ、だれだって自分の心を
満足させるためにくれるのだ。なんでもなく人に物をくれるものではないよ。その子どもがかわいらしくって、きれいであるか、あるいはその人たちの
亡くした子どものことを思い出させるとかいうならくれる。子どもはおなかがすいているからかわいそうだと思って、くれる者はない。ああ、こんなことで長いあいだにぼくは世の中の人の心持ちがわかってきた。ねえ、きょうは寒いじゃないか」
「ああ、ひどい寒さだね」
「ぼくはこじきをしてから、だんだん太れないで青くなった」と少年は
続いて言った。「ぼくはずいぶん青い顔をしている。それでぼくはたびたび人が、あのびんぼう人の子どもはいまに
飢えて死ぬだろうと言っているのを聞いた。だが苦しそうな顔つきは、楽しそうな顔つきではできないことをしてくれる。その代わりひじょうにひもじい目をこらえなければならない。とにかくおかげでだんだんぼくを気のどくがる人が近所にできた。みんな、ぼくのもらいの少ないときにはパンやスープをめぐんでくれる。これはぼくのいちばんうれしいときで、ガロフォリにぶたれもしないし、
晩飯にいもがもらえなくっても、どこかでなにか
昼飯にもらって食べて来るから苦しいこともなかった。けれどある日ガロフォリが、ぼくが
水菓子屋にもらった一さらのスープを飲んでいるところを見つけると、なぜぼくがうちで
晩飯をもらわずに平気で出て行くか、そのわけを
初めて知った。それからはぼくにうちで
留守番させて、このスープの
見張りを言いつけた。毎朝出て行くまえに肉と
野菜をなべに入れて、ふたに
錠をかってしまう。そしてぼくのすることはそのにえたつのを見るだけだ。ぼくはスープのにおいをかいでいる。だがそれだけだ。スープのにおいでは
腹は
張らない。どうしてよけい
空腹になる。ぼくはずいぶん青いかい。ぼくはもう外へ出ないから、みんながそう言うのを聞かないし、ここには
鏡もないのだからわからない」
「きみはほかの人よりかよけい青いとは思えないよ」とわたしは言った。
「ああ、きみはぼくを心配させまいと思ってそう言うのだ。けれどぼくはもっともっと青くなって、早く病気になるほうがうれしいのだ。ぼくはひじょうに悪くなりたいのだ」
わたしはあきれて、かれの顔をながめた。
「きみはわからないのだ」とかれはあわれむような
微笑をふくんで言った。「ひどく
加減が悪くなればみんなが世話をしてくれる。さもなければ死なせてくれる。ぼくを死なせてくれればなにもかもおしまいだ。もう
腹を
減らすこともないし、ぶたれることもないだろう。それにぼくたちは死ねば天にのぼって神様といっしょに住むことになるのだ。そうだ、そうなればぼくは天にのぼって、上から母さんや、クリスチーナを見下ろすことができる。神様にたのんで妹を
不幸せにしないようにしてもらうこともできる。だからぼくは病院へやられればうれしいと思うよ」
病院――というとわたしはむやみにおそろしい所だと思いこんでいた。わたしはいなか道を旅をして来たあいだ、どんなに気分が悪く思うときでも、病院へやられるかもしれないと思い出すといつでも力が出て、
無理にも歩いたものだった。マチアのこういうことばにわたしはおどろかずにはいられなかった。
「ぼくはいまではずいぶんからだの具合が悪くなっている。だがまだガロフォリのじゃまになるほど悪くはなっていない」と、かれは弱い、ひきずるような声で話を
続けた。「でもぼくはだんだん弱くなってきたよ。ありがたいことにガロフォリはまるっきりぶつことをやめずにいる。八日まえにもぼくの頭をうんとひどくぶった。おかげでこのとおりはれ上がった。見たまえ、この大きなこぶを。あいつはきのうぼくに、これはできものだと言った。そう言ったあの人の様子はなんだかまじめだった。おそろしく
痛むのだ。夜になるとひどく目がくらんでまくらに頭をつけるとぼくはうなったり
泣いたりする。それがほかの子どものじゃまになるのをガロフォリはひどくきらっている。だから二日か三日のうちにいよいよあの人もぼくを病院へやることに決めるだろうと思う。ぼくは
先に
慈恵病院にいたことがある。お医者さんはかくしに安いお
菓子をいつも入れているし、
看護婦の
尼さんたちがそれは
優しく話をしてくれるよ。こう言うんだ。ぼうや、
舌をお出しとか、いい子だからねとかなんでもなにかしたいたんびに、『ああ、おしよ』と言ってくれる。それがうちにいる母さんと同じ調子なんだ。ぼくはどうも今度は病院へ行くほど悪くなっていると思う」
かれはそばへ
寄って来て、大きな目でじっとわたしを見た。わたしはかれの前に
真実をかくす理由はなかったが、しかしかれの大きなぎょろぎょろした目や、くぼんだほおや、血の
気のないくちびるがどんなにおそろしく見えるかということを、かれに語ることを
好まなかった。
「きみは病院へ行かなければならない。ずいぶん悪いと思うよ」
「いよいよかね」
かれは足を引きずりながらのろのろ
食卓のほうへ行って、それをふき始めた。
「ガロフォリがまもなく帰って来る」とかれは言った。「ぼくたちはもう話をしてはいけない。もうこれだけぶたれているのだ。このうえよけいなぐられるのは
損だからね。なにしろこのごろいただくげんこは
先よりもずっと
効くからね。人間はなんでも
慣れっこになるなんて言うが、それはお人よしの言うことだよ」
びっこひきひきかれは
食卓の回りを回って、さらやさじならべた。
勘定すると二十
枚さらがあった。そうするとガロフォリは二十人の子どもを使っているのだ。でも
寝台は十二しか見えなかったから、かれらのある者は一つの寝台に二人ねむるのだ。それにとにかくなんという寝台であろう。なんというかけ物であろう。かけ物の
毛布はうまやから、もう古くなって馬が着ても
暖かくなくなったようなしろものを、持って来たにちがいない。
「どこでもこんなものかしら」と、わたしはあきれてたずねた。
「なにがさ」
「子どもを
置く所は、どこでもこんなかしら」
「そりゃ知らないがね、きみはここへは来ないほうがいいよ」と、少年は言った。「どこかほかへ行くようにしたまえ」
「どこへ」
「ぼくは知らない。どこでもかまわない。ここよりはいいからねえ」
どこへといって、どこへわたしは行こう。――ぼんやり当てもなしに考えこんでいると、ドアがあいて、一人の子どもが
部屋の中にはいって来た。かれは小わきにヴァイオリンをかかえて、手に大きな
古材木を持っていた。わたしはガロフォリの
炉にたかれている古材木の出所と
値段もわかったように思った。
「その木をくれよ」とマチアは子どものほうへ
寄って行った。けれど子どもは材木を後ろにかくした。
「ううん」とかれは言った。
「まきにするんだからおくれよ。するとスープがおいしくにえるから」
「きみはぼくがこれをスープをにるために持って来たと思うか。ぼくはきょうたった三十六スーしかもらえなかった。だからこの
材木をぶたれないおまじないにするのだ。これで四スーの
不足の代わりになるだろう」
「やっぱりやられるよ。なんの足しになるものか。
順ぐりにやられるんだ」
マチアはそう
機械的に言って、あたかもこの子どもも
罰せられると思うのがかれに
満足をあたえるもののようであった。わたしはかれの
優しい悲しそうな目のうちに、
険しい目つきの表れたのを見ておどろいた。だれでも悪い人間といっしょにいると、いつかそれに
似てくるということは、わたしがのちに知ったことであった。
一人一人子どもたちは帰って来た。てんでんにはいって来ると、ヴァイオリン、ハープ、ふえなど自分の楽器を
寝台の上のくぎにかけた。
音楽師でなく、ただ
慣らしたけものの見世物をやる者は、小ねずみやぶたねずみをかごの中に入れた。
それから重い足音がはしご
段にひびいて、ねずみ色の外とうを着た小男がはいって来た。これがガロフォリであった。
はいって来るしゅんかん、かれはわたしに目をすえて、それはいやな目つきでにらめた。わたしはぞっとした。
「この子どもはなんだ」と、かれは言った。
マチアはさっそくていねいにヴィタリス親方の
口上をかれに
伝えた。
「ああ、じゃあヴィタリスが来たのか」とかれが言った。「なんの用だろう」
「わたしはぞんじません」とマチアが答えた。
「おれはきさまに言っているのではない。この子どもに話しているのだ」
「親方がいずれもどって来て、用事を自分で申し上げるでしょう」と、わたしは答えた。
「ははあ、このこぞうはことばの
値打ちを知っている。
要らぬことは言わぬ。おまえはイタリア人ではないな」
「ええ、わたしはフランス人です」
ガロフォリが
部屋にはいって来たしゅんかん、二人の子どもがてんでんにかれの両わきに
席をしめた。そしてかれのことばの終わるのを待っていた。やがて一人がそのフェルト
帽をとって、ていねいに
寝台の上に
置くと、もう一人はいすを持ち出して来た。かれらはこれを同じようなもったいらしさと、
行儀よさをもって、
寺小姓が
和尚さんにかしずくようにしていた。ガロフォリがこしをかけると、もう一人の子どもがたばこをつめたパイプを持って来た。すると第四の子どもがマッチに火をつけてさし出した。
「いおうくさいやい。がきめ」とかれはさけんで、マッチを
炉の中に投げこんだ。
この
罪人はあわてて
過失をつぐなうために、もう一本のマッチをともして、しばらく
燃やしてから主人にそれをささげた。けれどもガロフォリはそれを受け取ろうとはしなかった。
「だめだ。とんちきめ」とかれは言って、あらっぽく子どもをつきのけた。それからかれはもう一人の子どものほうを向いて、おせじ
笑いをしながら言った。
「リカルド、おまえはいい子だ。マッチをすっておくれ」
この「いい子」はあわてて言いつけどおりにした。
「さて」とガロフォリは具合よくいすに
納まって、パイプをふかしながら言った。
「おこぞうさんたち、これから仕事だ。マチア、帳面だ」
こう言われるまでもなく、子どもたちはガロフォリのまゆの動き方一つにも心を配っていた。そのうえにガロフォリがわざわざ口に出して用向きを言いつけてくれるのは、たいへんな
好意であった。
ガロフォリはマチアの持って来たあかじみた小さな帳面には目もくれなかった。
初めのいおうくさいマッチをつけた子どもに、来いと合図をした。
「おまえにはきのう一スー
貸してある。それをきょう持って来るやくそくだったが、いくら持って来たな」
子どもは赤くなって、
当惑を顔に表して、しばらくもじもじしていた。
「一スー足りません」とかれはやっと言った。
「はあ、おまえは一スー足りないのかね。それでいいのだね」
「きのうの一スーではありません。きょう一スー足りないのです」
「それで二スーになる。おれはきさまのようなやつを見たことがない」
「わたしが悪いんではないんです」
「
言い
訳をしなさんな。
規則は知っているだろう。着物をぬぎなさい。きのうの分が二つ、きょうの分が二つ。合わせて四つ。それから
横着の
罰に夕食のいもはやらない。リカルド、いい子や。おまえはいい子だから、気晴らしをさせてやろう。むちをお取り」
二本目のマッチをつけた子どものリカルドが、かべから大きな
結び
目のある皮ひもの二本ついた、
柄の短いむちを下ろした。そのあいだに二スー足りない子どもは上着のボタンをはずしていた。やがてシャツまでぬいでからだをこしまで
現した。
「ちょっと待て」とガロフォリがいまいましい
微笑を見せて言った。
「たぶんきさまだけではあるまい。
仲間のあるということはいつでもゆかいなものだし、リカルドにたびたび手数をかけずにすむ」
子どもたちは親方の前に身動きもせずに立っていたが、かれの
残酷なじょうだんを開いて、みんな
無理に
笑わされた。
「いちばん笑ったやつはいちばん足りないやつだ」とガロフォリが言った。「きっとそれにちがいない。いちばん大きな声で笑ったのはだれだ」
みんなは
例の大きな
材木を持って、まっ先に帰って来た子どもを指さした。
「こら、きさまはいくら足りない」とガロフォリがせめた。
「わたしのせいではありません」
「わたしのせいではありませんなんかと言うやつは、一つおまけにぶってやろう。いくら足りないのだ」
「わたしは大きな材木を一本持って来ました。りっぱな材木です」
「それもなにかになる。だがパン屋へ行ってその
棒でパンにかえてもらって来い。いくらにかえてくれるか。いくら足りないのだ。言ってみろ」
「わたしは三十六スー持って来ました」
「この悪者め、四スー足りないぞ。それでいて、そんなしゃあしゃあした
面をして、おれの前につっ立っている。シャツをぬげ。リカルドや、だんだんおもしろくなるよ」
「でも
材木は」と子どもがさけんだ。
「
晩飯の代わりにきさまにやるわ」
この
残酷なじょうだんが
罰せられないはずの子どもたちみんなを
笑わせた。それからほかの子どもたちも一人一人
勘定をすました。リカルドがむちを手に持って立っていると、とうとう五人までの
犠牲者が一列にかれの前にならべられることになった。
「なあ、リカルド」とガロフォリが言った。「おれはこんなところを見るといつも気分が悪くなるから、見ているのはいやだ。だが音だけは聞ける。その音でおまえのうでの力を聞き分けることができる。いっしょうけんめいにやれよ。みんなきさまたちのパンのために
働くのだ」
かれは
炉のほうへからだを向けた。それはあたかもかれがこういう
懲罰を見ているにしのびないというようであった。
わたしは一人すみっこに立って、いきどおりとおそれにふるえていた。これがわたしの親方になろうとする男なのである。わたしもこの男に言いつけられた物を持って帰らなければ、やはりリカルドに
背中を出さねばならなかった。ああ、わたしはマチアがあれほど平気で死ぬことを口にしているわけがわかった。
ぴしり、第一のむちがふるわれて、
膚に当たったとき、もうなみだがわたしの目にあふれ出した。わたしのいることは
忘れられていたと思っていたけれど、それは考えちがいで、ガロフォリは目のおくからわたしを見ていた。
「
人情のある子どもがいる」とかれはわたしを指さした。「あの子はきさまらのような
悪党ではない。きさまらは
仲間が苦しんでいるところを見て
笑っている。この小さな仲間を手本にしろ」
わたしは頭のてっぺんから足のつま先までふるえた。ああ、かれらの仲間か……。
第二のむちをくって
犠牲はひいひい
泣き
声を立てた。三度目には引きさかれるようなさけび声を上げた。ガロフォリが手を上げた。リカルドはふり上げたむちをひかえた。わたしはガロフォリがさすがに
情けを見せるのだと思ったが、そうではなかった。
「きさまらの泣き声を聞くのはおれにはどのくらいつらいと思う」とかれはねこなで声で
犠牲に向かって言いかけた。「むちがきさまらの皮をさくたんびにさけび声がおれのはらわたをつき
破るのだ。ちっとはおれの苦しい心も
察して、気のどくに思うがいい。だからこれから
泣き
声を立てるたんびによけいに一つむちをくれることにするからそう思え。これもきさまらが悪いのだ。きさまらがおれに対してちっとでも
情けや
恩を知っているなら、だまっていろ。さあ、やれ、リカルド」
リカルドがむちをふり上げた。皮ひもは
犠牲の
背中でくるくる回った。
「おっかあ。おっかあ」とその子どもがさけんだ。
ありがたい。わたしはこのうえこのおそろしい
呵責を見ずにすんだ。なぜといってこのしゅんかんドアがあいて、ヴィタリス親方がはいって来たからである。
人目でかれはなにもかも
了解した。かれははしご
段を上がりながらさけび声を聞いたので、すぐリカルドのそばにかけ
寄って、むちを手からうばった。それからガロフォリのほうへくるりと向いて、うで組みをしたままかれの前につっ立った。
これはいかにもとっさのあいだに起こったので、しばらくはガロフォリもぽかんとしていた。けれどもすぐ気を取り直しておだやかに言った。
「どうもおそろしいようじゃないか。なにね、あの子どもは気がちがっているのだ」
「はずかしくはないか」ヴィタリスがさけんだ。
「それ見ろ、わたしもそういうことだ」とガロフォリがつぶやいた。
「よせ」とヴィタリス親方が
命令した。「とぼけるなよ。おまえのことだ。子どもではない。こんな手向かいのできないかわいそうない子どもらをいじめるというのは、なんというひきょうなやり方だ」
「この
老いぼれめ。よけいな世話を
焼くな」とガロフォリが急に調子を
変えてさけんだ。
「
警察ものだぞ」とヴィタリスが
反抗した。
「なに、きさま、警察でおどすのか」とガロフォリがさけんだ。
「そうだ」と、わたしの親方は
乱暴な
相手の
気勢にはちっともひるまないで答えた。
「ははあ」とかれはあざ
笑った。「そんなふうにおまえさんは言うのだな。よしよし、おれにも言うことがあるぞ。おまえのしたことはなにも
警察に
関係はないが、おまえさんに用のあるという人が世間にはあるのだ。おれがそれを言えば、おれが一度名前を言えば……はてはずかしがって頭をすぼめるのはだれだろうなあ。世間が知りたがっているその名前を言い回っただけでも、はじになる人がどこかにいるぞ」
親方はだまっていた。はじだ。親方のはじだ。なんだろう。わたしはびっくりした。けれど考えるひまのないうちに、かれはわたしの手を
引っ
張った。
「さあ、行こう、ルミ」とかれは言った、そうして戸口までぐんぐんわたしを引っ張った。
「まあ、いいやな」ガロフォリが今度は
笑いながらさけんだ。「きみ、話があって来たんだろう」
「おまえなんぞに言うことはなにもない」
それなり、もうひと言も言わずに、わたしたちははしご
段を下りた。かれはまだしっかりわたしの手をおさえていた。なんというほっとした心持ちで、わたしはかれについて行ったろう。わたしは
地獄の口からのがれた。わたしが思いどおりにやれば、親方の首に両手をかけて、強く強くだきしめたところであったろう。
(つづく)